内地では温泉施設が困っているらしい。
水質汚濁法の強化で、
フッ素やホウ素が多く入っている温泉排水は
川に流してはいけなくなるらしいのですが、
半数近い温泉が基準値を越えているので、
営業が出来なくなるというのです。
自然から流れている温泉が川に流れ込むのはセーフで、一旦温泉宿を経由すると反則だというのです。理由は営利を目的にしているからというのですが、全然理由になっていません。
公共的な温泉宿もセーフで、ようは民間宿がアウトらしい・・・。
そもそも人が温泉に入って健康にいい水だと言われているのに、それが川に流れるとなんで水質を汚すのか説明が無いので、とにかく理由が分かりません。
環境に悪い水が、健康を促進するというのは理屈に合わないので、しっかりと納得のいく説明が欲しいところです。
固い話はこれぐらいにして、
今から10年以上も前にパソコンをはじめて、最初に作ったホームページが「癒し系の島」というものだった。あれからいろいろ変遷があって、それでこのブログを始めたのだけども、どうもテーマがハッキリしませんねえ。
あれもこれも書いているうちに何がテーマなのか分らなくなっています。まさにチャンプルーブログという感じか。
まあ日記なのだから、テーマを決めること自体不自然ではありますので、ごった煮状態でいいのかも知れないですが、基本はやっぱり癒し系ということでありたいですね。
ところで最近不思議な感じがしています。20代の頃よりも3倍ぐらい置かれた生活状況は厳しいはずなのに3倍ぐらい心が楽なのです。つまり合わせると6倍ぐらい心が楽になっています。つまり本来なら20代より3倍苦しくなっているはずなのに、逆に3倍心が楽になっています。
そこで考えてみました。若い頃なんであんな他愛もないことを死ぬように苦しんでいたんだろうかと思ったことがよくあるのです。みなさんは無いでしょうか?地球の終わりのように深刻に悩んでいたことが良くありましたね。
感受性が敏感な時機ってありますね。そして年を食うに従って鈍感になっていく傾向があるかも知れません。
いったいどちらが正しいのでありましょうか?不幸を感じる世界というのは、心が弱く敏感な人が感じられるもののようにも思われる。そんで心がしたたかで鈍感な人ほど気楽にやっている感じもします。
とすると自分も相当鈍感になっている証拠でしょうか。
自分自身振り返ってみると、ある世界を学んでいたから楽になってきたというのが正解のように思う。ある世界というのは、心の世界です。
悩みとか苦しみなんて太古の昔から卒業していく方法はすでに語られていて、結論も解答も出されているとしたら、誰だって知りたいと思うでしょう。そういうことで自分なんかもう30年近く心の勉強をして来ました。
つまり苦しい思いから、さっと離れるコツが身に付いている感じです。普通は深刻な悩みはなかなか心から離れないですよ。20歳の頃の自分はそうでした。地球の破滅のように自分の不幸を嘆いておりました。若いから将来は長くあるのに、その長さが耐えられない感じです。こんな不幸が後50年も続くのかと思ってしまう。
時間が長くあるから、なんだって出来るじゃないかと思えばいいものを、思えない。かっこイイ世界があって、それと現実の情けない自分を比較してしたたかに落ち込んでいくみたいな感じだったでしょうか。
そのうちに宇宙には真理というのがあるんだということが分かった。答えはすでに出ていることが分かったわけです。迷うのは、迷うような考え方をするから、迷うのだということです。