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価格破壊とその顛末
2016/03/13 16:47:36 ブログカテゴリ オタク | 書庫 南ぬ島空港

過去3年の南ぬ島石垣空港開港後の乗降客増大のひとつの要因として、旅客運賃の低下があり、その裏にはこの赤、青どちらでもない航空会社の石垣便就航が大きかったことは間違いない。


一方で、石垣就航の前に、このスカイマークは宮古での撤退劇などもあり、就航も撤退も自社の利益確保優先で動く印象が強く、公共の足としては不安な要素を抱えているのも事実で前評判はイマイチだった。
しかし蓋を開けてみると徹底的にコストをカットし、大手の価格談合とも言える離島価格、天井どまりだった価格を適性化に導く貢献をしたのもスカイマークだった。
予約なしで当日行っても那覇まで5000円で行けるスカイマークはそれまでの住民の生活を大きく変え、離島苦を軽減した。
とは言っても、この会社自体のロードファクターはあまり高くなかった。多くの人がスカイマークに乗ったことよりもスカイマークを意識した価格に従わざるを得なくなった大手が価格を下げたことで、それまでの1.5倍もの観光客を呼び込む大きな原動力となったといえるだろう。



さらには、開港後には、この関空に本拠を置くLCCピーチアビエーションも関空便と那覇便を就航させた。
こうした背景により低い価格は補強され維持された一時期があったことは開港後の歴史にとって特筆すべきことであった。
特別価格で那覇便が片道990円という石垣市街地から空港までのタクシー代金にも満たない破格で提供したこともあった。
下の写真はスカイマークとピーチのカウンターが並び、格安な運賃によって日本の航空自由化の恩恵をようやく石垣市民も受けられると感じた開港直後の南ぬ島石垣空港の様子。




しかしピーチはこのあとパイロット不足に端を発した運休が続き、不穏な空気を感じたが、結局、関空〜石垣便のみ残して那覇〜石垣便からは撤退した。
また価格破壊のパイオニア、日本のエアライン第三極、スカイマークは途中までは順調に見えたものの、少々身の丈を超えたお買い物の違約金と想定外の円安が響いて経営破綻することとなる。



上の宙に浮いた中途半端塗装のエアバスA380がそのころのスカイマークとエアバス社の微妙な関係を示しているかのようだ。
結局は日本の航空自由化はこの会社の破綻により、暗礁に乗り上げ、政府主導のすったもんだの挙句、スカイマークはANAの支援を受けて経営再建に乗り出すことになり、キャンセルで宙に浮いたエアバスA380も救済案で支援を表明したエアバスとの関係もありANAによって買い取られることになる。スカイマーク救済の裏で何を取引したのかは不明だが、もっと市場でA380が売れていればエアバスもANAの支援に回ることもなかったということなのかも知れない。



ピーチもスカイマークも撤退した後、南ぬ島石垣空港にはソラシドエアもANAとのコードシェア便が飛んで来ているがANAに主導され、独自価格を設定する力もないことから、いにしえの二極体制よりはマシではあるものの、開港当時の価格破壊、離島にも航空自由化の波を期待したころからするとほぼ倍の価格で推移している。
3年目以降、空港の利用客を増やすには観光客の誘致とともに、この航空運賃をいかに下げるかが一つの鍵になることは疑いない。




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