2006/12/04 21:22:56 |
究極のロハス |
おじさんでありながらアロハ風な花柄のシャツを来ても全然浮いてない。貧相なおじいやおばさんもたくさんいるので、ダラシナイ自分も安心して道が歩けます。やはり沖縄は観光地なのだと思う。ハーフっぽい女の子がいるかと思えば、シミだらけのおばあがヨタヨタ街を歩いている混沌とした光景。平和通りや公設市場近辺など、華やかでも貧弱でも何でもいいところが気楽さを感じさせてくれます。 もう自分も完全なハイサイおじさん状態で街を歩いている。那覇の市場は自分にとって庭のような思い出の世界です。時間が止まったような感じで子供の頃のお店がまだかろうじて存在している。あまり進歩していないところが心を楽にさせてくれます。 特に参考になるのは、90近くもなりそうなシワだらけのおばあが矍鑠と街に出て働いてる姿であり、ものすごく学ぶところが大きい。地味だからこそ周りの人を際立たせ、客人の気持ちを明るくさせているようで、青い海があるとか、青い空があるとか、そんなことより遥かに価値のある存在があのおばあたちです。生きた世界遺産です。 愛想はあまりよくない。そっけないというか、商売する気があるのか無いのか良く分らないほど、たんたんと彼女たちは座っている。
しかし公設市場付近は役所で管理しているようで、おばあたちしか店を出させないらしく、なかなか気が利いております。おばあたちの「島」なのでした。(−−:) 最近学んだのは貴重なモノを入れる瓶(カメ)の話で、沖縄であれば、泡盛。韓国であればキムチ。その他ヨーグルトや葡萄酒や牛乳やチーズや蜂蜜など、そういう生活に根ざした貴重なモノを入れる瓶というか壷は、何故か外観は貧弱に出来ていると言われます。うなぎや焼き鳥の秘伝のタレもそういえば汚ならしい壷に入っています。 そこで人間も外観や生活が貧弱であればあるほど、智慧を身につけることが出来るのだというのです。 昨日テレビで、米国大統領・リンカーンの隠された裏話を知りました。とんでもない恐妻家で、家の中ではまったく威厳のない惨めな生活を送っていたようです。それで虐げられた人の心を学びながら奴隷解放のエネルギーに変えていったのでしょうか? そういえばソクラテスも見事な恐妻家だったらしいですね。世の男性もそういう見地からあらためて自分を見直せば、どうしてどうして自信を無くすことは無いのではないでしょうか?・・・ ものは考えようです。 公設市場を取り囲むように今日もおばあたちは、さながら「瓶」のような役割を持って、ドデンと居座って働いております・・・。
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2006/12/04 12:51:34 |
究極のロハス |
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