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役者と観客
2010/02/19 01:12:42 書庫 究極のロハス



有名人と言う目立つ世界で生きている人の真理に対する理解力は、普通人と変わらない。こういうと何を偉そうなことを・・・と思われそうですが、これも自分が言っているんでは無く、人間世界はそういう風に出来あがっていると言うのです。

つまり文化人とか有名人も私たち普通人と人間のレベルは変わらないということです。当たり前といえば当たり前ですが。

実際にこれまで何十年とテレビだとか情報誌を通じて人生観と言うか信条のようなものを見聞してはいるのですが、言葉の深さを感じた事があまりないので、自分の経験上もそういえる。

そうか!人間はそういうとらえ方をしないといけないんだなあ・・・と痛感させられる話をメディアを通じてわたしはあまり聞いたことがありません。


有名人になるにはそれなりの才能が際立っていることが多いですから、その点は素晴らしいのですが、もっと重要なことがあって、それは地味に生きるという姿勢だと語られている。

特に聖典のような世界になると華美な世界というか、賑やかな世界はあまり相手にしないような記述もかなりあったりします。

たとえば、人間は地位とか人気で人の話を聞いたり信じたりするんですが、これも差別意識の典型だと釘を刺しています。

どこどこの大学の先生だからとか、ノーベル賞もらった先生だから、とか、世界的な芸術家だからとか、あるいは今とっても人気のある芸人だからとか、それでうやうやしく人生論を拝聴するみたいな空気が大衆意識として常にあります。

しかし日常は旦那の言うことなんか鼻から聞きません。奥さんの話なんかバカらしくて聞きもしません。身近にいる人の話なんか、とても聞いてられない。そこで聖者は語る。そんな人間は死んだほうがマシだと。

猫であろうが犬であろうが人間であろうが、同じ生命体として平等な存在でしかなく、頭がいいとか悪いとか才能があるとか無いとか、そんな価値は基本的にどうでもいいとこっそり忠告しているわけです。

そんなことを言われると努力する気も無くなって来るのですが、だからこっそりと忠告してます。

どうしてこっそりなのかというと、俗世は自分の栄光を追求することに生きがいを持っています。しかし真理を学ぼうとする人には、自分の栄光を捨てることが求められるわけです。自分の栄光を求めるから苦しむというのが真理ですから。

ここに大きな考え方の断層があるわけですよ。真実を求める世界と真実を求めない世界の。

そこで最初の頃に話したことを思い出してほしいんですが、人は最終的に安らぎを求めていて、そのための手段としてあれこれ望むわけです。

現実の社会は知識や才能も要求される時代ですから、それはそれで努力しないといけません。仕事を得るには時代の流れには逆らえません。問題は知識や才能で幸せになるわけではないと教えています。

分けて考えないとOUTだと言っています。いい大学を出たら幸せになるとか、才能があったら安らげるとか、安定した職場につけば幸せになるんだとか、結婚すればなんとかなるんだとか、金メダルを取ることが自分の全てだとか、価値の区別もつかずに勘違いしたら、何の意味も無いですよ、と言っているわけです。

何が大事で何が二義的三義的なものかを、しっかり区別をつけて生きないと自分が苦しむんだと。

どれだけ謙虚なのかが問題なのであって、謙虚さも無く才能だとか金メダルとか成功を求めても、最後は破滅するよと忠告しているわけです。


舞台の演技者は華やかです。目立っています。しかし観客は暗い世界に居てそれを鑑賞していますが、観客は役者さんより人間的に劣っているんでしょうか?違うでしょう。

真実というか本質、最高の知識はむしろ華やかな舞台上には少ないかもしれない。マスコミと言う舞台、政治と言う舞台、有名人と言う舞台があるだけであって、そこのドタバタ演劇を通じて我々観客を楽しませてくれたりヒントになる情報を伝えてくれる存在です。

答えは目立たない地味な世界にあって、賑やかな外の世界にあるわけではないので、人生は挫折したほうが本当は運がいいかも知れないし、質素な生活者でないかぎり、真実に巡り合う機会はないです。


意外な話かもしれないですが、こういう話を知識でも知っていると、見かけで人の話を選別することも無くなるし、闇雲に自分の名声を求めようとも思わなくなるし、生き方だってゆったりしてくると思います。

人生の見方、人間の見方、子供の見方、自分の見方、全部変わってくるし楽に見れるようになってくると言います。





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