2010/03/13 23:12:07 |
究極のお伽話 |
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究極のお伽話 そしてこれからも一つの存在によって全宇宙は回転しているのであり、この大宇宙を人差指で皿回しのように回している童子がいるというわけです。現代人からすればこれほどのお伽話も聞いたことは無いでしょう。 たぶんこれを読んでいる人はそんな馬鹿なと思う人ばかりだと思いますが、全知全能の存在を映像的イメージで語ればそういうことなのだろうと感じます。少年という姿が実に心憎い演出です。 最近ネットゲームに嵌る廃人が増えてきたらしい。自分でも病気だと思っているが止められないそうです。戦闘ゲームが多いのでしょうか?自分はテレビゲームもネットゲームもやったことが無いので分らないですが、同じ空想的なものだとするなら、創造主に嵌ったほうが100倍得だと思うのです。 人間の究極系を信じていく、知っていく世界ほど、幸運なことはないです。 コメント(0) トラックバック(0) |
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2010/03/13 02:56:24 |
マグダラのマリア |
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マグダラのマリア 前にも話したですが、楽な境遇の人は魂が幼さない人が多い。逆に厳しい境遇の人は神に目覚める可能性が高いです。早い時期から賢者の言葉に惹かれたり不条理な世の中に疑問を感じ、自分で知らぬうちに厳しい道を選んで行くようでもあります。 人生1回ぽっきりであれば、一番楽するように悪賢く生きればいいわけですが、魂は不滅なので、安易に生きたら最後、無意味な人生を歩くことになってしまう。 ところが果たしてどれぐらいの人がこのことに気が付いているかです。まさか生きていることが無意味だとは誰も思わないです。確かに努力もするし人のために尽くすこともあるのですが、人間の99%は生まれてくる前の状態よりも魂を汚して帰ってくるというのが実情らしく、正直驚きました。99%が魂をさらに汚してあの世に帰ると言うのです。 そう考えると誰もが羨むような家庭だからと言って、自慢できる話じゃありません。才能が認められて輝かしい栄光をつかんでも、威張れる話ではない。次の世はその反動がやってくるからです。 そもそも自分がこういう宗教的な話をする気になったのは、実はこの一点に尽きます。創造主の書いた聖典だけでは無く、無信仰な生き方がどれほど無意味なのかあらゆる聖者が忠告しているのです。釈迦しかり、キリストしかり。 社会混乱の元凶は「性の乱れ」だと語っています。不誠実、無責任、偽り、怒り、破壊、裏切り、猜疑心、恨み、妬み、自暴自棄、さながら悪のデパートなわけで、厭らしい映像が流されれば流されるほど社会も子供も精神異常化していくでしょう。 娼婦だったマグダラのマリアはイエスを見て神様が本当に存在することを知り、自分の罪深さに怖れおののきます。その後キリスト様命状態で着いていくのですが、ある意味イエスを知った時点で罪は消えていました。鍵はどこにあるかというと、神様が存在することを100%知ったからです。罪深い人ほど自分の運命を思うと衝撃的なのです。なまじ中途半端な善人はどこまでも迷います。まさに仏教の悪人正機です。 キリスト教では魂の転生についてほとんど語らないですが、死後地獄や天国があるということは、自分の魂の存在自体は信じています。まともな信仰者なら魂の不滅は信じているでしょう。それで十分ではあるのです。マザーテレサの行為を見れば分かるように、万人に仕えるつもりでやることをやればそれでいいわけで、それ以上の理屈が必要の無い人には必要はありません。 ちなみにイエスは魂が転生していることぐらいは百も承知しているわけですが、伝道期間があまりにも短かったので弟子たちに細かく教えている機会が無かったようです。しかし語っている箇所もあるらしく、聖書編纂の際に外されたようです。神学者が理解不能であったからのようで、それの資料は聖書外伝としてローマ教会の倉庫に眠っているそうです。聖書には内伝と外伝の二つがあるそうで、普段使用されているのは内伝だそうです。 ただお願いしたいのは、仏教とキリスト教の違いをそれぞれの信者に確認を取るのはヤボなのでぜひ避けてください。あー言っているから間違いとか、だから信じるに値しないとかでなくて、謙虚な人であれば立派なクリスチャンであり、仏教徒です。教義教説が細大漏らさず完全な宗派なんてそうそうあるものではないです。 いずれにしろ現代社会は肥料に問題があって死んで行きそうな木です。政治、経済、教育、と枝が枯れ始めているわけですが、その1本1本を何とかしようと絆創膏を貼っても治らないかもしれません。 本当にどうにもならないのです。死んだら全てパーになるという価値観の誤りに気が付かない限り。
