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ラクシュミー流、フットバス
2017/06/22 20:26:43 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 美容と健康
こんにちは、アジアンヒーリング、ラクシュミーです。
本日も、元気に営業中です。

今日の石垣島は終日晴天でございます(*☻-☻*)

今日はラクシュミーで提供しているフットバスのお話をすこし、、

ラクシュミーではすべてのコースにフットバスがついています。
そのフットバスのお湯はただのお湯ではないのです!

実は、11種類のハーブをミックスしているのですよー。
すごーーーい。。
こんな感じです↓


ハーブの薬効は勿論のこと、温熱効果で筋肉の緊張を和らげ、施術前からリラックス★
じわじわ体がポカポカしてきますよーー。

とってもきもちいいいいいいいーーーーーのです。

以上、本日の小話でした、、、

お読みいただき、ありがとうございます。






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南国の花
2017/06/20 14:38:52 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 美容と健康
こんにちは、アジアンヒーリング ラクシュミーです。
本日も石垣島は快晴です

お店の前のプルメリアのお花が綺麗に咲いております☆

何故か、去年の夏は花が咲かず、もうずっと咲かないかと思っておりましたが、、、

今年の春に、かわいいピンクのプルメリアがさきました



石垣島では、日本では珍しい南国のお花がいたるところで咲いています。
ハイビスカスなんかは、色の種類もたくさんあって、とても綺麗です

市街地から少し北のほうにあるバンナ公園には、夏になると本当にたくさんお珍しいお花がみられますよ。
石垣島に遊びに来た際には、是非、綺麗なお花たちに癒されてくださいねー。








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2017年夏到来!
2017/06/19 16:10:39 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 美容と健康
こんにちわ、アジアンヒーリング、ラクシュミーでございます。
久しぶりのブログ更新ですね。苦笑

さて、本日の石垣島、久しぶりの晴天です

数週間前に梅雨明けしたものの、どんよりした日々が続いておりましが、本日素晴しい青空が広がっております。

本格的に2017年度シーズン到来です!

今年の夏もラクシュミーは、元気いっぱい、常夏の癒しをみなさまに提供していきます☆
どうぞよろしくおねがいします。




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言葉を意識的に繰り返し唱える
2016/09/01 17:48:55 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 美容と健康




「旅
は道連れ」なんて言いますが、旅先で予想していなかったハプニングが起こる面白さが人を旅に駆り立てるのでしょうか。

共通の興味関心などに花が咲いて仲良くなれる出会いがありますね。


気候によって人の気質は多分に影響を受けるのか、はたまた立地的に他の領土の人間の行き来か盛んであるとか

地中海に浮かぶ島々のカラリとした過ごしやすい温暖な気候は、人々を解放的にフレンドリーにさせます。

朝目覚めて散歩をしていると、”Good morning, smailing face!"なんて見知らぬ地元人の陽気な挨拶があります。

不審なニュースが多い日本で、見知らぬひとに「ご機嫌いかが〜?元気〜?」なんて言ったら頭がぶっとんでるのかと疑われるような風潮なのに。

ヨーロッパの中でもラテン系の国は、ちょっと違う感じです。


さて、”What do you do when you're free time?”と聞かれたら、お茶でも誘われているのかと一瞬ドキっと思う感じですが、

冷静に”Umm....I usually  read Japanese Manga."と適当に答えると、日本の漫画はアニメーションとしても翻訳本としても結構海外で出回っていますから、

”Really? I've keen on Naruto.How about you?"とか食いついてくれて、会話がちょっとずつ膨らんでいきます。

ラクシミーの学童時代、太陽系惑星の守護神として宿命を担いだ美少女達が悪霊と戦って地球を平和にするというアニメーションが流行していました。

そう、セーラームーンの月のうさぎちゃんが「月に向かっておしおきよ!」と啖呵を切る奴です。

もちろん最近の大海原に仲間とともに時前の船で旅を繰り広げて壮大な人間ドラマを表現するワンピースも知っています。

まだ、話題についていけますね!その主人公の麦わら帽子をかぶった特殊能力を持つ青年ルフィーは、「海賊王に俺はなるっ!!」といつも豪語しています。

そういう強い意志は、何度も何度も繰り返し、自分自身や周囲に語っているうちに、ルフィーの周りには、仲間がいっぱい、旅もどんどん発展して強い敵をまるめこんでいくという、マニフェストのすごさを見せ付けてくれますね。


そういえば、幼いときに身近な親しい人から向けられていたメッセージ。

大人になっても覚えているメッセージはありますか?

