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都の日暮れ537
2017/09/23 16:02:29 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
都の日暮れ 537

年が明けた。新しい年になった。新年をどう過ごしてよいかわからなかった。そして臨時株主総会を迎えようとしていた。洋平は専務の倉田英二のところに行き挨拶した。洋平が会社の新人事案ですが専務を社長にする事にしました。また兄の洋八を専務にし、野中は副社長、私、洋平は常務の案になっています。専務、社長を引き受けていただきますと言った。そして専務、ただひとつ決して倉田総合産業を他の社との業務提携や買収をしないと約束してください。また兄の洋八が専務が社長になるにあたり、洋八所有の倉田総合産業株式を専務に譲り渡してもよいと言っています。専務よろしくお願いいたしますと言った。専務の英二は体を震わせて喜んでいた。臨時株主総会は穏やかに進み、洋平達の役員人事も直ぐに決まった。小野寺社長には一億円の慰労金が支払れた。兄の洋八が専務を引き受けて倉田総合産業は新しく出発した。暫くして英国からマリーヤーというロンドンの大手のスーパーの経営陣が倉田総合産業にやって来た。
つづく


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都の日暮れ536
2017/09/23 13:26:51 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
都の日暮れ 536
倉田洋平はその年の暮れは喪に服して静かに過ごしていた。実家には毎日の様に行った。ただ野中とは年明けにある臨時株主総会について役員人事について話し合っていた。野中はこの際、兄の洋八を社長に推した。しかし洋平は専務の英二を社長にして、洋八を専務にする。そして、現社長の小野寺さんをここで交代させる案を示した。洋平は野中は副社長、俺は常務でなくてもよいとも言った。先日、友坂理恵に連絡した際は年明けに会う事にしていた。友坂理恵は早く元気になって会って下さいと涙声で言っていた。洋平は何故か嬉しかった。野中、今年は会社の忘年会には出席できないがなるべく盛大にしてくれ。また、ボーナスも最大限に支給してくれと言った。大晦日の日、洋平は野中も呼んで実家で兄の洋八と酒を飲んだ。兄の洋八に野中が盛んに社長になって欲しいと話していたが洋八はいやいやと笑ってばかりいた。つづく


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都の日暮れ535
2017/09/23 09:47:18 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
都の日暮れ 535
倉田洋平は友坂理恵があんなに悲しんでいたとは意外だった。強いて言えば宮沢智恵子か奈津子かだろうと思っていた。洋平は翌日、野中に沼田安子の付き添った御礼や生活費などの立て替え二百万円を渡した。野中が多すぎるといったが受け取らせた。野中、ただあの花林育子はどうして北海道にいたのだろう?何かわかったかと言った。花林育子はたんなる旅行だとしか言わなかったと言った。洋平は専務と花林育子はある時点まで一緒だったと思っていた。場合によっては、専務らは宮沢智恵子と釧路辺りで会っていたかも知れないとも思っていた。倉田洋平は宮沢奈津子に連絡し色々ありがとうございましたと言った。京都の病院まで来てくれたのは宮沢奈津子だった。洋平は奈津子を見直していた。洋平は実に単純な男である。だから憎めないのである。それから友坂理恵に連絡した。
つづく


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都の日暮れ534
2017/09/22 14:11:51 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
都の日暮れ 534
その年の十二月を迎えた。倉田洋平はその時迄にやっと母親の分まで生きていこうと思うようになった。洋平は野中を呼んだ。外国に行く事を断念した。ところで宮沢智恵子はどうしていると聞いた。野中が云うには暫く那覇にいたようだが最近、札幌に行ったようだ。頭と顔の傷がまだすっかりよくならないと云う事で誰とも会わなかったと奈津子は言っていた。洋平には何から何まで御世話になったと感謝していると言っていたらしい。暫くは札幌で暮らすらしい。また、智恵子に付き添っていた沼田安子には生活費の他に御礼として洋平からだと言って百万円をわたしておいた。年が明けたらあかぎに行ってみよう。皆んな洋平の事を気にしている。早く元気になってくれと野中は言った。また臨時株主総会の準備は大丈夫だと言った。野中、色々ありがとうと御礼を言った。野中の話しでは倉田洋平さんが可哀想と一番悲しんでいたのが友坂理恵だったと言った。つづく


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都の日暮れ 533
2017/09/22 11:51:30 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
都の日暮れ 533
暫くの間、倉田洋平は悲しみの中で自分自身の此れからを考えていた。母が余りに急に亡くなり、兄の洋八から外国に行くなと言われた。たった二人きりになった今、スイスに行き、洋平が自分の最後を迎えようとしていた計画が根底からくつがえさせられてしまっていた。要するに、宮沢智恵子の釧路の尻羽岬での事故から始まった一連の思わぬ出来ごとが倉田洋平を死から生へ引き戻してしまっていたのである。母親が亡くなった今、後をおうように洋平は死を選ぶ事はもう完全に許されなかったといえるだろう。
つづく


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