波照間便体験搭乗実施
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12月17日、波照間島から体験搭乗の島民を乗せてやってきた クエスト・エアクラフト社のKODIAK100 ![]() 折からの北風でRWY04アプローチ ![]() 到着のANA便を避けて観音崎方面でホールディング、少し遅れて やってきたKODIAK100(JA02GB) ![]() 少し揺れたようだが、一緒に乗ってこられた公民館長さんの話では 島民として空路の再開は喜ばしいことだと歓迎されていた ![]() ターボプロップ単発、高翼、単葉、固定脚で腹部にカーゴパックをつけた 外見はセスナのグランドキャラバンに良く似ている ![]() 到着後、1時間ほど南ぬ島石垣空港に滞在した後、また体験搭乗の方々 を乗せて波照間島に向けテイクオフして行った ![]() ターミナルも新しくしたのに、第一航空の一件で航空路に目処を失った 波照間島としては空路の復活は朗報でちょっと機体としては小ぶりでは あるが島民の期待としては大きいものを感じた ![]() これを足がかりに空港を復活させ、将来需要に向けて大型化するのもあり かなと思う。本機が導入された暁には継続的に安定運行を願いたいものだ KODIAK100には水上機型もある、空港のない離島観光にも使えたら楽しい ![]() ![]() |
波照間空路の未来
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前回、第一航空の沖縄撤退についての報道がありましたが、本日の八重山毎日新聞には宙に浮く波照間島への航空路についての記事がありました ![]() 先日も述べたように、第一航空には粟国便就航後には次なる段階として八重山への進出がありました。 RACが手を引いた後、エアードルフィンに変わったものの倒産。空路の絶たれて久しい石垣〜波照間便がひとつ。そして石垣〜多良間便への復活までが期待をされていたわけですが、今回の第一航空の撤退劇によって、まったくこれらは目処のたたない状況に陥ってしまいました。 ただし、国と県からの補助で新造されたDHC−6ツインオッター2機(事故機1機はカナダにて修理済み)は、助成の主旨からして他県での使用は認められないと思われ、第一航空にとって代わって運用してもらえる会社があるかを現在、打診しているようだ。 常識的に考えて一番近いのは、地域の翼でもあり以前、同様のDHC−6を使用して波照間便を運行していたRACなのだが、現在は保有機の全てをDHC−8Q400に変更しており、すでに乗務員もいないことから、パイロットを含むリース案に対して首を縦に振るかは、補助のあり方次第ということになりそうだ。 しかし、別の視点で考えることもできる。 波照間島は人の住む日本最南端の島である。最南端の空港として日本国土の保全上も利用価値は高い。 第一航空を当てこんですでにターミナルを整備しながら、このまま休港状態を続けるよりも現在の800m滑走路を400mほどに延長し1200mにし、RACには現在のQ400の石垣〜波照間便を復活していただければ、島の経済にとっても国益に照らしても充分なメリットがあるのではないか? ![]() しかし、波照間空港の活用を望むその一方では、この美しいニシ浜の景色を末永く保つならば急激な観光化は誰も望まないだろうとも思う。 船でしか行けない、時化たら帰れない、そんな島だからこそ残された貴重な自然や文化を維持している島でもあるのだ。 そこで生活する島民として、いざというときに空路があることは、心強いことには違いないが、今後、何を守って何を得るべきなのかを問われることでもあるだろう。 そのためには今後、波照間空港をどう使ってゆくことが適切なのか将来に向かって後悔しない選択をして欲しいものだと思う。 石垣島のように生活拠点にまでキャパを超えた観光客が押し寄せ、道路は混み、ゆっくり買い物もできない急激な観光化は、波照間島にはふさわしくないだろう。 分母の小さい小さな島だけに飛来する機体の大きさによっても影響力は変わる。適正なサイズを慎重に決めてもらいたいものだと思う。 ![]() ![]() |
第一航空、沖縄撤退へ
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今年1月、粟国空港での事故以来2年半ぶりに運行再開を果たした第一航空の那覇〜粟国便だったが4月以降の継続には、やはり目処が立たなかったようで、第一航空自体が沖縄から撤退を始めたと新聞で報じられている。 ![]() 事故でダメージを負ったツインオッターは修理されたが空路は修復できなかった 離島にとって空路の喪失は実害以上に心理的に大きなものがある。貨物や観光客の大方は船で来るので生活に直接与えるダメージは大きくないとも言えるが、船は欠航もあるし苦手な人もいる。何かあったときに高速で本島に行ける空路もあるという安心感は離島で暮らす上で大きい。 ![]() 1度は、粟国便に復帰したツインオッターだったが 撤退の理由は、どこにでもある問題だが、もともと不採算路線を地域が赤字を補填して成り立っているということだ。 民間企業に委託している以上、赤字補填が出来なければ事業の継続はできない。 今回についても 「18年度の赤字見込み額約2億6千万円が「過大」とされ認められなかったため、4月から再運休していた。同社は今月、補助を求める額を約2億6千万円から約1億8千万円に下げ県に再提示したが認められなかった。」 これが根本的な原因と言える。そこには離島に人が住み、空路を維持することで公共にどのような利益をもたらしているのかという評価の問題があり、今回は掛けている経費の割りに利益がないと行政が判断したとも言えるだろうし、それ以上の経営努力をしてまで維持する価値を見出さなかった企業の判断だったとも言えるのだろう。 ![]() 継続的に運用してゆくことはそう簡単ではなかった 以前から経済的に成り立たせることが厳しい沖縄の離島空路については繰り返し取り上げてきているけれど、本件は、同様に空路再開を待ちわび、ターミナルまで整備していた波照間島にとっても落胆せざるを得ない結果でもある。 南ぬ島石垣空港の受付カウンターにもJTAとピーチの間に第一航空が入るはずであった旧スカイマークの窓口が開いたままである。 どうやって離島の航空路線を維持するのか、メジャーな路線でロードファクターを上げLCCも含めて競争の激化するなか不採算な離島路線維持は、自由競争とは別の切り口やシステム導入を考慮しなければ成り立たないのではないだろうか。 ![]() JTAとピーチの間にあるもとスカイマークのデスク ここに第一航空が入ると思われていたのに沖縄からの撤退は残念。どうなる石垣〜波照間空路の将来。観光需要は伸びているだけに何か秘策はないものだろうか。 ![]() ![]() |
那覇~粟国便が運行再開
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粟国空港で着陸時に事故を起こし運行停止になっていた第一航空による那覇/粟国便が1月15日から2年5ヶ月ぶりに運行を再開した。 ![]() 前日1月14日、エプロンに引き出される第一航空のJA202D ただし運行が決まっているのは沖縄タイムスの社説によれば以下の通りだ ただ運航が決まっているのは、3月末までである。 那覇−粟国は不採算路線で、第一航空が示した赤字見込み額は2017年度が約1億700万円、18年度が約2億6千万円。17年度分については県、村、国が補助することを決めたが、18年度分は負担額が大きいとして県、村とも認めていない。18年度の補助の負担割合は、県が約1億6千万円、村が約8千万円、国が約2千万である。 粟国村は人口約700人の小規模離島で、単年度の予算規模は15〜16億円だ。村は「負担額を払い続ければ財政が破綻する」と訴える。県も、補助継続は困難としており、4月には再び運休となる公算が大きい。 上記の通り、運行再開はしたものの、とりあえず決まっているのは3月までの運行で、その先の見通しはまったくたっていないということで手放しで喜べるニュースではない。 また粟国島民の足としても航空路線の再開は待ち望まれていたことは確かだが、その一方で前回の事故や運用面の管理のずさんさなどから第一航空に対する地元島民の不振感も少なくないと聞いている。 ![]() 4月以降の運行が厳しいとすると、その後どうなるのかは不透明な状態と言わざるをえない。 さらにこの事故による運行停止がなければ、粟国に続いて就航する予定だった石垣/波照間便の将来にいたっては、まったく目処がたっていないという状況だろうと容易に想像がつく。 波照間島では、SWALのツインオッターからRACのアイランダーとなり、さらにエアードルフィンのアイランダーになった後、チャーター運行のドルフィン撤退後は2008年11月以降、航空路が絶たれて久しい。 第一航空での空路再開を期待してつくられた空港ターミナルは到着するアテもない飛行機をむなしく待っている状態だ。 地方自治体としては事故を起こしたパイロットの訓練のために財政支出が増えるという状況は、許容しにくいことも分かるが地元の生活路線としては守らねばならず、島の発展のためにも空路は必要だ。 何とか復活させて欲しいものだが価格競争の厳しい定期航空のなかで沖縄離島の足であるコミューター機を継続運行させることの難しさは今後も当面、変わりそうにない。 ![]() ![]() |
波照間便の行方
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最初の計画ならば、すでに波照間への空路再開していたはずの石垣空港でしたが ![]() 準備が間に合わず就航は12月に延期された後、同型機が、粟国で着陸時に事故を起こしてしまい、就航の目処がたっていない。 しかし、この事故原因についての第一航空のからの報告が琉球新報に出ていた。 それによると 8月末に粟国空港で第一航空の小型機が着陸時に滑走路の右側にそれ、フェンスに衝突した事故で、同社が事故原因を人為的な操縦ミスとみていることが25日、分かった。社内の事故調査会がまとめた。同社は10月中旬に調査報告書を大阪航空局那覇空港事務所に提出。25日、那覇空港国際線ターミナルで事故当時搭乗していた乗客約10人に対し、事故原因や補償対応に関する説明会を初めて開いた。11月上旬には粟国村で説明会を開き、同月末に運航再開を予定している。 ると、着陸時に機首側のタイヤが若干右方向に曲がっていたのが滑走路を外れた原因とみられる。タイヤの進行方向を決める操縦席内のステアリングレバーが直進方向にきちんと固定されていなかったという。 事故当時の那覇発粟国便は訓練のため副操縦士が操縦していた。右方向に機体がそれた後に機長が操縦を代わったが、衝突は回避できなかった。同社は「機長の判断も遅かった」としている。正式な事故原因は国交省運輸安全委員会が来年にも発表する。 第一航空は再発防止策として、操縦士の再教育やこれまで目視のみだったステアリングレバーを確認する作業の見直し、シミュレーターによる事故回避策の検討などを挙げた。 以上 報告書のとおり事故原因が機体のトラブルではなく、パイロットの人為的なミスだったとするとパイロットの訓練を徹底することで比較的はやく波照間便が再開される可能性はあるが、問題は事故への保障対応と機材の修理費用。そして人材確保ということになりそうだ。 ![]() 事故機の修理の状況はわかりませんが第一航空が11月末に再開を予定している粟国便には、この石垣〜波照間に用意していたこの青い機体が使われることになるのだろうか。 まだ波照間便再開への道のりは険しいという感じだ。 ![]() ![]() |
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