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蓮華の悟りと煩悩即菩提
2010/03/12 20:11:09 書庫 究極のロハス


創造主は一瞬で全生物を救う力も持っている。であるならば、いますぐそうすればいいじゃないかと反論する人もいます。しかし救いというのは誠実に神を求め努力する人に与えられるもので、そういう意味で個人の自由、主体性に任せているという話を昨日しました。そもそも唯物思想を信じてしまったことから縛られる運命を自分で作り上げてきたからです。

 

ところで人間を自由に委ねている理由がもう一つありそうです。それは仏教では煩悩即菩提という考え方で伝わっています。美しい花が咲くのは泥のような成分が養分となっています。純粋な真水では植物は育ちません。もちろんこの話もお釈迦様から誕生したのでは無く、それよりはるか以前の太古の口伝で語られているものですが、泥沼の成分だから美しい悟りの花を咲かせると言うのです。

 

その成分とは人の煩悩であり苦しみや悲しみの体験です。そういう体験をするから心の深さが分かる。そしてその苦しみから離れるにはどうしたらいいか努力もします。そこで釈迦のように動物の悲しみを理解するために、わざわざ動物になって生まれてきたりして彼らを救う仕事をされた。

 

屁理屈が好きな人間には、かくかくしかじかでこうだから、だから仏を信じなさいと言えるのも、そういう人たちを救うために、ご自分が屁理屈好きな人生を過去に歩いた経験をされているから説得力を持って語れるわけです。

 

お金持ちが貧乏な人に人生は金では無いですと言っても、なんの説得力もないでしょう。美しい人が人間は見た目では無いですといっても、虚しいわけです。それを証明するには自分がその境遇の中で生きる必要があるし、そう言った苦労を重ねた中で、いわば智慧が身に付いてくるというのです。

 

お酒で苦しんでいる人には過去に酒で苦しんだ人の話を素直に聞けます。不良でいじけている人にはかつてそうだった人の話を素直に聞けます。そう考えたら今の私たちの苦しみもいずれ人の役立つ時が来るのでしょう。

 

創造主がいちいち人間に干渉しない理由は、欲望による苦しみや悲しみを乗り越えていく努力が人を助けていく肥やしにもなるので、てっとり早い救いの行動を取ることは、豊かな情感と成長と大きな感動の花を摘むことにもなって、魂のためにならないということなのです。

 

神様は全知全能ですからご自分一人ですべての問題を解決する力はあるけども、出来るだけ多くの魂に救済の仕事を担って欲しいと願っているでしょうし、またそのために生物を作ったとすら思えます。煩悩即菩提という蓮華の悟りはそんな意味が前提にありそうです。

 

苦しんでいる人のところにある日突然神様がやってきて、さしたる信仰心も無い人をスパッと救ったとしても、その人のためにならない。また簡単に天国から落っこちてしまう。苦しみから抜け出すために努力する過程を通じて、心が磨かれるので、幾億年という単位で人類を見守っていると思われる。

ちなみに、神様がいるならなんでこんな世の中なのか?という疑問は、以前にも話したように、魂を軸にして考えた場合は、因縁因果ということになり、万物は全て平等だからこんな世の中になっているということです。そして苦しみを苦しみで終わらせるか、心を磨く道具にするかはその人の問題です。

運命によっては救いの機会すらない環境もあります。何代にも渡って幸せに縁が持てない人生だってあります。神様の意思に反発すればするほどそうなります。神様がいるならなんで苦しんでいる人を救わないのかという前に、自分の無信仰さを振り返るのが先です。














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