システムダウンの反響
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22日の午前8時40分ごろの南ぬ島石垣空港のボード ![]() ANAのチェックインが一斉にSTOPした ![]() 自動チェックイン機のカード挿入口は赤く点灯し ![]() ディスプレーには取り扱い中止の文字が・・・ ![]() いったい、何が起こった?ANAカウンターではメガホンを使って 現在チェックインシステムがダウンしていますとのこと その後、このニュースは全国版で流れ、石垣島の話ではなく全国規模で7万人の足に影響を与える大規模なネットワークシステムのダウンが引き起こしたニュースとして報道されることになった。 システムダウンの経験は以前、スカイマークでもあって、そのときはカウンターのお姉さんが手書きのチケットを発行して急場を凌いでいた。 今回は、手作業で追いつく規模ではなかったのだろう。何度か復旧とダウンを繰り返しながらも23日の未明には全面回復したようだ。 原因は不明だが一時、システムの過負荷が原因とも考えられたのか、石垣のANAチェックインカウンターでは対応窓口を絞って端末の数を減らすようにとの指示も出されていた。 時節柄、サイバーテロも疑われたが、どうも外部からシステムへの進入の形跡はないようだ。 結局、石垣便でも終日ダイヤが乱れ、遅着なのか特別便なのか最終便以降に到着する便があり空港は9時過ぎまでオープンしていた。 普段は便利なタッチ・アンド・ゴーもひとたびネットワークがダウンすれば機材は生きているのに乗客がロビーに溢れトラフィックはにっちもさっちも行かない状況に陥ることを改めて認識させた。 ![]() ![]() |
価格破壊とその顛末
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過去3年の南ぬ島石垣空港開港後の乗降客増大のひとつの要因として、旅客運賃の低下があり、その裏にはこの赤、青どちらでもない航空会社の石垣便就航が大きかったことは間違いない。 ![]() 一方で、石垣就航の前に、このスカイマークは宮古での撤退劇などもあり、就航も撤退も自社の利益確保優先で動く印象が強く、公共の足としては不安な要素を抱えているのも事実で前評判はイマイチだった。 しかし蓋を開けてみると徹底的にコストをカットし、大手の価格談合とも言える離島価格、天井どまりだった価格を適性化に導く貢献をしたのもスカイマークだった。 予約なしで当日行っても那覇まで5000円で行けるスカイマークはそれまでの住民の生活を大きく変え、離島苦を軽減した。 とは言っても、この会社自体のロードファクターはあまり高くなかった。多くの人がスカイマークに乗ったことよりもスカイマークを意識した価格に従わざるを得なくなった大手が価格を下げたことで、それまでの1.5倍もの観光客を呼び込む大きな原動力となったといえるだろう。 ![]() さらには、開港後には、この関空に本拠を置くLCCピーチアビエーションも関空便と那覇便を就航させた。 こうした背景により低い価格は補強され維持された一時期があったことは開港後の歴史にとって特筆すべきことであった。 特別価格で那覇便が片道990円という石垣市街地から空港までのタクシー代金にも満たない破格で提供したこともあった。 下の写真はスカイマークとピーチのカウンターが並び、格安な運賃によって日本の航空自由化の恩恵をようやく石垣市民も受けられると感じた開港直後の南ぬ島石垣空港の様子。 ![]() しかしピーチはこのあとパイロット不足に端を発した運休が続き、不穏な空気を感じたが、結局、関空〜石垣便のみ残して那覇〜石垣便からは撤退した。 また価格破壊のパイオニア、日本のエアライン第三極、スカイマークは途中までは順調に見えたものの、少々身の丈を超えたお買い物の違約金と想定外の円安が響いて経営破綻することとなる。 ![]() 上の宙に浮いた中途半端塗装のエアバスA380がそのころのスカイマークとエアバス社の微妙な関係を示しているかのようだ。 結局は日本の航空自由化はこの会社の破綻により、暗礁に乗り上げ、政府主導のすったもんだの挙句、スカイマークはANAの支援を受けて経営再建に乗り出すことになり、キャンセルで宙に浮いたエアバスA380も救済案で支援を表明したエアバスとの関係もありANAによって買い取られることになる。スカイマーク救済の裏で何を取引したのかは不明だが、もっと市場でA380が売れていればエアバスもANAの支援に回ることもなかったということなのかも知れない。 ![]() ピーチもスカイマークも撤退した後、南ぬ島石垣空港にはソラシドエアもANAとのコードシェア便が飛んで来ているがANAに主導され、独自価格を設定する力もないことから、いにしえの二極体制よりはマシではあるものの、開港当時の価格破壊、離島にも航空自由化の波を期待したころからするとほぼ倍の価格で推移している。 3年目以降、空港の利用客を増やすには観光客の誘致とともに、この航空運賃をいかに下げるかが一つの鍵になることは疑いない。 ![]() ![]() |
記念すべき中型機の就航
