2010/03/09 17:39:43 |
究極のロハス |
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家も無い、まともに教育も受けられない、親もいない、周囲の人からゴミを見るように扱われる、子供であるのに毎日罵られ追い払われ、そんな境遇でもし自分が生きたとしたら・・・と考えると自分の薄情さと能天気さに救いようのないものを感じます。 先日終戦直後の孤児のドキュメンタリー番組があった。まだ沖縄の話ですから学校の先生も一生懸命面倒見ていることが救いでしたが、親がいないですから一人一人貰われていくことになります。 貰われた頃は育ての親となる家族に対しても、文句一つ言うこともなく、いつも遠慮した生活で、そのせいで社会に出ても怒ったことがないという老齢の方がインタビューを受けていました。その慎ましい性格に頭が下がる思いがしました。 思うに日本人は先天的に自分を慎む気質が備わっている気がします。チリ地震報道で、スーパーでの略奪の凄まじい映像が流れてきますが、日本では考えられないです。チリ政府はそこそこに治安も安定していたはずなのに、あーなってしまうのですから、そういう部分を見ても日本人は恥ずかしい行動を露骨に表すような民族ではなさそうです。 といっても世界を見ると、将来も真っ暗闇の運命を背負っている子供たちが何億人といます。マザーテレサは、苦しんでいる者は全てキリスト様だと思っているとインタビューで答えている場面を見たことがあります。 信仰を持っていない人は何のことか意味不明な発言ですが、たぶんですがキリストが弟子たちの足を洗う場面があり、こう言うわけです「わたしがしているようにあなた方もしなさい。身分が低く苦しんでいる人にこうやって仕えていくのが正しい信仰者です。」と。 とかく人間は地位や名誉の高い人や金持ちにかしずく傾向があります。そして自分よりも身分が低いと顎で使う傾向もあります。しかし本当はそういう人たちの心の中にキリストが住んでいると見て謙虚に仕える人間になれなければ、神を信じているとは言えないということなのでしょう。 つまりマザーテレサは死をまじかに迎えた明日をも知れない貧困者に対して、奉仕をやってあげているわけではなく、キリスト様の足を洗わせてもらっている、自分が奴隷のようになって神様に仕えさせて頂いている、なんて有難いことかという思いなわけです。 正しい信仰を持っていない限りこういう心境にはなれないです。 もしあなたの目の前に正真正銘キリストがやってきたとします。そしたら信仰心は無くても、たぶん必死で身の回りのお世話をすると思います。なにせあの有名な神様ですから。もう奴隷のように働いても嬉しいでしょう。 だから苦しんでいる人をキリスト様だと思えれば、毎日神様のお世話係がやれてなんて幸せなことだろうかと思えるわけです。そういう人間になりなさいとイエスは語っているわけです。神様を本当に信じているなら、出来るのが当たり前でしょうと語っているわけです。 コメント(0) トラックバック(0) |
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2010/03/09 14:12:31 |
究極のロハス |
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