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抑制の美学
2010/02/26 18:48:48 書庫 本当の省エネ


今日はフィギアスケートの決勝戦ということで、楽しみにしていました。どうなることやらと見ていましたが、やっぱりという結果になってしまいました。

技術は浅田、表現力はキムヨナ。オリンピックでは点数の付け方に多少問題があるのか意外と大差でしたが、基本的にはイイ勝負の二人だと思うんで、これからも頑張って欲しいですね。若干コーチの考え方に差が出たということじゃないかと思います。

それにしても新聞のラテ欄を見ていると、逆転金メダルの見出しが軒並み躍っています。生ライブを見ていた人はさぞかし息を飲んで応援していたんじゃないでしょうか。わたしも自分の娘が踊っているような、ドキドキ感で見てしまいました。

ですが終わって見ると、意外とあっさりしたものです。多少予想はしていたので、そうなのかも知れないですが、ただやっぱり日本人が感じているように、「勿体ないなあ・・・」という思いはあります。個性を殺してしまったような気がします。

思うに彼女は典型的な和風美人なので、意外と浄瑠璃的な操り人形の無表情さが面白い気がしました。彼女のことを能面のようだと悪口を言う人もいるのですが、逆にそれを武器にすることも出来ます。写楽絵のような多少寄り目な顔を時々しますね。

キムヨナの物憂げな表情、すねた表情、男性を誘惑挑発するような表情、コケティッシュな表情、こういう人間臭い表情は現代劇的ではありますが、日本には抑制の美学があります。これからみんなキムヨナ風表情たっぷりの現代劇のほうを追求するはずなので、一人逆を行ったほうが目立つと思います。戦略的にも面白いと思うのですが・・・。

アイススケートに生かせるか分りませんが、彼女には日本調の気品のある世界を一度挑戦して欲しい気がします。

もったいないですよ。素晴らしい文化があるのに。












 



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沖縄の宗教とユタ
2010/02/24 14:57:35 書庫 沖縄の宗教とユタ


沖縄の宗教とユタについて

沖縄の宗教
というと有名なのが「ユタ」が挙げられる。もうひとつは仏教と道教の影響を受けた先祖供養で、亀甲墓という共同墓もあちらこちらに見受けられる。

その特徴や考え方については細かく説明するほどのものでも無いと思っています。民族宗教文化論を語るためのブログではないし、それはすでにいろんな人がやっているので、お任せします。

ところで自分の母親もユタ的な才能を若い頃は持っていたようで、あの世の霊と会話したり、霊視したり、あるいは予知のようなことも自然な感じで出来たようです。

自然な感じというのは、別に宗教的祭壇を設けてとかでなく、日常生活の中で見えたり聞こえたりしたらしい。まあ今でもそういうところはあるのですが、普通人として生活しながら、たまにあの世の霊(親戚関係)と会話していたりしています。

「さっきお爺さんが来ていたから、話したんだけども・・・」といった感じで、ごく自然な感じです。

昔からそういう体質を母親が持っていて、いろんなエピソードも聞かされているので、あんまりあの世の者とあれこれ話さないようにと釘を刺すこともよくあります。だいたいそのあと体調を崩して寝込んでしまうことが多いので。

そこでユタなんですが、いったい正体は何かですが、基本的にご先祖さんの魂の霊的干渉であれこれやっているもので、基本的に神様というわけではなさそうです。こんな簡単に言うと失礼なんですが、本土にもノロという霊媒師の女性たちがいるのですが、高級な霊はほとんど関わっていないようです。

私の母も若い頃才能?があったので、何度か知り会いに引っ張られてつき合ったようですが、二度ほどユタのおばさんから、あなたは怖いから早く帰って下さいと言われたらしい。ユタを指導している霊が怖がっていたらしい。たぶんですが、私の母のほうが霊位が高かったかもしれません。

次に沖縄の先祖供養ですが、仏教系のものと道教系のものがミックスしている地域もあったりします。どっちにしても、先祖代々の魂をねぎらい感謝するための宗教行事ですが、今は信じてやっているというよりも、親族の集いのための年間行事といった扱いになっているので、さぞかしあの世のご先祖様も虚しさを感じていることでしょう。

今の日本人は魂の存在を信じているのかどうなのかよく分らないで生きている傾向があるのですが、これはもったいない話ではあります。

次元の違う世界がとにかくあって、魂の存在、つまり自分の本体は魂で、その延長線上に神仏的存在があると思えば、科学的に説明不能なものもすんなり信じられてくると思われる。

科学は物質を分析する世界なので、物質を超えた世界については万歳せざるを得ないです。物質宇宙は精神宇宙の4分の1の領域だとも語られているので、残りの4分の3の次元の異なる世界は霧の中に隠れています。

現代科学では脳が全てだと解釈しているので、精神も物質の一部だと考えています。だから死ねば精神も死ぬと考える。ですが心情的にこれでは納得出来ないですよ。人が死んで、葬式に参列して、ハイもう精神も何かも死んで無いのですと思えるとしたら、心の薄情な人でしょう。

「きっとお母さんは天国で見ていると思います。私の心の中で生きています・・・」と大概の人は思うわけです。そして何かと位牌に手を合わせるわけです。死んで何も無いなら手を合わせる必要は無いでしょう。

心の世界を観察すれば、物質宇宙に精神があるんじゃなくて、精神宇宙の中に物質宇宙が浮かんでいるという理解のほうが正解のようで、有限の物質宇宙の外側は、いったい何なのかです。

物質宇宙は儚いです。「」という概念があるからですが、しかし「魂は不滅」だということになると、これほど凄い話はないです。私たちは死なないのですから。

考えたら凄い存在が生命の本体なわけですから、強く生きなければならない理由も、手を抜くと損する理由もなんとなく感じられます。自分自身不滅であるということだけでも、ほんとに素晴らしい話です。

今の科学で証明出来ないからといって存在しないのだと言い張ること自体、科学的では無いし、理性的に語るなら、「宗教のことは専門外なので良く分らない」という言い方をするのがまともな科学者だと思われる。

アインシュタインですら、物質宇宙は、思いのようなもの、精神的なものによって動かされているのではないかと語っているぐらいです。

ただ理解を難しくさせているのは、霊魂の世界は普通は見えないだけに、神と悪魔の区別が付かない点でしょう。

だいたい神とか悪魔といっても、99%は元は人間です。人間だから奇人変人いろいろいます。それが死んであの世に帰って、生きている人間に化けて干渉してくると、なんでもかんでも神様だと思って言うがままに動かされる人も多いです。

かくして訳の分らない宗教宗派が乱立して、理性的な人々に不信感を与えている現実は否定できません。

ところで宗教のレベルを判断する基準があります。ぜひ参考にしてください。
http://blog.goyah.net/crita/45293-msg.html
















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