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PCクラッシュ
2010/08/20 09:47:26 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般
自宅、仕事場共にPCがクラッシュ。
更新ができず。

携帯?
いや、指疲れるし。

図書館とかしかないな。
めんど。

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あづい!!
2010/08/08 21:49:35 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般


なんだこの暑さは!職場の庭の寒暖計は37度だったぞ!!

今週と来週はお祭りラッシュ。
十勝は広いから、あっちもこっちもってわけに行かない。
当たりを引くか、はずれを引くか・・・。

しかし暑い!
どうしようもなく暑い!
っていっても、これからエアコン買うのもあほらしいし。

地球温暖化の影響が、だんだんと肌で感じるようになってきたなぁ。


















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「普通」という言葉が嫌いだった 4
2010/08/05 16:53:59 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般



どうしてもどうしても理解できないのが、テレビのボランティア番組。
難病を抱えている子供がいて、2億円ぐらいあれば海外で移植手術が出来るから、視聴者の皆さんなんとか協力してください、という例の奴。

発展途上国では、数秒に一人の割合で子供たちが餓死している。日本の作物自給率は28%程。北朝鮮より低い自給率だ。なのに残飯の量は世界一。残飯だけで他の国の学校給食が賄えたりする。

こういった番組は・・・
美談ではない。
はっきり命の差別があり、区別があり、命が平等でないことを証明しているからだ。
もっと厳かに内緒にして欲しい。

そりゃ、命が助かってよかったね、とは思う。
「命の平等性から考えたら、あなたの行為はおかしいから死ぬべきだ」とは決して思わない。
日本と言う国に生まれたことが、単に奇跡のように運が良かったのだ。
日本と言う国に生まれただけで、戦う手段を得られているのだ。

他の後進国ではそうもいかない。戦う武器すらないのだ。自分の声をどこかに届けることもできない。

自分も、自分の子供がそうなったら、おそらく有とあらゆる手段を講じると思う。
同じ方法を取るかもしれない。
だが手に入れたいと思うのは金ではない。


金策に追われて家族が奔走している間に私が望むのは・・・

痛みを和らげるためにさすってくれる温かい手だ。
辛さを紛らわせるために話を聞いてくれる耳だ。
さみしくないように傍にいてくれる話し相手だ。
本当は私や家内が傍にいたい。でもそれだと手術代が稼げない。
だから代わりに誰か傍にいてほしい。





ボランティアというものは、そういうものだと思う。




心の底から。

























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「普通」という言葉が嫌いだった 3
2010/08/04 09:22:02 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般


友人の多い人を信用していなかった。
ねたみや僻みでは決してなく。



ある時ある場所である人からこんなことを言われた。

「社会人として結婚をしていない人を私は信用していない。大人である以上、何か欠けているからその人は結婚できないんだから」

そうかぁ?

人間なんて孤独なもの。同じ価値観の人間を探すことは殆ど不可能。どこかで妥協して話を合わせる以外、お互いが歩み寄ることは出来ない。
配偶者は赤の他人だし、血の繋がっている親や子供でさえ、まったく物の見方考え方が違う。要するにどこまでいっても他人。
この前提を否定されると困るが、そんな価値観の相違が当たり前の世の中で、心を許せる人間の代名詞としてよく使われる「友人」、その最上級形の「親友」がたくさんいることが良いという常識が理解できない。
仮に・・・
そう、仮にそういった心の許せる人と出会えたとしても、そんな人は長い人生の中で一人いるかいないかではないだろうか?それは結婚相手を見つけるより至難の業だと思う。結婚相手は、「家庭を持ってこれから助け合って生きていきましょう」という誓いのレベル。気持ち次第でどうにでもなる。しかし、何でも話せて心を許せる友人、あるいは親友は、妥協のない世界。

