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「普通」という言葉が嫌いだった 3
2010/08/04 09:22:02 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 全般


友人の多い人を信用していなかった。
ねたみや僻みでは決してなく。



ある時ある場所である人からこんなことを言われた。

「社会人として結婚をしていない人を私は信用していない。大人である以上、何か欠けているからその人は結婚できないんだから」

そうかぁ?

人間なんて孤独なもの。同じ価値観の人間を探すことは殆ど不可能。どこかで妥協して話を合わせる以外、お互いが歩み寄ることは出来ない。
配偶者は赤の他人だし、血の繋がっている親や子供でさえ、まったく物の見方考え方が違う。要するにどこまでいっても他人。
この前提を否定されると困るが、そんな価値観の相違が当たり前の世の中で、心を許せる人間の代名詞としてよく使われる「友人」、その最上級形の「親友」がたくさんいることが良いという常識が理解できない。
仮に・・・
そう、仮にそういった心の許せる人と出会えたとしても、そんな人は長い人生の中で一人いるかいないかではないだろうか?それは結婚相手を見つけるより至難の業だと思う。結婚相手は、「家庭を持ってこれから助け合って生きていきましょう」という誓いのレベル。気持ち次第でどうにでもなる。しかし、何でも話せて心を許せる友人、あるいは親友は、妥協のない世界。

まぁ、友人や親友をどう定義づけるのかという問題はあるが、少なくても私は友人がたくさんいることを自慢している人を信用していない。

友達ができないで悩んでいる生徒がいた。
「私ね、友達作るの下手なんだ」
「そう?みんなと仲良くしているように見えるけど?」
「表向きはね。でも、もう少し仲良くなりたくて、ちょっと本音を言うと、みんな離れて行くんだよね。私が悪いのかなぁ」
「心がきれいなんだよ」
「え?どういう意味?」
「意味は今分からなくていいよ。無防備って言えば分かりやすいかな」
「ふ〜ん、そんなものなの?先生は友達多そうだよね」
「いや、僕は友達がいないんだ。今日までまだ親友と巡り合えていないんだよ」
「そうなの?全然そういう風に見えないね!」
「うん。色々我慢してるのさ。ほら、自分で最初になんて言ったのか思いだしてごらん。友達は『作る』ものなんだよ。僕は『そうだね』って相槌が人よりちょっとだけうまいだけなんだ」

アズベルガーや精神疾患とかで、友人がいなかったり、結婚できなかったりするのは置いておいて、少なくても社会に出ている人でそういった友達がいなかったり、結婚できなかったりしている人を私は特別な目でみていない。むしろプラスに考えている。自分の信念を貫き通す精神力を感じる。妥協せず、自分の世界を持っていると感じる。


数が多くなれば、一つ一つの持つ意味は薄れていく。





そういう私こそが病んでいるのかも知れないが。





















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