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雪花の郷 那覇店

石垣移住 その3
2010/06/09 22:39:54 ブログカテゴリ 沖縄移住 | 書庫 石垣移住
石垣移住 その3

会社を辞め石垣島に移住するにあたり考えれば考える程、出てくるのはとてつもない不安だらけであった。

誰もが人生には岐路がある。逆に言うと岐路のない人生なんか面白くない。

今になって思う事は、あの時一歩を踏み出すことができて本当に良かったということである。
一歩を踏み出すためのきっかけは自分自身でしかない。
いざ一歩を踏み出すと、結果はどうあれ前に進むしかない。迷いが無くなるので、言い方を変えれば開き直ることができる。そして、自分の中で「やるしかない」という「覚悟」が生まれる。
ここまで来たらそれこそ「あとはやるだけ」である。
だから、一歩踏み出せるかどうかが最大の分かれ道となる。

今から思えば一緒に着いてきてくれた嫁さんには本当に感謝である。

石垣に移住して5年半・・・
正直、思い描いていた理想のライフスタイルにはまだまだ程遠いのが現実・・・
しかし、あの時の「石垣移住の決断」は大正解であって全く微塵の後悔もない。
元来、やらないで後悔するのが大嫌いな性格が幸いした。

不安だらけの中で一歩を踏み出させてくれた言葉がある。
まず一つは、店主の座右の銘である「生まれかわるなら生きてるうちに」である。
この言葉はそれまでにもいつも自分の背中を押してくれた。

その時期にもう一つの言葉を知った。ドイツの詩人であるゲーテの言葉である。
「あなたにできること、できると夢見たことが何かあれば、それを今すぐ始めなさい。向こう見ずは天才であり、魔法であり、力です。 さあ、今すぐ、始めなさい。」
この言葉は強烈に突き刺さって自分の迷いを取り除いてくれた。

人は、ある程度準備が整ってからとか、せめてこれが終わってからとか、あれが実現できてからとか、一見正当化された言い訳を勝手に作って自分の行動力を大幅に抑える事がある。
「向こう見ずは天才であり、魔法であり、力です。」 素晴らしい言葉だと思う。
この言葉を知って、「できるか、できないか」ではなく、「なりたいのか、あきらめるのか」というシンプルな考え方ができた。
時と場合によっては、見切り発車をして実際に行動に移してから考える方が重要な時がある。それが人生を掛けた決断であれば尚更である。
実は殆どが事前に万全の準備など出来やしないのでとにかく動く。その向こう見ずさが何よりの原動力になる。
考え込んでブレーキを踏んでいても何も変わらないし、何も始まらない。
どんなに考え込んでも見えないことが、一歩を踏み出せば必ず何かが見えてくるものである。

自分の人生に一歩を踏み出せるかどうかがすべてのキーポイントであり、ターニングポイントである。

続く・・・




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石垣移住 その2
2009/11/21 22:49:37 ブログカテゴリ 沖縄移住 | 書庫 石垣移住
石垣移住 その2

移住先は石垣島宮古島に決定した。
しかし、両方とも行ったこともない・・・
勿論、親戚も知り合いもいない・・・
会社にはすでに退職届けを出した・・・
「さぁ、これから一体どないしょう?」
食っていくにはとにかく仕事を探さねば・・・
しかし、石垣島も宮古島も今まで大阪で積み上げてきたキャリアを活かせる場所は一切ない・・・

とにかく、ネットで仕事を探してみる。
さすが失業率の日本一高い沖縄、まして離島となるとほとんど求人がない・・・
あるのは夏のシーズンのみのバイト程度・・・
こっちはそこそこの年齢で、大阪でそれまで築いてきたものを捨てて移住する訳で、そんなシーズンバイト的なものでやっていけないし・・・
とにかくネットで仕事を探してみるが全くない状況・・・「ほんまにどないしょう?」の状態・・・退職届けを出すの早まったか・・・
ある時、ハローワークを通じて石垣島にあるとあるメディア会社の求人情報を発見!募集人員2人・・・
とにかく、速攻で履歴書を書き速達で送る(店主の分と嫁さんの分)。返事を待ってる暇などないし履歴書をFAXして、すぐさま、電話を掛ける。「すぐ石垣島まで飛んで行きますのでとにかく面接をお願いします。」と・・・先方も店主のすごい勢いに圧倒されていた様子だったが、すぐに石垣行きの飛行機のチケットを取っていざ石垣島へ・・・

