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幽霊をみたことがありますか?
2010/09/06 08:22:30 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般


私はないんですよ、幸か不幸か。
でも、知り合いに勘の鋭い子がいて、なんか見えるらしい。
普通に歩いているときに、「あっ」って言って何かをよけたり、
みんなと全然違うところを見つめてニコニコしてたり・・・。

まぁ、見えるのは勝手なんだけど、ボクらに分からないようにしてほしいなぁ。

こんな仕事をしてると、知り合うのはやっぱ医療関係者が多い。
でもその中にはそういう子はいない。


この間、施設の敷地内にあるお地蔵さんを移動したんだ。
「貯水槽のそばにあるのはいけないよ」
と、お坊さんに言われたとか言われなかったとか。
ボクは、お賽銭のように供えられていた、土で汚れた小銭を拾ってきてごしごし洗う係。
錆びててぴかぴかにはならなかったけど、
字が読めるくらいにはきれいになったよ。
といったって、別にいわくのありそうな時代の古いお金じゃない。5円玉と10円玉で145円ほど。
施設長にみせたら、「好きにしていいよ」とのこと。

「好きにしていいよ」って言われてもねぇ(困)。


こんなことがあったのが、一ヶ月くらい前のこと。
ボクは小銭をどうしたかももう忘れてしまっていたけれど、
向こうはそうじゃなかったみたい。


この間の飲み会で、ちょっと上司のハンカチを汚しちゃったことがあって、
Calvin Kleinまで買出しに。
んでもって、狭い町だから、例の勘の鋭い子と遭遇。
けど、なんかよそよそしい。普通だったら笑顔で懐いてくるのに。

まぁ、いい。プライベートだし。


で、翌日。その子からこんなことを。

「昨日、子連れだったでしょう?親戚の子?」

いんや、ボク一人ですよ。

「ふ〜ん、そんなんだ・・・」

・・・。

お、おい!続きを言え!気になるだろう!


まぁ、知りたくもないし、忘れるようにしてたんだけど、
先週の金曜日にお地蔵さんの由来を聞いてしまったんだ。

ボクの施設は温泉宿を改築したものなんだけど、15年ほど前に露天風呂でおぼれた8歳の男の子がいたらしい。
夜、親の目を盗んで風呂まで来たんだろうね。
で、その1か月くらい後にも、9歳の男の子がおぼれたんだって。
その後、2年くらいで宿はつぶれたって。
新しく施設が建った後に、子供の笑い声がするとか、姿を見たとか、うわさは絶えなかったけど、
とくに不吉なことがあるわけでもないから、施設側は放っておいたらしい。
そしたら、ふらっと立ち寄った霊媒師もどきの人に

「子供が苦しんでいるから供養してあげなさい」

といわれて、お地蔵さんを安置したんだって。



そして今日の午後、例の子との会話。

「そういえばこの間言ってた子供の話覚えてる?」
「うん、よく覚えてるよ」
「どんな子だった?」
「格好は覚えてないけど、男の子が二人だったよ」


そ。



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PCクラッシュ
2010/08/20 09:47:26 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
自宅、仕事場共にPCがクラッシュ。
更新ができず。

携帯?
いや、指疲れるし。

図書館とかしかないな。
めんど。

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あづい!!
2010/08/08 21:49:35 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般


なんだこの暑さは!職場の庭の寒暖計は37度だったぞ!!

今週と来週はお祭りラッシュ。
十勝は広いから、あっちもこっちもってわけに行かない。
当たりを引くか、はずれを引くか・・・。

しかし暑い!
どうしようもなく暑い!
っていっても、これからエアコン買うのもあほらしいし。

地球温暖化の影響が、だんだんと肌で感じるようになってきたなぁ。


















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「普通」という言葉が嫌いだった 4
2010/08/05 16:53:59 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般



どうしてもどうしても理解できないのが、テレビのボランティア番組。
難病を抱えている子供がいて、2億円ぐらいあれば海外で移植手術が出来るから、視聴者の皆さんなんとか協力してください、という例の奴。

