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武道はスポーツなのか?
2012/11/07 16:00:10 ブログカテゴリ 格闘技・空手 | 書庫 全般

”武の道”

第二次世界大戦の終戦後、我が国の武道はそれぞれが競技化を図り、

発展を続けて来た。これは、講道館柔道をスポーツ化する事でのオリン

ピック参加や、海外発展を含めた一般普及の成功をモデルとし、目標と

して来た為で有る。



江戸時代から明治時代への転換期に、日本の武術がどう生き

残って行くか、一般に普及出来るかを考えた、言わば将来を

見据えた苦肉の策で有ったが、それから100年を越えた現在、

各武道は世界の隅々まで達し、本家日本を凌ぐ勢いに至っている。

この点に関しては、成功を得たと言えようが、視点を返して国内に 

於いては、スポーツ化された弊害も出ている様に感じる。



実の所私自身も、未だに身も心もこの”武道・スポーツ化”の波に

完全に飲み込まれてしまい、脱出が出来ないでいる。特に空手の世界では

この傾向が顕著で、オリンピック参加の件に関しても、柔道に比べかなり差を

つけられ、テコンドーにも先を越されて、やっきになっている面も有ろう。

空手界の問題は根が深く、未だにオリンピックへの参加は難しいので有る。

空手は流派も多く、伝統流派・新興の流派が入り乱れて、海外の普及がなされ

ており、海外に於いても活動団体が分裂した状態で、余りにも数が多くまとまりが

つかないでいる。其の為、多くの”世界チャンピオン”が毎年誕生し、世界王者と

しての権威が”ボクシング”に比べ薄い様に感じられる。



昨今は、武術・武道の必要性と実用性のない時代となり、武道の競技化は

避けて通れないのも確かである。そして、昔語られた”武道論”は完全に

理想論と化している。このように競技化による、武道の普及は必要不可欠と

なってしまい、各団体が凌ぎを削り組織力の増大を目指した結果、”若い指導者”

が余りにも増えてしまい、これが必ず競技化に奔り、「自分の教え子を大会で

勝たせる為」の指導に、終始してしまいがちになる。本来”武道”とは、道を

説く「実技・教育」ではなかったのか?国民への倫理・道徳指導ではないのか?



これは、私自身に対する反省でも有り、この年齢になるまで実は気が付か

ずにいた事で有る。ところが、沖縄に来て気付かされ事は、こちらの先生方

の指導では多くが”武道的指導”で、特に年配の先生方は”武道を通しての

道徳”を指導されており、感銘を受けた。私が子供の頃、祖父から「武道とは

道で有るから、入門は有っても”退門”と言う言葉は無い、有るとすれば

それは死ぬ時、一旦この道を歩き始めたら、身体の動く限りに歩き続ける

”人生の道”だから覚悟せよ。」と言われ、幼いので意味は理解出来ず、

だだ単に、好きだから続けて来たのだが、最近になってこの事が想い

出され、私に何を言いたかったのか気付いた。



武道をスポーツとして捉えれば、打ち込んでやれる期間は精々、

現役として頑張れる若い頃だけで有ろう。昔、先輩に言われた事が

有るが、「どんなに仕事が忙しくなっても、月に2・3回は時間を作って

道場に来い。やがて時間の出来たときにまた、上達した状態で続け

る事が出来るよ。」と。辞めてしまえば一生やる事が出来なくなる

かも知れない。その通りで有ろう。武道の本質を伝えられる年齢まで

続けて、武道教育として後進に伝える事が出来なければ、意味がない。

この流れが無ければ、日本の武道そのものが”衰退”してしまうだろう。



そして日本人は、皆に於いて”武道精神”というものを、理解する事が

出来なくなってしまう。現代においては、逆に外国人修行者の方がよく

これを理解していて、有り難く思うことが有る位だ。

私も今後、武道家としてこの道を歩き続け、生涯を終えるで有ろうが、

日本人の行く末を考えた時、古来からの私たちの考え方や、

”武道精神”或いは、「勧善懲悪・自己練磨」と言った様な、

武士道精神を例え微力ながらも、伝えて行ければ私にとって幸いで有る。



BY・成龍







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