生まれて初めての石垣島・・・季節は冬・・・「大阪はめちゃ寒い、何これ?半袖でいけるやん!」
石垣島の暖かさにまず驚く。
面接を受けて、「なんとなく夫婦2人でお世話になるのはきびしいのでは?」と思い(給料面やもろもろで)、嫁さんだけお世話になる事に即決定・・・店主は「自分で商売した方がいいのでは?」と考え、店主の方はとりあえず保留という形を取っていただいた。
しかし、面接を受けて沖縄の給料の低さにビックリ!予想はしてたけど、大阪でそれまでもらっていた給料の3分の1程度。正直、「高校生のバイトとちゃうんやから・・・」と思った。でも、これが沖縄の現実だった。

面接を終え、その会社の方が「玉取崎展望台」に連れて行ってくださった。
「ここはほんまに日本なんかいな?」

あまりの海の綺麗さとゆっくり流れる時間に涙が出そうになった。

大阪では責任ある重圧に押しつぶされそうになって、それでもその責任感に達成感を感じて頑張ってきた・・・
この景色を観ていると、今までの自分の価値観が全く変わってしまうような気がした。というか、今までの自分の価値観は都会で生きていくために自分が自分を納得させるために勝手に作り上げただけの価値観であって、本当の自分自信の価値観ではない事に気付かされたような感覚だった。
「これからはこういう場所で暮らしたい!」と素直に思った。
いつまでもこの景色を観ていたかったが、帰りの飛行機の時間が迫ってたので急いで石垣空港まで送っていただいた。おまけにある知り合いの農家に寄ってたくさんの手土産までいただいた。

大阪に帰って来た。嫁さんはそのメディア会社にお世話になることに決定。さぁ、問題は店主は保留という形で帰って来た。店主自信は「自分で商売する方がいいのでは?」と思っている。
「商売いうても一体何したらいいねん?」「一体、自分に何が出来るねん?」「移住までに色々考えてる暇なんかないっちゅうねん・・・」

続く・・・




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石垣移住 その1
2009/11/18 18:36:39 ブログカテゴリ 沖縄移住 | 書庫 石垣移住

石垣移住 その1

店主は大阪生まれの大阪育ち・・・嫁さんも大阪生まれの大阪育ち。
2005年2月に大阪より嫁さんと愛犬(ぽんたとまりん)と石垣島へ移住しました。当時、34歳でした。
大阪では10年以上サラリーマン生活を送っていました。

サラリーマン生活の中で、いつも「何か違う、何かが違う」と感じながら月日だけが過ぎていってました。だんだん歳を重ねていくに連れて焦りみたいなものが大きくなっていました。会社でもすごく責任のあるポジションだったし、すごくやり甲斐のある仕事でした。しかし、心の中では「このままでええんやろか?このままではあかん。どないしたらええんやろ?」自問自答の日々でした。「自分の夢って何やねん?どんな生き方をしたいねん?」と考えながら明確な目標や夢を持てずに惰性で時間ばかりが過ぎていってる気がしてました。
「何かを変えたい、変わりたい」と転職した事もあったが、やっぱり「何かが違う」と感じ続けていました。

店主も嫁さんも海が大好きで、「いつか沖縄で暮らしたい」とは思っていました。
ただ、それは漠然とした夢物語みたいなもので全然具体的な計画ではなかったのです。

移住までの約3年半をとあるメーカーさんでお世話になっていて、ある時、社運が掛るほどのプロジェクトの責任者に任命されました。強烈なプレッシャーでした。辛く長〜い日々でした。そのプロジェクトが無事に達成したと同時に「沖縄移住」を決断し、会社に辞表を提出しました。
きっと、それまでは変わるためのきっかけを待っていたんでしょうね。待っているだけではそんなきっかけはいつまでも来ないし、きっかけは自分で作るしかないと思いました。
2004年12月末で会社を退職しました。出勤最後の日、社長さんが関係の深い部署の人を集めて送別会をしていただきました。それまで、褒められた記憶のない上司から「よう頑張った」と言ってもらい、最後はみんなに胴上げをしてもらいました。その時は本当に感激したし、お世話になってきた感謝の気持ちと退職することに対し申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

それまでに沖縄本島へは何度か旅行した事があり、確かに海は綺麗だけど本島は都会過ぎて自分が求めているのはここではないと思ってました。
ターゲットは石垣島宮古島に決定。が、両方とも行ったことがない・・・勿論、親戚や知合いがいる訳でもない。
とにかく、仕事をしなければ食っていけない。石垣島や宮古島には、それまで大阪で築いてきたキャリアが活かせる場所が一切ない。「どないしよう?」

続く・・・




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