![]() |
![]() ![]() |
![]() 教員を辞めて田舎に住んではみたが、次の仕事が老健の立て直し。 人から離れようと思って田舎を選んだのに、町で一番人口密度の高い場所での仕事になってしまった。 写真も諦めて、文章も挫折して、そうしたら観光雑誌の仕事が舞い込んできた。 捨てたはずのものが、本人とは無関係に向こうから戻ってくる。 持っていたデジカメが壊れた時、北国tvの主催者からイクシーが届いた。ブログをやめるな、という嬉しい話だったが、北国tvでは感謝の記事も書けなかった。恨みやねたみが心配だったからだ。 帯広に来て食うに困ってブログにSOSを発信したら、床一面に収まらないほどの食材が届いた。お返しをしようとしても、住所を教えてくれなかったりして困った。会ったことも電話で話したこともない人からの善意。。「生きろ」というメッセージ。 今、手元にあるEOSを見て、嬉しいやら悲しいやら、複雑な心境。 いや待て。嬉しいのは事実だが、悲しいのはどうだろう。 ただ・・・。 ここでは撮るものがないというのは事実かもしれない。頂いておいて申し訳ないが、あまりいいものを撮れる自信が今はない。 撮れるだろうか? いや、撮っていいのだろうか? 私はどこまで人生を馬鹿にしたら気が済むのだろう。 甘えるのもいい加減にしろ。 でも貰っちゃったんだから、有意義に使わせてもらおう(^^; 帯広は畑の新芽が眩しい季節を迎えている。それを阻止するかのように昨日は大雪が降ったが、明日にはこの残り雪もきれいさっぱりなくなっているだろう。 そろそろ外を歩いてみようと、汚れた靴を拭きながら思った。 ![]() ![]() |
![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() |
![]() ![]() |
![]() 沖縄と言えばゴーヤ。しかし父親はゴーヤが嫌いだった。 庭で父親がゴーヤを栽培していたのは覚えている。しかしそれが石垣島でのことか、東京に出てきてからのことか、記憶が混ざっていて確かでない。 嫌いなのになんで作ってたんだろう?とは思っていた。たくさん作るのに、自分ではなぜか絶対に食べなかった。 実は私も好んでゴーヤを食べない。苦味が嫌いだとかではなく、ただ単に手に入らないからだ。一つの野菜として認識してるだけ。 そういえば北海道に来て、「アイヌネギ」なる山菜のおいしさに感動したが、地元のあるおばあちゃんが「食べたことないよ。臭いし」と言っていた。北海道人はみんなアイヌネギを食べているかというとそうでもないのだろう。同じことが私の父にも当てはまるのだろうか? 他界した父にはもう聞けない。 どうなんだろう?沖縄や石垣島の人は、みんなが好んでゴーヤチャンプルを食べているようなイメージを東京方面に住んでいる人たちは想像するけど、やっぱりそうなんだろうか?それとも、それは特産品が作り出した幻想で、やっぱり嫌いな人はそれなりにいるのだろうか? 小さなことだけど、ちょっと気になる(^^; ![]() ![]() |
[ 次の 5 件を表示 ]