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私の好きな最高の歌 1
2019/12/10 11:34:50 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
曲名 たった一人の人でした
歌詞

1
たった一人の 人だった
あの人思えば
この胸が
しびれるほどに
熱くなる
好きだった
好きだった
ああ、
女の夢よ
なぜもろい


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夢の彼方に 100
2019/12/08 15:08:57 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
湯沢陽一は下宿先の奥さんの妹とは初対面であった。昨夜は本当にありがとうございましたと礼を言われた。そして暫く、この家の管理と娘達を時々見て貰いたいといい、姉から三万円を預かってきたのでよろしくお願いしますと言って帰って行った。翌日は週末だった。湯沢陽一は近くの美栄橋交番所を訪ねた。近くに住む湯沢陽一と申しますが少し相談したい事がありましてと免許証を警察官に示した。近くに住むものだが家の主人が救急車で県立那覇國際医療センターに運ばれ即入院しているが退院までかなりかかりそうだ。家族は奥さんと娘達二人で奥さんは病院で付き添い、娘達は奥さんの妹の所に一時預けている。私はその家の下宿先に住んでいて一地方公務員だと一応の事を話した。交番の警察官は親切でそれは大変だと言った。湯沢陽一は、それで暫くの間、その家一帯の防犯をお願いしたいと言った。警察官は番地と名前と大まかな地図を書かせ、出来るだけ巡回しますと言った。それから湯沢陽一はカギやに入った。事情を話し大家の家に来てもらい必要なカギを買った。玄関
先に新しく二つカギを取り付け、裏の入口に新しくカギを取り付けた。そしてカギやがかなり慎重ですねと言った。いや、娘が二人いて何時帰って来るか分からない。不審者もいるのでと云うと、カギやはあなたが一番怖いのではと言って大きく笑っていた。湯沢陽一は、私は悪いことは絶対にしませんよ、私には大きな夢があるんでねと言った。カギはその日に全て取り付けていた。湯沢陽一は暫くして、私はカギやにどうして大きな夢があるんでねとよくも言えたものだとは思ってはみたが、湯沢陽一はその日を堺にして次第に変わっていったのである。
つづく


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夢の彼方に 99
2019/12/06 19:47:59 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
翌日は雨だった。昨晩の下宿先の主人のことが気になっていたが何時ものように出勤した。昼過ぎに課長に昨晩のことを言った。そして早退して那覇國際医療センターに行った。昨夜救急センターに一緒に来た者ですがと言うと、五階の脳神経外科病棟に入院していると言った。五階にいくとかなりの数の先生方が部屋に出入りしていたが暫くして病室に通された。主人は酸素マスクや他の管が見えた。奥さんがちょっとと言い部屋を出た。主人は脳梗塞と肺に疾患がありここ四、五日がヤマだと言われていると言った。娘達は暫く那覇の首里にいる妹の家に預けているといい、昨夜は本当にありがとうございましたと言った。奥さんは暫くは付き添いで病院を離れられないので家を見て貰いたい。また娘達もよろしくお願いいたしますと言った。湯沢陽一は一万円のお見舞い金を渡して病院を後にした。湯沢陽一は大丈夫だろう。ただ入院はかなりかかるだろうと思っていた。下宿先に帰ると奥さんの妹という人が待っていた。
つづく


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夢の彼方に 98
2019/11/29 12:38:10 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
救急車で病院に運ばれた後、私達はタクシーで後を追った。夜の那覇市内はまだ街灯の灯りで何時もと変わらなかった。那覇港に近いせいか船が何隻も黒々と係留されていた。病院に駆け込んだ。救急医療の家族控え室で待つように言われた。娘達はさすがに一言も話さなかった。暫くして看護師が出てきて、本人は微かに意識はあるが今MRIとエコーの検査をしていると言った。それから、結果がわかり次第主治医から説明があるだろう。恐らく、入院が必要でしょうと言った。妹が泣き出した。大丈夫、大丈夫の慰めた。何時間たっただろう。母親が親戚の車で病院についた。湯沢陽一は母親にこれ迄の経緯を話した。母親は本当にありがとうございましたと言った。湯沢はそれでは帰りますと言うと長女が不安そうに見ていた。
つづく


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夢の彼方に 97
2019/11/18 14:34:05 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
湯沢陽一は直ぐに救急車を呼んだ。娘の父親とは親しくはなかったが今はそれどころではなかった。救急車が来た。父親の状態はまだ意識があったが、県立那覇國際医療センターに行くと言った。私達は長女と妹とも一緒にタクシーで後を追った。タクシーから宜野座村に行っている母親の親戚の家に連絡を入れさせた。長女は父親の状態と今救急車で運ばれていることや病院名もきちんと伝えていた。最後に今、湯沢のおじさんも一緒だと言い、ICUに来てと言った。県立那覇國際医療センターは那覇市の西側の那覇港の近くの広大な敷地に十二建ての病院であった。湯沢陽一はかって赤川一子が勤めていた病院であったので直ぐに分かった。長女の父親とは一度下宿先の敷地で会ったことがある。父親は背が高くいい顔をしていた。父親が、湯沢さんだったね、若い時は何のスポーツをしていたかを聞いていた。空手を少々と言うと流派はと聞いた。首里飛天流ですと答えた。それから父親は、私は剣道を長いことやっていて八段だと言いながら、小手が得意でね、三分以内には決まったね。
国体にも団体戦では大将ででたよと笑って言った。それからは会ってはいなかった。
つづく


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