発展途上国では、数秒に一人の割合で子供たちが餓死している。日本の作物自給率は28%程。北朝鮮より低い自給率だ。なのに残飯の量は世界一。残飯だけで他の国の学校給食が賄えたりする。

こういった番組は・・・
美談ではない。
はっきり命の差別があり、区別があり、命が平等でないことを証明しているからだ。
もっと厳かに内緒にして欲しい。

そりゃ、命が助かってよかったね、とは思う。
「命の平等性から考えたら、あなたの行為はおかしいから死ぬべきだ」とは決して思わない。
日本と言う国に生まれたことが、単に奇跡のように運が良かったのだ。
日本と言う国に生まれただけで、戦う手段を得られているのだ。

他の後進国ではそうもいかない。戦う武器すらないのだ。自分の声をどこかに届けることもできない。

自分も、自分の子供がそうなったら、おそらく有とあらゆる手段を講じると思う。
同じ方法を取るかもしれない。
だが手に入れたいと思うのは金ではない。


金策に追われて家族が奔走している間に私が望むのは・・・

痛みを和らげるためにさすってくれる温かい手だ。
辛さを紛らわせるために話を聞いてくれる耳だ。
さみしくないように傍にいてくれる話し相手だ。
本当は私や家内が傍にいたい。でもそれだと手術代が稼げない。
だから代わりに誰か傍にいてほしい。





ボランティアというものは、そういうものだと思う。




心の底から。

























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「普通」という言葉が嫌いだった 3
2010/08/04 09:22:02 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般


友人の多い人を信用していなかった。
ねたみや僻みでは決してなく。



ある時ある場所である人からこんなことを言われた。

「社会人として結婚をしていない人を私は信用していない。大人である以上、何か欠けているからその人は結婚できないんだから」

そうかぁ?

人間なんて孤独なもの。同じ価値観の人間を探すことは殆ど不可能。どこかで妥協して話を合わせる以外、お互いが歩み寄ることは出来ない。
配偶者は赤の他人だし、血の繋がっている親や子供でさえ、まったく物の見方考え方が違う。要するにどこまでいっても他人。
この前提を否定されると困るが、そんな価値観の相違が当たり前の世の中で、心を許せる人間の代名詞としてよく使われる「友人」、その最上級形の「親友」がたくさんいることが良いという常識が理解できない。
仮に・・・
そう、仮にそういった心の許せる人と出会えたとしても、そんな人は長い人生の中で一人いるかいないかではないだろうか?それは結婚相手を見つけるより至難の業だと思う。結婚相手は、「家庭を持ってこれから助け合って生きていきましょう」という誓いのレベル。気持ち次第でどうにでもなる。しかし、何でも話せて心を許せる友人、あるいは親友は、妥協のない世界。

まぁ、友人や親友をどう定義づけるのかという問題はあるが、少なくても私は友人がたくさんいることを自慢している人を信用していない。

友達ができないで悩んでいる生徒がいた。
「私ね、友達作るの下手なんだ」
「そう?みんなと仲良くしているように見えるけど?」
「表向きはね。でも、もう少し仲良くなりたくて、ちょっと本音を言うと、みんな離れて行くんだよね。私が悪いのかなぁ」
「心がきれいなんだよ」
「え?どういう意味?」
「意味は今分からなくていいよ。無防備って言えば分かりやすいかな」
「ふ〜ん、そんなものなの?先生は友達多そうだよね」
「いや、僕は友達がいないんだ。今日までまだ親友と巡り合えていないんだよ」
「そうなの?全然そういう風に見えないね!」
「うん。色々我慢してるのさ。ほら、自分で最初になんて言ったのか思いだしてごらん。友達は『作る』ものなんだよ。僕は『そうだね』って相槌が人よりちょっとだけうまいだけなんだ」

アズベルガーや精神疾患とかで、友人がいなかったり、結婚できなかったりするのは置いておいて、少なくても社会に出ている人でそういった友達がいなかったり、結婚できなかったりしている人を私は特別な目でみていない。むしろプラスに考えている。自分の信念を貫き通す精神力を感じる。妥協せず、自分の世界を持っていると感じる。


数が多くなれば、一つ一つの持つ意味は薄れていく。





そういう私こそが病んでいるのかも知れないが。





















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