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あの世のしくみ
2010/03/01 12:52:04 書庫 究極のロハス


今日は旧歴の16日、話によるとあの世のお正月だとか。そこで本日はあの世の話を少し紹介します。

唯物的に考える癖を身に付けているのが現代人だと思われる。特に科学的な学問で育っただけに「魂」とかいうとお墓の周りでフワフワ浮いている幽霊みたいなものかと、感じている人もいるかも知れません。あるいは小さな風船のようなものなのかと、物質的に考えようとします。

そこで分り易く魂をイメージ化するなら、天使のような姿だと思ったらいいです。自分の本体は美しい美男美女だと。中にはそういう話なら、それなら信じるというちゃっかりした人もいるかも知れませんが、まんざら間違いでもないと思われる。問題はその美しい存在でも、心が汚れてくると汚い化粧(仮の体)を作り上げて、醜くなってしまうということかも知れない。

魂という響きなりイメージが暗いのは、この世で確認しやすい存在が幽霊やお化けが多いからでしょう。物質に執着している魂は、地球にへばりついてしまうので、大地にへばりついている人間に発見されやすい?わけです。だから魂というとイメージが悪くなりがちですが、汚れの少ない高級な魂は、地球という天体から卒業しているので、美しい姿をなかなか見る機会がないわけです。

大事なことはそういう外形なり仕組みを好奇心で詮索するよりも、魂は修業するためにこの娑婆に再生してきているということであって、それは謙虚な自分を作り上げる目的以外、それほどの価値は無いということなのです。

魚や昆虫ですら魂の修業をさせられています。昇進していけば人間にもなれます。しかしその人間といえども傲慢になれば、豚や家畜、昆虫や魚にだって降格させられる。人によっては地獄という刑務所に閉じ込められるのもいる。信じられないですが、自然界はそういう仕組みだと本当に信じられれば全て平等だと思えるから、不平不満が消えてしまうのです。

証明出来ていないから信じられないと考えるよりは、理屈抜きで全ては平等だと信じたほうが不平不満が無くなって楽になる筈ですから、実務的に得するほうを選んだほうが賢いんじゃないですか?不平等だ!理不尽だ!損したんだ!と愚痴を言っていてもストレスを溜めて病気になるだけです。

老後はのんびりと羽を伸ばして楽しもうなんて考えていると、人間失格になる可能性もあるので、息を引き取るまで一生懸命勉強しようと自然と思えてきます。犬や猫になったら学ぶ能力は何十分の一になってしまいます。

自分が勿体ないと叫んでいるのはその点で、せっかく努力しているのに正しい信仰心が無いばかりに、却って運命を悪くしているからこんな損な話はないです。











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無意味な生き方と死に方
2010/03/01 12:11:58 書庫 究極のロハス
前回のつづきです。

人間は努力もするがそれ以上に怠慢、無秩序な言動が優性に働いているのが現代社会だと言いました。プラスマイナスしたら、マイナスの磁場が強いと。

だからそれがどうかしたのか?ということになるわけですが、プラスマイナスゼロどころか、負の要因が強いとなると、さながら財政赤字の垂れ流しみたいな人生でもあるので、いずれ自分も国も破滅するだろうと言うことです。

それは正しい宗教心を持っている人はいいです。そういう人なら自己を犠牲にする真意も理解出来るので、マイナスの多い生き方はしないでしょう。そして死ぬまで人のために必死で努力すると思われる。

問題なのは隠れキリシタンのように信仰している人が多く、一般世間ではその見極めが出来ないので、善と悪の区別が付かないためにひたすら無駄な努力をするわけです。これは本当に悲劇ではあります。

坂本龍馬という人はきっと日本のためならいつ殺されてもいいと覚悟していたと思います。魂を先天的に理解しているからそう思えるわけです。そしてそういう生き様を見て凄いなあと日本人は思うわけですが、わたしはそれほど凄いとは思わないわけです。

当たり前の話です。そういう生き方で当たり前なんです。何故なら魂は不滅だから。

彼の良さはゴツゴツしたあの時代にありながら柔軟に動いた感性が素晴しいんであって、お国のために命を捨てられる人は、当時掃いて捨てるほどいたわけですよ。

何が価値があるかと言うと、努力することでなくて、その動機にあります。

日本民族はもっとも優れている。他の民族は劣悪である。よって負けないんだ!といって努力することに意味があるかです。鉄砲玉みたいに派手に死んで行くことはヤクザでもテロリストでも出来るわけで、それは素晴らしいわけではないでしょう。

努力そのもので価値は云々出来ないわけで、どういう動機で、それをやっているかが一番大事なのに、その点あまりにも考えなさ過ぎます。

嫉妬やひがみのエネルギーでどれほど人間を動かしているか、想像を絶するものがあるのですが、そのエネルギーの中で翻弄されている間はなかなか気が付かないし、リタイアしてから見えてくることが多いんじゃないでしょうか。

その点正しい信仰心があると、自分の行動に疑問を感じる感性が鋭いです。いったい何のために自分は生きているのか真剣に考えるだろうし、動機の純粋化を追求していきます。

表面は似たように努力しているんですが、中身が全然違うわけです。表面しか見ない人はだから動機に気が付かないで行動していることが多いので、それは勿体ない話だとつくづく思うわけです。

世の中沈黙の信仰者が多いので、こういう話はあまり表に出て来ないと思うので本日紹介しました。

どんなに死にもの狂いで、自分の命をかけて努力しても、無意味なものがあるということです。









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