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謙虚さ=宗教心
2010/02/15 02:44:03 書庫 究極のロハス


最近、このブログでは直球だけ投げるようにしています。健康や環境問題、音楽もそろそろ「卒業」して、もっとも重要な情報とは何なのか?自分でも考えながら書いていきたい。

ということなので、これまでの暴言は無かったということにしてもらって、これからは真面目に生きようと思っております。



テレビ、週刊誌、インターネットの情報をそれとなく見ていると、やっぱり一番大事なことがあまり語られていない現状を痛感します。

かくいう自分も無意味な話もしていたりして人のことは言えないのですが、しかし優先順位を考えたとき、生活の中で一番必要な普遍的情報は、何かと言うことであり、それは「謙虚」な世界の奥の深さではないかとちょっと思ったわけです。

朝青龍、政治倫理の問題、いずれも高慢さに腹が立ってしまう人間心理が働いている感じがします。官僚の管理体制、経費削減なんだと叫んだところで、お前たちなんかに言われたくないんだと、官僚すら反発したくなるだろうと思います。何億円と言うお金が自然と入ってくるような政治家の身分を見ていると。

声高に改革を叫べば叫ぶほど白々しく見えるわけで、致命的です。自分の管理も全くできないのが何を偉そうなことを言っているんだで終わりなわけで、改革を強く言えなくなってしまっている総理大臣と幹事長を抱えている日本の今の政情は、悲しいものがありますね。

しかしその現象は対岸の火事ではなくて、自分自身の問題として気を付けたほうがいい部分も隠されています。

自分は果たしてどれぐらい謙虚な人間なのだろうかと振り返ることは、それはゲームに嵌っているよりも、経済指標を読んでいるよりも、友達とメール交換しているよりも、政治家を酒の肴にしているよりも、遙かに意味があり価値があるんだけども、なんというかそういうことを語り合うのがクソ真面目でヤボな気がして、さけているところがないでしょうか?


謙虚さは社交辞令ではなくて、どれだけ謙虚であるかと言う深さの問題。


なんとなくヘコヘコしているのが謙虚なのではなく、妙に遠慮深いことでもなく、自分を卑下することでも無いわけで、人が意識するしないに関わらず、謙虚な人ほど人から好かれるし、信頼されるし、人間関係で悩むことは少ないと思われる。作り物の謙虚さは慇懃無礼という熟語で語られるように、付き合えばすぐにバレます。

それなのにろくに考えることがないわけですよ。自分は謙虚なんだろうかと。面白いのは誰も意識していないというか自覚が薄いというところにあって、一番重要な情報であり、もっとも価値の高い世界なんですが、話す場が無いのか、深く考えにくいのが「謙虚」という概念かも知れない。

重要さは誰でも分っています。否定する人は破滅するだけですから、齢を重ねていけば自然と学習させられるものなんですが、謙虚か謙虚で無いかと簡単に区分けしてしまうところに理解できていない世相を感じます。

肝心なことは自分はどれぐらい謙虚なのかということであって、100点満点の何点ですかということが分らなければ分らないほど、分っていないということなわけです。

それで分っていなければ分っていないほど、これからも苦労するということです。

ということだから、出来るだけシャープに分かったほうがいいということです。

謙虚になればなるほど運命が開いていくだろうし、失敗する確率が少なくなって、人生が楽に生きられるようになるんだろうと思います。自分が傲慢だから人とぶつかるし、人間関係を複雑にしていくわけですから。

ある意味自分がお高く止まっているから、素直に話も出来ないし、コミニケーションも常に上滑りしているし、相手がお高くとまっている姿を見れば誰だってウンザリするように、それなら自分の「お高くとまり度合い」をやっぱりチェックすることが、一番賢いというか、一番得なことじゃないでしょうか。

それについて真剣に考える人ほど、仕事もやりやすくなっていくし、失敗もそうそうしないし、人間関係で深く悩むことも無いし、夜もぐっすり眠れるというものです。

ゲームをやり、音楽を聴き、映画を見、馬鹿話をネットでいくらやっても、自分の問題はまったく改善されないわけであって、だから何が一番自分のためになるのか、優先順位をしっかり押さえたほうがホントに身の為です。



数か月に1度、話をする知り合いがいます。この人は東大出身で勉強もしないで入ったぐらいの人なのですが、本物の謙虚な人です。ときどき頭の中はどうなっているのか、割って中身をみたい気持ちになったりします。

小さな警備会社のペーペーのガードマンからスタートし、今は現場叩きあげの警備会社の役員になってはいますが、東大出身者なのに安月給で満足して働いています。考えられないですよ。それだけでもあり得ない話です。

自分のような無学なチンピラからけなされても、オイオイそんなことを言ってくれるな!と謙虚に笑っている人です。そよ風のような性格の人ですね。

昔は東大がどうかしたのか!と学歴のある人を馬鹿にしていたのですが、高学歴な人の中にもこういう欲の少ない慎み深い謙虚な人がいることがわかって、自分の人間観もかなり修正したぐらいです。

表面的な仮面の謙虚さはだいたい分かりますよね。嫌み的であったり、どこかで地が出るわけですが、本当に謙虚さが深い人には、絶対敵わないですよ。あの人にはどうも頭が上がらないと素直に負けを認めてしまいますね。

人は能力を問うのですが、実はです。
謙虚さと言う能力以上の能力は無いです。


自分自身が安らぎの本体になるということの最終的結論は、

実は「謙虚」さです。


謙虚さには深さがあるから面白い。上司の前ではヘコヘコしていて、部下の前ではふんぞり返っている人は意外と多いです。ファンの前では愛嬌を振りまいていて、新聞記者にはぶっ殺してやるぞ!という人だとか、状況で態度が変わるタイプはやっぱり人間として程度が低いし、最終的には干されていく運命にあるでしょう。

でこれは他人事では無いと思うんです。

自分よりも弱い立場の人には偉そうに振舞い、上の立場には蠅のようにモミ手をする人は、部下からも信用されないし、見ていてみっともないし、最後は自分が馬鹿にされ侮辱され孤独になり相手にされなくなります。

逆にです。常に控えめで、相手の立場を尊重し、どんな職業の人の前でも態度が変わらない人は、誰からも信頼され、結局周囲から担がれて、気が付いたらそれにふさわしい地位も与えられ、安定した仕事に就いているわけでしょう。

家庭だってそうです。そういう傾向の男性は奥さんに対しても思いやりが深いです。

謙虚さと思いやりの深さはイコールかもしれない。

そして謙虚さは宗教心とイコールでもあります。

口が悪いけども情があるという人(態度はデカイが意外と中身は可愛い人)は、それは身近な関係で言えることで、謙虚さと言うのは相手がどんな人でも態度が変わらない状態の世界まで階層的に存在するので、そういう意味で本当に奥が深いです。

若い頃は偉そうに振舞っている人に対して喧嘩を売って行くような性格だったです。社長や会長がなんだこのやろう!という感じでしたので、会社もすぐに首になるわけですが、こういうのはやっぱり傲慢なわけですよ。

うぬぼれている自分にまったく気が付かなかったですね。
最近少しは気が付いてきたとは思うのですが、気が付くと傲慢な自分がいるので、基本的には人のことは言えません。



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