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相手の悪は自分の悪
2010/03/30 23:27:59 書庫 究極のロハス



人を批判的に見るその思いは自分の心を批判しているに過ぎない

最初は分らないのですが、しかし神が身近に感じられるようになってくると、自分の悪が鮮明に見えてきます。他人の悪は、単に自分の悪が反射しているに過ぎないことが分って来ます。

従って普段から批判精神を放置していると、後でまとめて自分が批判される運命がやってきます。

そうでない場合は自分で自分を激しく裁いていきます。人を批判する尺度で後でまとめて自分も責め裁いていきます。そのときは徹底的に自分を追い込めるでしょう。

心と言うのはそういう意味で完璧に出来ているから凄いです。頭のイイ人ほど知識が豊富で迷わないかと言うと頭がイイほど迷い子になっていきます。頭がイイと思っている傲慢さが自分の愚かさを見えなくさせています。文学者が自殺するのもその程度の理由です。

迷っているのに自分で気が付かない。

もちろん現代の知識人はみんなそうかも知れないですが、悩んでいるのに気が付かず、苦しんでいるのに気が付きません。よほど死ぬような目に遭わないと自分の弱さを認めようとはしません。

しかも喉元過ぎれば熱さを忘れるで、気が付くと昔の自分に戻っていて、ひたすら強がった生き方をしています。三つ子の魂百までもとはよく言ったものです。

だいたい自分の究極の問題点は見えないことが多いです。ほとんど気が付きません。一万人のうち9999人は気が付かないです。心底から素直になれないので、どうしても我流で生きないと気が済みません。どうしてもそれが自分流、それが自分の個性だと考えます。

欠点を個性だと勘違いします。本当なら正さないといけない問題点を長所だと考えているから、死ぬまで気が付きません。

自分で気が付くことが果たして出来るかですが、無理です。これは前にも話したように心が根本的に偏っているので、正しく判断出来ないのです。

それを鮮明に教えてくれる人に巡り合わない限り、気が付くことはありません。
















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日蓮の立正安国論
2010/03/29 19:34:15 書庫 究極のロハス


鎌倉時代に生きた日蓮の御書には面白い記述があります。神と書いて「タマシイ」とルビをふっているのです。日蓮の時代には唯一神とか多神教とかそういった概念が無い時代ですから、ざっくりと説明するしか無いですから、神(々)と魂を同格のものと見たかも知れません。

斬首刑の危機に迫られたときに、彼は日本の神々に対してこんなことを語っています。「わたしは釈尊に頼まれて生まれてきた。あなたがたも私が生まれた暁には協力すると約束したのに、誰も動こうとはしない。もし死刑になってあの世に戻ったら、わたしは釈尊にその旨を報告するつもりだが、それでもいいのか?・・・」

それで死刑の時刻、彗星のような火の塊が飛び込んできて、役人は恐れおののき、日蓮は釈放されることになったようですが、さすがにあの世の約束を知っているのですから、聖人は違います。

ただ神々が非協力的になったのは他宗を徹底的に非難したことや政治に絡み過ぎたことが理由だったようですが、いずれにしても日蓮が精神世界から派遣されてやって来た訳は、蒙古襲来に備えたものだった気がします。蒙古の船団が二度も台風で全滅したのですから、日蓮や神々が守ってくれたということも言えるかも知れません。

ところで今地球温暖化問題が叫ばれています。今の政治状況では50年後には人類の半分が生息できない状況になります。それぐらい深刻だそうです。経済成長を求める場合じゃないようで、ましてや中国やインドがアメリカ並みの文化を求めたら地球は幾つあっても足りません。人口が違いますから。

といっても事の深刻さを人類は分らないでしょうから、ヨハネの黙示録のように、鮮明に分かる形で天の鉢を地上にぶちまけることになるでしょう。

天災についても日蓮は立正安国論でこう語っています。「人間が親不幸になり義を失っていくと、自然界を守っていた神々はお役目を放棄して天に帰り、一方地上は悪魔が跋扈し、人間の業によって天変地異が起こる」と。

国連の報告では、地球温暖化により、地球史上3番目に大きなものとなる天変地異が迫ってきていると報告されています。たぶんこれから話題になってくるでしょう。

そこで子孫のために被害を最小限度に留めるには、経済成長論議を止めることしかないらしい。景気浮揚を望んでいる場合ではないようです。わたしたちは鈍感過ぎるかも知れません。

宗教観までは無理でも、釈迦が語っているようにせめて少欲知足の人生観に、変えるしかありません。日本には精神性を世界に伝えていく使命がだからあるようです。
















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全体を生かす摂理
2010/03/28 23:02:22 書庫 究極のロハス

本当の自分(3)

宗教心を無視して本当の自分を論じてもナンセンスではあります。何が正しくて何がおかしいのかも宗教観無くて説明できません。

魂が不滅だという認識は冷静に良く考えるととてつもなく凄い存在だということが分かる。

まず魂(本当の自分)に死は存在しないということ。

自分は馬鹿だからかも知れないですが、これだけでも本当に凄い話だと思ってしまいます。ほとんどの人はあっさりと流してしまうのですが、どうして深く考えないのだろうかと不思議に感じます。現代の科学文明がひっくり返る話なのですから。

