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正しい宗教観
2010/02/17 14:56:05 書庫 究極のロハス


基本的に正しい宗教観を持っていないと、精神的成長は深まらないだろうと思われる。なんとなく謙虚になろうと思っても、難しいです。自分を正していくというのが基本だから、信仰心が無いと、その根拠が分りません。

自分を日頃から正していくなんて、そこまでやって何の意味があるの?やっぱり政治家を馬鹿にするのは楽しいし、それを酒の肴にして居酒屋で盛り上がるのが最高だと思ってしまいます。マザーテレサのように何もかも投げ捨てて、貧困者とともに生きていこうなんて思える金持ちはいません。

仕事でスキルアップを図れば給与も高くなる可能性があるから、自分を正す理由もハッキリするのですが、休憩時間ぐらいは勝手にやらせて欲しいと思うのが普通です。

道徳的な一般論だけでは限界があり過ぎます。キリストのように命をかけて深く追求することが出来ないし、そもそも意味が分らないわけです。

ようするに神様とか仏様と言った存在が理解できない。昔の日本人は当たり前のように信じていたんですが、科学の時代に入ってお伽話の世界になってしまった。しかし現代でも神仏を信じている人は日本に何千万人といます。

特に農業だとか漁業だとか自然相手に仕事をしている人は生活がかかっているので、神様への畏敬の念は自然と湧いてきます。世界のお祭りのほとんどは神々に対する祭事なわけです。熱心な新興宗教者で無くても、なんとなく人知をこえたものが感じられるわけで、都会人はその点鈍感になっているかも知れない。

実際見たことも無いと思うし、私は神様だと言っている教祖を見たら、頭のおかしい馬鹿な連中が信じるのが宗教なんだろう思ってしまいます。実際低級な宗派はたくさんありますから、それを見て私も若い頃はそう思っていました。

しかしながら、そこはハイリスクハイリターンなのであって、徹底的に追求していくと本物に巡り合う日がいずれ来ると思います。

追求するというのは、誰しもいろんな疑問を持っています。社会の矛盾もその一つですが、魂の存在を信じないと理不尽な社会矛盾が解けないわけです。不平等さが説明できません。

障害を持って生まれる、生まれながらにして大金持ち、生まれながれにして天才、北朝鮮のような国に生まれることの不幸さ、美しく生まれる人もいればそうでない人もいるし、ある日突然爆弾が落ちてきて家族全員死んでしまう、悪そうな人が社会にのさばっている現実、親の七光りで安定した情操教育も受け、有名な大学にも行け、楽な仕事も与えられ、周囲からも常にヨイショされて生きている勝組的人々もいれば、最低の生活を一生やって行かなければならないような運命の人もごまんといます。シビアに見れば見るほど理不尽で不平等です。実態を知れば知るほど、格差があり過ぎることが分ってきます。

政治家があれこれ議論して頑張っていますが、果たしてこういう問題が解決できるでしょうか?まったく不可能なはずです。それなのに国民は何を望んでいるんでしょうか?

こういった現象をして人類は平等だとどうして言えるのかあまりにも不完全で矛盾しています。ひねくれたくなる青年、心が冷え込んでしまう少女がいるのも至極当然であるし、境遇が悪ければ悪いほど、真面目に生きるのが馬鹿みたいに思えるでしょう。

どんなに正義感を持って平等な社会を作り出そうと努力しても、個人が出来る範囲は1万分の1の改善でしか無く、しかも一生怒りながら苦労しなければならない。しかも社会の疑問に一切まともに答える力もありません。どう考えても無力で儚い。

ところが、不平等に満ち満ちたこんなどうしようもない社会現象も、たった一言で解答が出せます。つまり「魂」の存在です。人間は生まれ変わりながらいろんな境遇を通じて修業していると考えれば、全て綺麗に説明がつきます。

ある時は奴隷の修行、ある時は犬の修行ということもあったかもしれない。もちろん罪を犯せば犯すほど来世はとんでもない状態になるかもしれない。

人類の祖が書いたとされている、マヌ法典には、こういう罪を犯したらどういう生物に生まれ変わるかという記述まで残っています。

それで自分の場合、そういうことなら真剣に生きないと自分が損をすると思えたし、別に誰から誘われるまでも無く考え方を180度変えました。1日で、彷徨える孤独な不良少年から前向きな方向に変わったです。

いったい自分は20年間何を考えて生きていたのだろうかと、愕然としたことを昨日のことのように覚えています。それまでさんざん親不幸を繰り返し泣かせていたので、1日も早く自立して親を安心させなければと思った。

あれから30数年が経っています。でどうなったのか?

基本的に社会に対する疑問が無くなった。それから羨ましい人が存在しません。どんな有名人を見ても普通にしか見えない。

明日癌で死にますと宣告されても、驚きもしないです。うちの母親が死ぬ時も、またいつか会おうねということで悲まないだろうと思う。あっさり死ねず自分が難病にかかったなら、こうやって文字を書くまでです。誰もうらやましいとは思わないです。

また平等だと思うから、人を羨んだり妬んだりする思いが湧いて来ないです。先々の不安も感じない。最悪の時は聖者の修行をすると思って、超貧乏生活をするまでです。

ですから、キリスト教でも仏教でも新興宗教でもなんでもいいので、1年ぐらいでも本気になって追求してみるといいです。

程度の低い団体だと思えば、先に語ったようにどんどん「卒業」していけばいいわけで、そのうち本物に巡り合うわけです。運が良ければ今生で、運がなければ来世で巡り合うでしょう。謙虚に努力した分量、平等に報われるのが宇宙のルールであるし、イイ加減に生きれば生きるほど運命は最悪になっていくだけです。

魂の存在を信じないと、平等の意味は分らないです。どんなにスーパーコンピューターを駆使し、世界の全ての学者を総動員しても、何一つ答えられません。解決策も無いです。

しかし無学な頭の悪い人間ですら、魂を信じ切ると、全て平等であると簡単に答えることが出来ます。魂を信じるという人はたくさんいますが、これもピンからキリまで段階があって、ここでも一番肝心なことは、どれだけ「謙虚」に信じ切れるかです。傲慢な思いで信じたら、自分を破滅させるでしょう。

神信心もそうで、傲慢な思いで信じたら、とんでもないことになります。私は神様のお使いだ!我々は天使だ!これを買えば救われる!などと、愚かなことを言い出すわけです。

「謙虚」さが全ての基本であり、それでタイトルも、「正しい」という形容詞がついているわけですが、謙虚=正しさ ということが納得出来たら、魂は信じたほうが身の為だということが分かると思います。




 



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