2010/03/17 11:59:13 |
メンタル&宗教 |
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孤独感と鈍感さとコミニケーション力 人間が常時悩まされているのがコミニケーション不足です。大切さは誰でも分かっていますが、何故か解消できず孤独感にさいなまれます。 話し込んで行くと口論になり、相手の嫌な面が許せなくなったりして口をきく気もしなくなっていきます。価値観が違うので言っても分らない。自分の立場ばかり気にしている。面倒なことはやりたがらないので結局無視される。・・・という欲求不満から、最後は顔も見たく無くなってきますね。 そこからホウレンソウ(報告、連絡、相談)が手薄になり重大なミスが生じていきます。結局最後は自分が馬鹿を見ます。 問題は会社の責任者、家庭の中心者がこの問題を十分に認識して、謙虚に自分を正そうと思っている場合は何とかなるのですが、中心者が鈍感だとどうにもならないのです。 そう言うとそうだそうだと共鳴する人はたくさんいるのですが、ところがどっこい、その中心者とは実は自分自身だと言うのです。誰かさんではありません。 宗教レベルが高いと人の鈍感さは自分の鈍感さとイコールで結びます。理屈抜きです。自分の鈍感さはなかなか気が付かないのですが、それで人の鈍感を見て、自分の鈍感を教えてもらっているとしか考えないですから、反面教師ということで相手に心から感謝出来ます。 最初はとてもイコールには思えないですし、自分はあんなに馬鹿じゃないと誰でも思います。ですが異なった状況設定で厳しく振り返ると同じことをやっていることが多いです。会社でやっているか家でやっているかの違いなので、出来れば理屈抜きでそうなんだと断じて、家に帰って後でじっくりそのテーマを振り返ると共通点が浮かび上がってくるでしょう。 似たような傾向が見えてくると、相手を気遣う思いも湧いてくるし、信仰レベルが高くなっていくとマザーテレサのように相手の中に神仏が存在することが分ってきて、敬意を持って控え目に接するようになっていきますから、コミニケーションはスムーズになっていきます。 常に自分は鈍感なのだと言い聞かせ、謙虚に生きるようにしていれば、相手との話し合いでも口論や対立感も消え、イライラや反発心も無く夜を迎えられるので、安らぎながら眠れるようになれます。 問題は自分を可愛がる傲慢さが謙虚な生き方を否定していきますので、深い信仰心が無い限り、何時まで経っても人間関係で悩まされます。 コメント(0) トラックバック(0) |
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2010/03/15 18:32:14 |
宗教の本質と魂 |
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宗教の不変性と普遍性 そこであらためてご案内しますが、宗教といっても膨大な世界ですから、誤解や偏見も多いです。そこでざっと宗教の基本はどこにあるのか?そういったハウツー書みたいなものがあったら、誤解も解けて、信仰の凄さを感じる人も千名に一人ぐらいは出てくると思われます。 そういう人のための、宗教の普遍的要素のみを語っている宗教系記事です。 たとえて言うなら、キリスト教と仏教とイスラム教とヒンズー教とユダヤ教と神道と儒教を、昔高校時代に習った数学の集合円で重ねた時に、共通しているものがあると思います。つまり7つの宗教が折り重なっている部分です。これは、まさに真理と言えるし、人間の道として信じたほうが得です。 あるいはこういうまとめ方もできます。 創造主は宗派へのこだわりは持っていません。あらゆる聖者は全て創造主の部分的顕現です。左手であったり、目であったり、心臓のような中心的役割を持った魂として最初から作られ、魂の先輩として地球に派遣されてきたと思ってもらえば大変分りやすい。ちょうど仏像の光背に菩薩像が並んでいるようなものです。神々も天使も聖者も全員、宇宙株式会社という会社に勤めている社員だと思っていいです。 あの世でも次元が高いところでは宗派は無いようですし、その時々の国や時代や文化に合わせて、人間の道を語ってくれたものが宗教だと思えば、分りやすいです。 ということで不変的で普遍的な要素を紹介してみようということで書いていますので、一つの新興宗教を紹介するものではありませんから、1ページ1ページ読み切りで読んでもらればと感じています。 現代社会でもっとも欠けているのは、正しい宗教心だろうと感じます。なるほど魂は不滅かも知れない、であるなら神様がいても不思議ではないだろう・・・と少しでも思えれば、堅実に生きようとか悪に対するブレーキもかかってくるものです。 宗教心の無い道徳観では、もう無理な時代に入ってきている感じです。 コメント(0) トラックバック(0) |
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2010/03/14 23:54:11 |
マザーテレサ |
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マザーテレサの信仰心 たった一つのテーマですら主義と主張が空回りしているわけですから、社会問題満載の現実世界が穏やかに収まる日がくるのは絶望的と言っていいですが、しかしこの物的社会しか信じない人たちにとっては、本当は何も問題は無いのに、感情を爆発させる大問題につながっていきます。 魂は不滅です。すべて平等です。頭に血を昇らせて騒ぐような問題は本当は存在しません。問題問題と騒ぐその人の思想が問題なのであって、神様が存在しないかのように闇に隠れているのは、それを象徴しています。 しかし現実はさまざまな組織の中に組み入れられて生きているのがほとんどですから、真理はこうですと言っても感情が収まらないでしょう。不平等だ、格差社会だ、理不尽だ、可哀そうだと感情移入して正義の味方のつもりのうぬぼれた自分が爆発してきます。 この違いをぜひ知って欲しいわけです。謙虚さが全く違うのです。それこそ宗教心がなければ不可能な話でしょう。