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新空港になって変わったもの、それは空港の位置とともに滑走路の長さだ。 旧空港の滑走路は1500m、実際与那国空港の滑走路よりも短い。 このため、DHC−8のようなプロペラ機以外、ジェット旅客機ではB737等の小型機に限られていた。 一方、南ぬ島石垣空港では滑走路長は2000mとなり、RWY04にはILSも設置され、2通路の中型機までの運用が可能になった。 ![]() はじめて南ぬ島石垣空港にタッチダウンするB767 夢ジェット 2013年3月31日、新空港の開港を待ちかねたようにANAが東京〜石垣直行便に就航させたの中型機B767一番機がやってきた。 こうしたイベント的なフライトにはよく特別塗装機が使われるが、初就航を記念してやってきた機体は夢ジェットだった。 あいにくの雨の中だったが、石垣島で見ることのなかったその巨体に石垣市民も新しい時代を感じた。 ![]() 6番スポットに入ってくる東京〜石垣1番機の夢ジェット RWY04に着陸した機体が平行誘導路をタキシングして6番スポットに入るとPBBが機体に接続、続々と乗客が降りてくる。今まではフルブレーキ停止後、Uターンして滑走路を戻ってきた機体にエプロンに待機したタラップ車が駆け寄る見慣れた風景からするとすべてが新しく、石垣島ではないように見えた。 それまでの150人から一挙に250人の乗客を運ぶことができるB767の就航は、その室内空間からも快適な空の旅を約束していた。 ![]() 飛ばしてきたクルー、今日は石垣ステイか・・・ その後、このB767に加えて、最新鋭のB787も就航し、東京〜石垣を一日2往復、3年たった今もこの中型機の人気は高い。以前からB737の東京直行便はあるが、窮屈な室内での3時間以上の空の旅は疲労感をともなうものだったがB767では2−3−2のシートレイアウトから、よほどの満席でければ、真ん中の席の悲哀を味わうことなく快適な空の旅を楽しむことができる。また那覇乗り換えなしで羽田までゆけることで、子ども一人で旅させる場合にも不安なく送り出せるのはありがたい。 ![]() 別のクルーと交代折り返し東京へ。キャプテンもコパイも手を振ってくれた ANAは、就航後、搭乗率の高い、この直行便で乗客数を伸ばしているが、対するJTAは中型機を持っていない。 夏場の乗客が多いときのみJALのウェットリースでB767を飛ばしているが直行便においてANA主流の感は否めない。 乗客にとっては同じキャパシティであれば便数を増やした方が時間の自由度が増すことで利便性は増すだろうが、長距離の場合は乗り換えのない使い勝手のよさや、居住性がものを言うだろう。 以前、旧空港のB737の場合は東京直行便と言えども滑走路長による積み込み燃料の制限から宮古を経由していたことを思うと隔世の感がある。 この中型機が使用できることは、新空港によって得られた旧空港に対する、大きなメリットとなっているだろう。 ![]() ![]() |
南ぬ島石垣空港の3年間
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新しい空港が盛山に開港してから3年。旧空港時代と何が変わったのだろうか。さまざまな面からみてみたい。 ![]() まず大きく変わったのは、空港そのものの場所だ。旧空港では市街地からシードー線を通って行けば5分もあればついたが、新空港だと最低でも20分はみて出ないと不安だ。 一方、観光客で言えば空港についたら、ほとんどが市街地、離島桟橋へと向かうから、バス、タクシー、レンタカーを使うことになり、新たな需要が生まれたことについては、移動の過程も観光だと考えれば島にとっては経済的メリットとも言える。 しかし、多くの車両が市街地〜新空港間を行き来することになり、アクセス道路がいまだ整備できていない現状では、390号線の既存トラフィックに加え、トラクターも走る裏道の農道に車が増えて事故も増えるなどの弊害も生まれている。牧歌的な農道で記念撮影なんてやっていると時間に間に合わないタクシーがぶっ飛んできて危なかったりするから要注意だ。 新空港アクセスについては現在、整備中だが、当初予定の16年度までにはとても間に合わない情勢だ。 ![]() ![]() |
南ぬ島空港3歳誕生日おめでとう
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南ぬ島新石垣空港が開港3周年を迎えた ![]() JTAには、こんなメッセージが掲げられ ![]() ディスプレーには、こんな表示がされていたが ![]() ANAはこんな嗜好で3年目を祝っていた ![]() スターウォーズジェットのB767 BB−8機が飛来 ![]() 南ぬ島新石垣空港の3年目と中型機導入3年目を独自に 祝っていた・・・らしい。 開港後、順調に乗降客数を伸ばしてきた新石垣空港にも、さまざまな問題がある。 また開港の目新しさにともなうご祝儀相場も、せいぜいこの3年目までと言われてもいる。 3年目の浮気ではないが、ちょっとカジュアル化して気の抜ける時期でもあろう。 ”新”という初々しさとは別の何か、また”旧”空港が別の場所にあったことなど知らないお客さんが増えるなかで、この新石垣空港を今後どのようにしっかり根付かせてゆくのか、空港としての真価の問われる時代に入ったといえるだろう。 ![]() ![]() |
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