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2010/03/12 20:11:09 |
煩悩即菩提 |
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ところで人間を自由に委ねている理由がもう一つありそうです。それは仏教では煩悩即菩提という考え方で伝わっています。美しい花が咲くのは泥のような成分が養分となっています。純粋な真水では植物は育ちません。もちろんこの話もお釈迦様から誕生したのでは無く、それよりはるか以前の太古の口伝で語られているものですが、泥沼の成分だから美しい悟りの花を咲かせると言うのです。 その成分とは人の煩悩であり苦しみや悲しみの体験です。そういう体験をするから心の深さが分かる。そしてその苦しみから離れるにはどうしたらいいか努力もします。そこで釈迦のように動物の悲しみを理解するために、わざわざ動物になって生まれてきたりして彼らを救う仕事をされた。 屁理屈が好きな人間には、かくかくしかじかでこうだから、だから仏を信じなさいと言えるのも、そういう人たちを救うために、ご自分が屁理屈好きな人生を過去に歩いた経験をされているから説得力を持って語れるわけです。 お金持ちが貧乏な人に人生は金では無いですと言っても、なんの説得力もないでしょう。美しい人が人間は見た目では無いですといっても、虚しいわけです。それを証明するには自分がその境遇の中で生きる必要があるし、そう言った苦労を重ねた中で、いわば智慧が身に付いてくるというのです。 お酒で苦しんでいる人には過去に酒で苦しんだ人の話を素直に聞けます。不良でいじけている人にはかつてそうだった人の話を素直に聞けます。そう考えたら今の私たちの苦しみもいずれ人の役立つ時が来るのでしょう。 創造主がいちいち人間に干渉しない理由は、欲望による苦しみや悲しみを乗り越えていく努力が人を助けていく肥やしにもなるので、てっとり早い救いの行動を取ることは、豊かな情感と成長と大きな感動の花を摘むことにもなって、魂のためにならないということなのです。 神様は全知全能ですからご自分一人ですべての問題を解決する力はあるけども、出来るだけ多くの魂に救済の仕事を担って欲しいと願っているでしょうし、またそのために生物を作ったとすら思えます。煩悩即菩提という蓮華の悟りはそんな意味が前提にありそうです。 苦しんでいる人のところにある日突然神様がやってきて、さしたる信仰心も無い人をスパッと救ったとしても、その人のためにならない。また簡単に天国から落っこちてしまう。苦しみから抜け出すために努力する過程を通じて、心が磨かれるので、幾億年という単位で人類を見守っていると思われる。 コメント(0) トラックバック(0) |
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2010/03/12 11:38:13 |
本当の神様の力 |
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と言いながら主は自由自在ですから、小さな人間として生まれてくるときもあります。そのときはやることなすこと桁が違う。時間と空間と全生物の運命を支配していますから、一瞬で地球人全員を催眠術にかけることもできます。 一瞬で宇宙を破滅させることも、一瞬で全生物を救う力も持っています。全生物の過去の生き様を一瞬で全員読み取ることすら出来ます。それぐらい信じがたい意識を持った、パーフェクトな人格的存在がいるということなのであって、こういう力を全知全能というわけです。不可能なことは何一つない。これが本当の神様の力です。 そこでひねくれた人は、ならば全員救えばいいじゃないかと考えるでしょう。一瞬で全生物を幸せにすることができるなら、みんな苦しんでいるんだから、さっさと助けるべきじゃないかと。 ところが、人間には自由な意思を与えているわけです。誰しも自由を求めるでしょう。だから魂に自由を与えてきたわけです。その因縁因果の結果が、今の我々なのです。 全然自由じゃねーよ!というかも知れない。しかしここで再三言っているように、執着を自由に作り出してしまったのは自分なわけです。そして縛られる運命を自分で作ってしまったということなのです。俺の自由だ、私の人生だ、わたしにはやりたいことがあるんだ!と言ってとうとうと転生を重ねてきた結果として、自分の執着に縛られてしまったということです。 自由を求めるから自由を与えている。というよりも自由なわけです。そういう方針で宇宙を作っているから、責任は自分で取らなければなりません。物質に心を奪われるということは、ニュートンの法則に縛られるということです。重たい肉体を背負わなければならない。どんどん皺が出来、醜くなっていくしかないのです。唯物主義を信じている限り。 創造主は人間を拘束しないです。うるさいことも言いません。いちいち命令もしない。みんな嫌がるからです。それでみんな勝手に馬鹿をやって道を踏み外し、泥沼に嵌り、苦しいといって泣き言を言っているわけです。 