2010/03/10 14:12:01 |
究極のロハス |
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もちろん社会秩序が乱れてもならないですから、犯罪者は刑務所に入れなければならないですし、殺人であれば死刑を与えたほうが魂の未来のためになりますが、この世は不完全ですから、正当な裁きは人間には不可能に近いです。しかしだからといって感情的に人を裁く権利は無いということです。 つまり静かに自分を正せばいい。自分自身の乱暴な心が一番の悪だと思って、自分を戒めていけるかどうかです。そして謙虚さを深めていけるかです。難しいノルマも無いです。何もエベレスト山に昇りなさいと神様は言っているわけではありません。人間として何が一番大事なのかを知ればいいだけのことです。 現代人はあまりにも基本を無視しています。信仰者ですら基本を知らないのが多いです。自分の陳腐な欲望を神様にお願いするために神様がいるわけではありません。無執着が一番心が楽なので、本当に楽になりたいなら、そうなるように努力するしかないし、そのために神様にお願いするのであれば、その願いを叶えてくれると約束しています。最高の幸せを与えてくれると。 しかしそういっても人は疑問を感じるわけです。ある夢を叶えたいと思っているとしたら、その夢という執着を捨てないといけないのか?と考える人もいます。実は20代の頃自分も悩まされました。夢や希望は所詮は執着の類でしょうから、それは諦めなければならないのか、と迷ってばかりいました。 そこで釈迦の少欲知足の教えが救いになった。いきなり全ての執着から卒業することは不可能だし、一生かけても無理だと言われています。ですから夢や希望を達成するために努力すればいいわけです。人間の執着の対象は一つや二つではないですし、108ぐらいあるかも知れません。ですから出来そうなものから卒業していけばいいということです。お釈迦様はそれを教えているわけです。少欲知足が語られる根拠です。 ちなみに釈迦は自分の過去をずっと追いかけることが出来たようです。6神通力(天眼、天耳、他心、宿命、神足、露尽)を持っていたようです。その中の天眼通力を一つだけ紹介すると、ご自分の過去の全てを追いかけて見ることが出来たようです。数百回分の転生の過程を全て見ることが出来たようです。それが前生物語となって残っています。 それだけじゃないです。人の前世もどこまでも追いかけて見ることができたようです。100年前はこう、200年前はあそこ、300年前は何とかという名前で生まれ、そこで今の娘と結婚し、子供を何名生んで・・・という感じでどんな人の過去も徹底的に見ることが出来たようです。釈迦の天眼通力とはそういうレベルです。 そうやって魂の流れを追いかけて行った時に、全て原因と結果によって人の運命は決定されているということを如実に悟ったわけです。悪を犯せば、それは必ず来世に結果される、良いことをすればそれは必ず幸運を招くということが、ご自分と人の転生過程を調べた結果として納得され、因縁因果の教えを説いていかれた。伊達や酔狂で語っているのでなく、他人の受け売りでも無いのです。 ですから冒頭陳述はお釈迦様が語っていることなのです。
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