「普通」という言葉が嫌いだった 4
2010/08/05 16:53:59 |
日常 | 全般 |
![]() どうしてもどうしても理解できないのが、テレビのボランティア番組。 難病を抱えている子供がいて、2億円ぐらいあれば海外で移植手術が出来るから、視聴者の皆さんなんとか協力してください、という例の奴。 発展途上国では、数秒に一人の割合で子供たちが餓死している。日本の作物自給率は28%程。北朝鮮より低い自給率だ。なのに残飯の量は世界一。残飯だけで他の国の学校給食が賄えたりする。 こういった番組は・・・ 美談ではない。 はっきり命の差別があり、区別があり、命が平等でないことを証明しているからだ。 もっと厳かに内緒にして欲しい。 そりゃ、命が助かってよかったね、とは思う。 「命の平等性から考えたら、あなたの行為はおかしいから死ぬべきだ」とは決して思わない。 日本と言う国に生まれたことが、単に奇跡のように運が良かったのだ。 日本と言う国に生まれただけで、戦う手段を得られているのだ。 他の後進国ではそうもいかない。戦う武器すらないのだ。自分の声をどこかに届けることもできない。 自分も、自分の子供がそうなったら、おそらく有とあらゆる手段を講じると思う。 同じ方法を取るかもしれない。 だが手に入れたいと思うのは金ではない。 金策に追われて家族が奔走している間に私が望むのは・・・ 痛みを和らげるためにさすってくれる温かい手だ。 辛さを紛らわせるために話を聞いてくれる耳だ。 さみしくないように傍にいてくれる話し相手だ。 本当は私や家内が傍にいたい。でもそれだと手術代が稼げない。 だから代わりに誰か傍にいてほしい。 ボランティアというものは、そういうものだと思う。 心の底から。 コメント(2) トラックバック(0) |
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