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マザーテレサは間違ったものを信じていたのか?
2010/03/14 23:54:11 書庫 究極のロハス

マザーテレサの信仰心

NHKで日米同盟について討論番組があった。普天間基地の話も出ていました。私の感想は、あーやって口論ばかりしあって民主主義はまとまるのだろうか?ということをいつも感じます。

たった一つのテーマですら主義と主張が空回りしているわけですから、社会問題満載の現実世界が穏やかに収まる日がくるのは絶望的と言っていいですが、しかしこの物的社会しか信じない人たちにとっては、本当は何も問題は無いのに、感情を爆発させる大問題につながっていきます。

魂は不滅です。すべて平等です。頭に血を昇らせて騒ぐような問題は本当は存在しません。問題問題と騒ぐその人の思想が問題なのであって、神様が存在しないかのように闇に隠れているのは、それを象徴しています。

しかし現実はさまざまな組織の中に組み入れられて生きているのがほとんどですから、真理はこうですと言っても感情が収まらないでしょう。不平等だ、格差社会だ、理不尽だ、可哀そうだと感情移入して正義の味方のつもりのうぬぼれた自分が爆発してきます。

本当に苦しめられている人は無数に存在します。お前はそういう人に問題は何も無いですと言うのか!と怒鳴られてしまうかも知れないですが、その人は被害を受けているのだと思っているのですからその場にあっては慰めるしかありません。問題はその中で唯物問題が解決して満足してあの世に帰れるのは何パーセントいるかです。大半は世を恨んで死んで行くしかありません。それでいいのかということです。

奴隷になったら次は優雅な生活という具合に、不条理の体験は来世で幸運を呼ぶように宇宙は平等に設定されているので、それを素直に信じて相手を許すことが一番運がいいのです。

マザーテレサの弱者救済は従来の奉仕精神とは考え方が全然違います。彼女は苦しんでいる人は神様の分身だと思っていて、その神様にお仕えし、自分は身分の低きお世話係だという敬虔な心しかないですから、平和で幸せなわけです。そしてその微笑みを見て病人は癒されていくわけです。敵も対立相手もいないのです。同じ奉仕なのにまったくレベルが違う。

この違いをぜひ知って欲しいわけです。謙虚さが全く違うのです。それこそ宗教心がなければ不可能な話でしょう。いきなりこういう心境にはなれるものではないのですが、ミニマザーテレサがたくさん出てくると本当に世の中は変わってくると思います。

もちろんいきなり嫌いな人に奉仕するなんて考えられないのですが、神を信ずれば信ずるほど、魂の絶対性を信ずれば信ずるほど、嫌いな存在は無くなっていきます。苦手な存在、恐怖の存在が居なくなってしまうのです。環境がどんどん変わっていく面もあるし、自分の考え方が炎の洗礼を受けるようになって、相手がだんだん神様に見えてくるのです。

私たちの目の前には何枚ものベールがかかっていて、信仰が深くなるにつれて1枚1枚ベールが取りはずされ、神様の世界が見えてくるのです。目に映るものはその人の心の鏡だと言われています。自分の心がドロドロしていると何でも汚く見えるし、人に対する感謝の思いで胸が一杯になっているときは、周囲は目映く輝いているんじゃないでしょうか。

ぜひ思い出してください。














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