魂もあの世も無いんだと思う人は好きなように生きたらいいと思うわけです。わたしはそれについて反対はしません。こんな損な生き方は無いですが、でも人生はその人のものですから、自分がこうだと考える生き方をすればいいでしょう。

ただ魂とかあの世はもしかしたらあるんだろうか?と思っているなら、ぜひいろんな角度から分析したら良いです。そのための材料はこのブログでも紹介していますから、現代文明がひっくり返るほどの究極の情報を、1日も早く発見して欲しいと願うものです。

自分本体の死は存在しないですから、死は悲しいことでもなければ不幸なことでもありません。肉体が老化し滅びることは大事なことであって、悪いことでは無いです。何故なら滅びなければ、人類は人口大爆発してしまいます。何百億人も地球には住めないわけでそれは極めて重要な摂理です。

死は悲しい摂理では無く、むしろ全体を生かす美しい摂理です。自己中心的に不幸に考えるから、不幸が存在するわけです。

死に対する価値観が根本的に変わるだけでも、その後の人生は全然違ったものになるんじゃないでしょうか?








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弱さを素直に認める
2010/03/28 01:24:43 書庫 究極のロハス


本当の自分(2)

ある日突然自分の考え方が正しくなるかというとあり得ない。気分的に力強くスッキリ生きたいという気持ちは誰しも望むところですが、よほど軽薄な環境でない限り無理だと思います。

ボクシングじゃないですが、人間いつかは負けます。そのときはこれまでの歓喜の分量、凹まなければなりません。

ずっと謙虚さが維持できないし、自尊心を傷つけられたら最後謙虚さなんて吹っ飛んでしまいます。謙虚になれば楽になれるんですが、現実は謙虚さを維持できないのです。だからそのたんびに凹まされるようなことを神が現わしてきます。

執着心も半端では無いです。なんだかんだ言ってもあれもこれも求めるし、楽な道を選びます。自分を厳しく戒めて、貧しい生活に敢えて甘んずるなんて基本的に出来ません。なんでそこまでやる必要があるかとしか思えない。

いくらここで人生論をあれこれ読んでもどうにもならないです。自分で言うのもなんですが、所詮は理屈です。自分が本気になって正しい宗教観を持たない限り、マザーテレサの心は理解できないだろうと思います。

プライドをずたずたにされたら、鬼や悪魔になるのに苦労しません。

それぐらい人間の心は脆く弱いのですが、その弱さを素直に認められるのか?素直に人前で自分の弱さを出せるのか?というと、それもまた出来ないわけです。結局われわれは頑固です。

神を素直に信ずればいいのに信じないわけです。ですから、いずれ死ぬほど苦しい状況が襲って来るしかありません。人間には人間を救う力は無いですし、自分で自分を正していく力はありません。神様から力を貰うしかないです。だからこそ長い転生過程を通じて、生物の全運命はそういうシナリオになっているということです。

意外なことですが、究極の本当の自分の入口は、そういう過酷な状況の自分であるし、カッコ付けている状況じゃない自分です。苦しければ苦しいほど、のんびりしている人よりも人生は先を歩いています。だから本当の自分について考えたくなるのです。















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本当の自分
2010/03/27 12:43:36 書庫 究極のロハス


本当の自分(1)

目は自分を見るためでなく外(他人)を見るためにレイアウトされているので、ふだん自分は見えていないです。ですから、相手のアラがたくさん見える分自分が正しく見えないし、自分が考えている自分の評価と自分を評価する人の見解のズレに、気持ちが大きく落ち込むことがよくありました。

20代の頃の自分はその落差は凄いものがあった。自分では相当自信を持って語っているんですが、なるほどといって感心してくれるどころか、逆にみんなからボコボコにされたりしたものです。

今はほとんど誰も聞いてはいないだろうと思っているので気楽なものですが、20代30代の頃は、なんで分らないのか!と強く人を裁いたり、あるいは自分の頭がおかしいのだろうかと急激に自信喪失し、不安になったり責め裁いたりの繰り返しをしていたように思います。

自分を評価する場合と他人を評価する尺度が全然違うのです。相手は考えが浅く、自分が相手よりも正しいという思い込みが常にあるので、そこから話を組み立てていくために、聞いている人もさぞかし面白くなかったことでしょう。

もちろん今でもそういう傾向があるので、さぞかし人によって面白くないかも知れません。しかし昔と比べて何が変わったかと言うと、こういう話はそうそう評価されることはないので、100名に一人なんとなく分ってくれればいいというスタンスです。

人は誰しも本当の自分とはどこにあるのか迷います。それを探しに旅行に行ったりする人もいますが、世界旅行しても見つかりません。究極は日本にありますから・・・。

中にはいろんな自分が本当の自分だというような、内容も何も無いような無意味なことを語る人もいるのですが、そうでなくて、本当の自分を知る道とは、自分の虚栄心・名誉欲を限りなく捨てていくということです。それに応じて、少しずつ、本当の自分が見えてくると思われます。

虚勢や強がり、慢心、さげすみ等、名誉欲に心が振り回されている限り、人生は、いつまで経っても自分の間違った考え方によって、間違った方向を選択して、生きていくしかないです。

これが常に自分の心をジタバタさせています。



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