まぁ、友人や親友をどう定義づけるのかという問題はあるが、少なくても私は友人がたくさんいることを自慢している人を信用していない。

友達ができないで悩んでいる生徒がいた。
「私ね、友達作るの下手なんだ」
「そう?みんなと仲良くしているように見えるけど?」
「表向きはね。でも、もう少し仲良くなりたくて、ちょっと本音を言うと、みんな離れて行くんだよね。私が悪いのかなぁ」
「心がきれいなんだよ」
「え?どういう意味?」
「意味は今分からなくていいよ。無防備って言えば分かりやすいかな」
「ふ〜ん、そんなものなの?先生は友達多そうだよね」
「いや、僕は友達がいないんだ。今日までまだ親友と巡り合えていないんだよ」
「そうなの?全然そういう風に見えないね!」
「うん。色々我慢してるのさ。ほら、自分で最初になんて言ったのか思いだしてごらん。友達は『作る』ものなんだよ。僕は『そうだね』って相槌が人よりちょっとだけうまいだけなんだ」

アズベルガーや精神疾患とかで、友人がいなかったり、結婚できなかったりするのは置いておいて、少なくても社会に出ている人でそういった友達がいなかったり、結婚できなかったりしている人を私は特別な目でみていない。むしろプラスに考えている。自分の信念を貫き通す精神力を感じる。妥協せず、自分の世界を持っていると感じる。


数が多くなれば、一つ一つの持つ意味は薄れていく。





そういう私こそが病んでいるのかも知れないが。





















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「普通」という言葉が嫌いだった 2
2010/08/03 17:09:56 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般



「愛してる」という言葉の意味がわからなかった。
いや、
分からなかったのではなく、
私が誰かを大切にする気持ちと、
誰かが私を大切にする気持ちとが、
なんか微妙に違うと感じていたのだ。

恋人同士の愛など、決して普遍的な「愛」ではない。
軽々しく「純愛」なんて言葉口にするな、
と思う。

私たちは刷り込み教育をおおよそ10年近く受ける。
この期間で、愛情とか、友情とか、絆とか、
社会に出ていくうえで大切な感情をはぐくむ。
私もその例に洩れずにそういった教育を受けてきたはずだが、
人から
「好きです、付き合って下さい」
と言われると、とたんに私の思考は迷宮に入りこんでしまう。
出口なし。
あなたはいったいボクのどこを見ているの?
あなたはボクの何が目的なの?
付き合って、SEXの相性が良くて、出世しそうだったら結婚して・・・
自分の生活や命を守るため?
そんなことを15歳くらいの時に思っていた。

病んでいるのだと思う。




かつて一度だけ女性を愛したことがあった。
それは多分「愛」と言ってよいと思う。
しかし、
儚く、今にも折れてしまいそうな命は、余りにも簡単に壊れた。

人を殺した

そう思った。



家内や家族のことはどうなの?
という声が聞こえる。
当たり前だが、大切に思っている。
けれど、それが世間一般の「愛」かどうかが分からない。
大切に思う。
壊したくない。
けれど、
「ためしに結婚して家庭を持ってみたけど、なんか想像と違ってたかな。家内も子供もかわいいとは思うけど」
という冷めた部分もある。
自分の中では最上級な感情であることは確かなのだが、
世間一般で言われているほどではない。

たとえば・・・

幼稚園の学芸会にはびっくりした。
親たちが、子供の撮影のために我こそ先にと席を争っていたのだ。
どうかするとけんかが始まる勢いで。
「こどもの学芸会ごときになにを・・・」
と思っていたのだが、
ビデオカメラを持っていない私に対する視線のなんと冷たいこと!
「人でなし!それでも親か!」と罵る声が聞こえそうなくらいに。

まぁ、反論する機会を与えてくれるならこちらも言いたいことがある。
東京の底辺の子供たちの教育現場にいた私の正直な気持ちだ。

「お前ら、その情熱をあと5年保ってくれよ。お前らが子育てに飽きるからうちらが苦労してんだよ!勝手にバンバン子供作って、責任を他人に投げるなよ!」
と。

当時は言えなかった台詞だ(笑)。




太宰治の「人間失格」をちょっと思いだした。























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