ごーやーどっとネット沖縄  [PR]沖縄県民ニュースをチェック! こんにちは ゲスト さん。 ログイン・ブログをはじめる  
都の日暮れ530
2017/09/18 17:17:09 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
都の日暮れ 530
京都東山新医療センターでは翌日の明け方、洋平と洋平八、宮沢奈津子の三人に看取られながら母親は静かに眠りについた。洋八は気丈だったが洋平は長い間泣いていた。母親を亡くし洋平は兄洋八とたった二人だけになった。朝早くから京都のお茶会、生け花、日本舞踊の関係者が病院に見え、御悔やみを言った。母親はその日、お茶会で伝統的な作法に載っとって茶一幅飲みおえ、暫くして崩れ落ちりように畳の上に倒れたそうで様子がおかしいと直ぐに救急車で京都東山新医療センターに運ばれたとの事で家族の事は何も話されなかったと言った。洋平達は直ぐに全日空に電話をし母親を那覇の自宅に連れて帰ったようであった。宮沢奈津子は直ぐに札幌に居る姉の智恵子に知らせたらしい。沼田安子は既に沖縄に帰っていた。奈津子はまた友坂理恵と連絡を取り皆に知らせるように頼んだ。母親は心不全で亡くなったのである。つづく


コメント(0)
トラックバック(0)

都の日暮れ529
2017/09/18 14:56:02 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
都の日暮れ 529
倉田洋平の母親の葬儀は那覇の郊外にある東慈恩寺で執り行われた。県内の産業界でもかなり知名度の高い倉田総合産業の葬儀とあって沢山の人達が参列した。祭壇には在りし日の倉田洋平と洋八の母親のにこやかな写真が菊の花で飾られていた。親族の席には洋平他会社の重役の方達も座って貰った。親戚の人達が少なかったからである。葬儀の最後辺りから洋平の知人友人と洋平の回りの女性達が次々に焼香していた。その中にあの宮沢智恵子の姿があった。何時北海道から帰ってきたかは知らなかったが痩せてはいたが元気そうにしていた。智恵子と奈津子は洋平にも深々と頭を下げていた。至るところ供花が成されていたが、洋平にとって智恵子が元気になって洋平の母親に最後の別れをしに来てくれたことはなんと言っても幸いだった。
つづく


コメント(0)
トラックバック(0)

都の日暮れ528
2017/09/18 13:46:03 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
都の日暮れ 528
倉田洋平は悲嘆にくれた。坂元さんには御礼をのべ、名刺を貰い休んで貰った。あんなに元気だった母親が何故と洋平は何度も繰り返していた。心臓の手術は出来ないものだろうか。何とか助かって下さいとずっと祈っていた。大分たった頃、兄の洋八がやってきた。顔は青ざめて哀しそうだった。洋平は浦田センター長の病状説明を話した。そうか、そんなに悪いのかと顔を歪めた。秋の日は短い。夕闇が迫っていた。それから暫くしても何の連絡もなかった。慌てた様子で宮沢奈津子がやってきた。洋平が遠いところまですみませんと言った。病状は大分悪いようです。と言った。夜になっていた。救命センターかわ呼び出しがあった。浦田センター長が今晩がやまです。かなり強力な薬を使っていますが意識がもどりません。とにかく全力を尽くしていますと言った。
つづく


コメント(0)
トラックバック(0)

都の日暮れ527
2017/09/18 11:27:45 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
都の日暮れ 527
倉田洋平は京都駅からタクシーを拾い、京都東山新医療センターに直行した。病院入り口にお茶会の人らしい方が待っていた。倉田洋平さんですか、とにかく此方へと中に招きいれた。一階救命センターに連れて行かれた。何人かが部屋にいた。御母様は今、ICUで必死の治療が行われています。私、遅れましたが茶会協会の坂元と申します。家族が見えたらセンターまで来るように言われています。直ぐに行きましょうと救命センターに連れて行かれた。センターの職員が暫くしたらセンター長から話しが聞けるので待ち合い室で待つように言われた。坂元さんがお一人で来られたのですか?ときいた。追って、兄が来ますと言った。洋八に連絡した。今、関西空港に着いた。出来るだけ早くそこに行く。母さんはどうか?と聞いた。今はICUにいる。かなり悪いようだ。楽観は出来ないだろうと言った。暫くして洋平達が救命センターから呼ばれて部屋に連れて行かれた。センター長の浦田ですと名乗り、倉田さん、御母様の病状はかなり危険な状態です。急性の心疾患です。心室細動で家
族の方を呼んでおいて下さい。今は意識がありませんが何か変化がありましたら直ぐに知らせますと浦田センター長は言った。
つづく


コメント(0)
トラックバック(0)

都の日暮れ526
2017/09/17 20:11:41 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
都の日暮れ 526
その日の朝連絡を受けたのは倉田洋平だった。お昼頃だった。こちらは京都の全国新茶会協会ですが倉田洋平様の電話でしょうか。実は御母様が突然協会内で倒れまして意識が朦朧となさいましたので直ぐに京都新東山総合医療センターに救急車で運ばれました。急性の病気の様で病院からも家族に直ぐに知らせる様にとの事です。遠いところとは存じますが至急京都まで来ていただきたくご連絡いたしておりますとの事だった。母親は一昨日京都の茶会に出席するため京都に向かっていた。洋平は兄の洋八に直ぐに那覇空港に向かうように連絡した。それから宮沢奈津子にも一応連絡しておいたのである。母親はとにかく元気そのものであった。洋平は必ず回復するものだと思っていた。洋平は一人関西空港行きの全日空に乗っていた。
つづく


コメント(0)
トラックバック(0)


[ 前のページを表示 | 次の 5 件を表示 ]