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舘長のつぶやき〜続編
2012/12/26 02:16:13 ブログカテゴリ 格闘技・空手 | 書庫 全般

 この投稿は、前回からの続きです。

私が何故沖縄を目指したのか?その理由の一つに、”尚武の邦”沖縄伝説が

挙げられます。空手・古武道の故郷沖縄についての、様々な物語や逸話を私は

幼い頃から、古武道の先生であった石嶺先生より聞かされており、沖縄への

憧れを小学校の頃から募らせていました。数々の武術を習っていた私で有りましたが、

9歳の頃、テレビアニメの「空手バカ一代」に心を奪われ、その頃丁度

ブルースリーの人気が絶頂期で、ご多分に漏れず私も感化されていました。



特に当時、和製ドラゴンと呼ばれた”倉田保昭”先生が好きで、

かなり影響を受けました。もちろん”伝説の大山総裁”もより一層でしたが、

”空手”対する思い入れ、憧れが大変強く”沖縄”もまた同じものでした。

その頃、大人になったら沖縄に行って、”空手の達人”から

空手を習おうと言う夢さえ有りました。長年空手・古武道を修行しましたが、

その思いは褪せる事無く、思いは募るばかりでした。

若い頃、特に剛柔流の修行において感じたのが、その当時の空手界

での型について指定化が進み、前に習ったものから少しずつ変えられて

行く事に、疑問を感じる様に成りました。型の分解に於いても、技の解釈は

変えられ、以前のものとは違ってきました。これは、”空手のルーツ”原型

を知る必要が有ると思い、沖縄で修行する事は自分に取って、必然と

される様に成って来たのですが、家庭を持って仕事も忙しくなると、沖縄での

研究・修行は夢のまた夢となり段々と遠退いて行きました。

たまたま旅行でさえ、沖縄を訪れるチャンスも得られませんでした。



そうこうしている内に40歳を過ぎ、家庭不和で家族と別れる事に

なった私に、沖縄に行きたいと言う気持ちが蘇り、第二の人生を

”尚武の邦”沖縄で過ごし、満足して死ねたら最高だ思うように成ったのです。

勿論、私が沖縄に行く事に対して色々な風当たりや、年老いた両親の

心配やリスクも伴いましたが、遂に決心をし永住の覚悟で沖縄に来ました。

那覇空港に私を乗せた飛行機が着陸した瞬間の、あの感動は生涯

忘れる事は無いでしょう。「やっと沖縄に来れた。」今では夢の様です。



沖縄に来て、生活は苦しいものと成りましたが、「武士は食わねど、高楊枝」

精神的満足は充分に得られました。また、沖縄に来た御影で最高の先生方

と巡り合うことが出来ました。剛柔流の八木明哲先生と本部御殿手の諸見里

真助先生です。両先生に最後に師事する事が出来て幸せです。

しかしながら、沖縄では自分が思っていた”空手の聖地”的雰囲気は意外に

感じられず、砂浜で老人と子供達が空手を稽古する姿など見る事が

出来ず、自分の妄想で有った事にも気付かされ、これほどの野球人気に

意外に感じました。なんで沖縄の人が”空手・古武道”でなく野球なの?

国内・海外の沖縄以外の人から見たら、沖縄の人は皆、空手が出来る

と思っています。事実私が埼玉や東京で合った、沖縄出身の方々は

皆さん空手が出来ると言ってました。今、那覇市や沖縄県が力を入れて、

空手や古武道を盛り上げて行こうとする、取り組みが見られ

良いことと思いますが、次世代を担う子供達から空手離れが、かなり前から

始まっていたのでは無いかと思われます。オジーの代までやっていた空手が、

今のお父さんの世代で野球に変わり、今の子供達もその影響で野球なのかと

思わざる得ません。私の意見は、多少過激で有るとも思えますが、現状

空手大国・本場沖縄の伝統が失われ、海外にお株を奪われる日が

そこまで来ています。



長くなってしまったので、続きは次号で。

BY・成龍






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