従って早くこういった道理に気が付いて、自分を正す生活をするしかないし、自由であるために、自分がその気にならない限り、ある意味で神様からほったらかしにされるということでもあります。 思春期には親から干渉されることを誰しも嫌います。その時は親は遠くから見守るしかないですよ。それと同じです。 ちなみにインターネットの世界で、創造主について現実的に詳しく語っている人はあまりいないです。たぶん自分だけだと思います。というのは創造主の聖典は、インド人ですら創造主によるものだとあまり認識していないからです。秘密にされてきていたからかも知れません。従ってどんなにネットサーフィンしても創造主情報を深く知ろうとしても時間の無駄だと思われます。 ですから神様についてわからなくなったら、あるいは宗教とはそもそも何なのか不明になったときは、ぜひ何度か読み返してもらえればと思います。 コメント(0) トラックバック(0) |
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2010/03/11 13:26:13 |
宗教の本質と魂 |
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現代科学では思いも精神も脳から出ているものということで解釈していますから、心も悲しみも、物質だと考えざるを得ない。そこで唯物学者は脳を解明すれば全てが判明すると説明しています。 ですが良く考えて欲しいのは、たかだか小ぶりのカボチャみたいな物体に、全宇宙の真理を押し付けるのはあまりにも無理があるといえます。 脳は、遺伝子によって自然に出来あがった有機体のコンピューターですが、しかしそれ自体では動きはしません。どういうことかというと、パソコンに電源を入れただけの状態ではうんともすんとも動かないです。パソコンのこちら側に人間という意志のある存在があって、それがプログラムを作動させて行かないとパソコンは機能しないように、次元の異なる魂(生命意識)が脳という有機パソコンを動かしているというのが真実です。 たとえばです。脳味噌だけを何らかの形で細胞が死なないように取り出したとします。するとその脳はオリジナルにモノを考えるかというと考える能力は無いです。電源の入ったただのパソコンです。何の役にも立たない。そのカボチャみたいな有機パソコンを使って独自にプログラミングして使いこなしているのが不滅の魂である自分という意識です。 宇宙の構造にもヒントがあります。卵状の物質宇宙の外側はなんで出来ているかですが、科学者は誰も答えられません。子供の頃議論した覚えがあるでしょう。丸を書いて、この外側の無限的なものは何なのかと。果たして誰が答えられるかです。科学的には分らないとしか言えませんがしかし宗教的、直感的には答えることは出来ます。 つまり有限宇宙の外側は、次元を超えた純粋精神で、神の精神に包まれて物質宇宙が浮かんでいます。もっと正確に言えば、純粋精神の中に包まれるように、純粋精神(魂)と物質世界という低次元の異なる精神が同時に存在しているということになります。物質ですら精神の一部なのでそんな説明になります。 物質世界の中に精神があるとつい考えますが、大間違いなのです。あのアインシュタインだって宗教哲学書を読み、晩年はそう思っていた。 人間として生きていると常に肉体という物質が付きまとっているので、自分も含めて全てが物体に見えますが、だからといって心も悲しみも精神も愛も物質なんだと考えるのは人間的に冷たさを感じるでしょう。人前でそんなことはなかなか言えないです。科学では全て物質だと言っているんですから、何も遠慮することは無いのに、感情が割りきれません。神の一部である自分の本質(魂)が否定するからかも知れません。つまり物質が中心で無くて、すべて魂(心)が基本だということなのです。 精神的という言葉をよく使います。それは心とか愛情、感情、内面的、哲学的、深い洞察性、神秘的なものといった意味合いで使われていると思うのですが、精神と精神的では意味が全く違います。 精神的なものを大事にする文化という意味は、優しさ、思いやり、助けあいを基調にした世界、宗教的なものも大事にするような世界観として使っているだけで、不滅の魂が全ての基礎であるという認識ではありません。文化人が神社仏閣を散策して情緒的に語るようなそんな安易なものではないのです。 唯物史観が根底から否定される話でもあるし、もし真義がそうなら驚天動地な話なはずです。自己の魂が不滅だということであるなら、教育も自分のこれまでの感覚も根底から見直さなければならないです。地動説が天動説に変わるぐらいの内容であるし、現代文明がとんでもない思想で動いているということが分かっただけでも、生き方が全然変わってくるはずなのです。 それぐらいの話なんで、自己の本質は不滅だという認識についてぜひ本気になって考えて見ることをお薦めします。時間が本当に勿体ないです。 コメント(0) トラックバック(0) |
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