いきなりこういう心境にはなれるものではないのですが、ミニマザーテレサがたくさん出てくると本当に世の中は変わってくると思います。 もちろんいきなり嫌いな人に奉仕するなんて考えられないのですが、神を信ずれば信ずるほど、魂の絶対性を信ずれば信ずるほど、嫌いな存在は無くなっていきます。苦手な存在、恐怖の存在が居なくなってしまうのです。環境がどんどん変わっていく面もあるし、自分の考え方が炎の洗礼を受けるようになって、相手がだんだん神様に見えてくるのです。 私たちの目の前には何枚ものベールがかかっていて、信仰が深くなるにつれて1枚1枚ベールが取りはずされ、神様の世界が見えてくるのです。目に映るものはその人の心の鏡だと言われています。自分の心がドロドロしていると何でも汚く見えるし、人に対する感謝の思いで胸が一杯になっているときは、周囲は目映く輝いているんじゃないでしょうか。 ぜひ思い出してください。 コメント(0) トラックバック(0) |
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2010/03/13 23:12:07 |
究極のお伽話 |
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究極のお伽話 そしてこれからも一つの存在によって全宇宙は回転しているのであり、この大宇宙を人差指で皿回しのように回している童子がいるというわけです。現代人からすればこれほどのお伽話も聞いたことは無いでしょう。 たぶんこれを読んでいる人はそんな馬鹿なと思う人ばかりだと思いますが、全知全能の存在を映像的イメージで語ればそういうことなのだろうと感じます。少年という姿が実に心憎い演出です。 最近ネットゲームに嵌る廃人が増えてきたらしい。自分でも病気だと思っているが止められないそうです。戦闘ゲームが多いのでしょうか?自分はテレビゲームもネットゲームもやったことが無いので分らないですが、同じ空想的なものだとするなら、創造主に嵌ったほうが100倍得だと思うのです。 人間の究極系を信じていく、知っていく世界ほど、幸運なことはないです。 コメント(0) トラックバック(0) |
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2010/03/13 02:56:24 |
マグダラのマリア |
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マグダラのマリア 前にも話したですが、楽な境遇の人は魂が幼さない人が多い。逆に厳しい境遇の人は神に目覚める可能性が高いです。早い時期から賢者の言葉に惹かれたり不条理な世の中に疑問を感じ、自分で知らぬうちに厳しい道を選んで行くようでもあります。 人生1回ぽっきりであれば、一番楽するように悪賢く生きればいいわけですが、魂は不滅なので、安易に生きたら最後、無意味な人生を歩くことになってしまう。 ところが果たしてどれぐらいの人がこのことに気が付いているかです。まさか生きていることが無意味だとは誰も思わないです。確かに努力もするし人のために尽くすこともあるのですが、人間の99%は生まれてくる前の状態よりも魂を汚して帰ってくるというのが実情らしく、正直驚きました。99%が魂をさらに汚してあの世に帰ると言うのです。 そう考えると誰もが羨むような家庭だからと言って、自慢できる話じゃありません。才能が認められて輝かしい栄光をつかんでも、威張れる話ではない。次の世はその反動がやってくるからです。 そもそも自分がこういう宗教的な話をする気になったのは、実はこの一点に尽きます。創造主の書いた聖典だけでは無く、無信仰な生き方がどれほど無意味なのかあらゆる聖者が忠告しているのです。釈迦しかり、キリストしかり。 社会混乱の元凶は「性の乱れ」だと語っています。不誠実、無責任、偽り、怒り、破壊、裏切り、猜疑心、恨み、妬み、自暴自棄、さながら悪のデパートなわけで、厭らしい映像が流されれば流されるほど社会も子供も精神異常化していくでしょう。 娼婦だったマグダラのマリアはイエスを見て神様が本当に存在することを知り、自分の罪深さに怖れおののきます。その後キリスト様命状態で着いていくのですが、ある意味イエスを知った時点で罪は消えていました。鍵はどこにあるかというと、神様が存在することを100%知ったからです。罪深い人ほど自分の運命を思うと衝撃的なのです。なまじ中途半端な善人はどこまでも迷います。まさに仏教の悪人正機です。 キリスト教では魂の転生についてほとんど語らないですが、死後地獄や天国があるということは、自分の魂の存在自体は信じています。まともな信仰者なら魂の不滅は信じているでしょう。それで十分ではあるのです。マザーテレサの行為を見れば分かるように、万人に仕えるつもりでやることをやればそれでいいわけで、それ以上の理屈が必要の無い人には必要はありません。 ちなみにイエスは魂が転生していることぐらいは百も承知しているわけですが、伝道期間があまりにも短かったので弟子たちに細かく教えている機会が無かったようです。しかし語っている箇所もあるらしく、聖書編纂の際に外されたようです。神学者が理解不能であったからのようで、それの資料は聖書外伝としてローマ教会の倉庫に眠っているそうです。聖書には内伝と外伝の二つがあるそうで、普段使用されているのは内伝だそうです。 ただお願いしたいのは、仏教とキリスト教の違いをそれぞれの信者に確認を取るのはヤボなのでぜひ避けてください。あー言っているから間違いとか、だから信じるに値しないとかでなくて、謙虚な人であれば立派なクリスチャンであり、仏教徒です。教義教説が細大漏らさず完全な宗派なんてそうそうあるものではないです。 いずれにしろ現代社会は肥料に問題があって死んで行きそうな木です。政治、経済、教育、と枝が枯れ始めているわけですが、その1本1本を何とかしようと絆創膏を貼っても治らないかもしれません。 本当にどうにもならないのです。死んだら全てパーになるという価値観の誤りに気が付かない限り。
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