良くも悪くも、”繰り返された”メッセージは、自分が普段意識的に唱えようがしまいが、セルフトークとして深い意識の中に記憶されているんですね。


大人になっていくにつれ、世の中の彩りに筆を重ね、自分のカラーを作っていくと、

真っ白だったキャンバスに様々な具象画や抽象画が描かれていっているのに気づくでしょう。

自分の好きな道具を使って、ある人は直接指の腹で描いていこうとするかもしれません。

絵の具を水に溶くこともせず、まるで油絵のように塗りたくったように。

はっきりとしたものを描くかもしれません。

言葉というのは、世界に様々な国があり、離れた地域の人は、ちょっと変わった音と意味の組合せで、意思疎通をとっているように、

なにもいつもいつも自分が一番多く使っている言語で語らなければならないことはないのです。



どういうことか、というと。

音と意味というものを無数に組み合わせて、社会の成熟や構造、構成する人間の意識の質などによって、

実は昔も今も「あ・い・う・え・お・・・・ん」という組合せで成立している日本語は、常に変化していて、
同じ言葉であっても発する者によって効果が違うように。

言語の種類によっても考え方も変わります。


もし、自分の脳みその中がひどく散乱した無数の書類の束が雪崩のように倒れ、足の踏み場もないくらいカオスなら、
別の部屋で仕事をするしかない。

そういう束を作ってしまう傾向を直すよりも、新しい部屋にいって、どこにいったかわからない書類を初めから書き起こしていけば、
整理されていくはず・・



北インド・リシュケシでヨーガの先生から、いくつかの生活のアイデアを歌のようにしていただきました。
この世の中は、皆自分の見たとおり、感じたとおりに存在しているのでしょうか。
目に見えない世界で語られる真実についてインドのマントラ(真言)は、明確に応えてくれます。

< Nirvana Shatakam >

Mano-Buddhy-Ahangkaara Cittaani Naaham
Neither am I the MInd nor Intelligence or Ego
Na Ca Shrotra-Jihve Na Ca Ghraanna-Netre ?
Neither am I the organs of Hearing(Ears), nor that of Tasting(Tongue),
Smeling( Nose) or Seeing(Eyes)
Na Ca Vyoma Bhuumir-Na Tejo Na Vaayuh
Neither am I the Sky, nor the earth, Neither the Fire nor the Air,
Cid-Ananda-Ruupah Shivo{a-A}ham Shivo{a-A}ham ‖1‖
I am the Ever Pure Blissful Conciousness; I am Shiva, I am Shiva, THe Ever Pure Blissfull Conciousness.


Na Ca Praanna-Saminyo Na Vai Pan.ca-Vaayuh
Neither am I the Vital Breath, nor the Five Vital Air,
Na Vaa Sapta-Dhaatuh Na Vaa Pan.ca-Koshah ?
Neither am I the Seven INgredients(of the Body), nor the Five Sheaths(of the Body),
Na Vaak-Paanni-Paadam Na Copastha-Paayu
Neither am I the organ of Speech, nor the organs for Holding (Hand), Movement(Feet) or Excreation,
Cid-Aananda-Ruupah Shivo{a-A}ham Shivo{a-A}ham‖2‖
I am the Ever Pure Blissful Conciousness; I am Shiva, I am Shiva,
The Ever Pure Blissful Conciousness.


Na Me Dvessa-Raagau Na Me Lobha-Mohau
Neither do I have Hatred, nor Attachment, Neither Greed nor Infatuation,
Mado Naiva Me Neiva Maatsarya-Bhaavah ?
Neither do I have Pride, nor Feeling of Envy and Jealousy,
Na Dharmo Na Ca-Artho Na Kaamo Na Mokssah
I am NOt within the bounds of Dharma(Righteousness), Artha(Wealth), Kama(Desire) and Moksha(Liberation)(the four Purusarthas of life),
Cid-Aananda-Ruupah Shivo[a-A]ham Shivo[a-A]ham‖3‖
I am the Ever Pure Blissful Consiousness;I am Shiva, I am Shiva, The Ever PUre Blissful Conciousness.


Na Punnyam Na Paapam Na Saukhyam Na Duhkham
Neither am I boud by Merits nor Sins, neither by Worldly Joys nor by Sorrows,
Na Mantro Na TIrtham Na Vedaa Na Yajnyaah?
Neither am I bound by Sacred Hymns nor by Sacred Places, neither by Sacred Scriptures nor by Sacrifies,
Aham Bhojanam Naiva Bhojyam Na Bhoktaa
I am Neither Enjoyment(Experience), nor an object to be Enjoyed(Experienced), nor the Enjoyer( Experiencer)
Cid-Aananda- Ruupah Shivo[a-A]ham Shivo[a-A]ham‖4‖
I am the Ever Pure Blissful Conciousness; I am Shiva, I am Shiva,The Ever Pure Blissful Counciousness.


Na Mrtyur-Na Shangkaa Na Me Jaati-Bhedah
Neither am I bound by Death and its Fear, nor by th rules of Caste and its Distinctions,
Pitaa Naiva Me Naiva Maataa Na Janmah?
Neither do I have Father and Mother, nor do I have Birth,
Na Bandhurna Mitram Gurur-Na-Iva Shissyam
Neither do I have Relations nor Friends, neither Spiritual Teacher nor Disciple,
Cid-Aananda-Ruupah Shivo[a-A]ham Shivo[a-A]ham‖5‖
I am the Ever Pure Blissful Conciousness; I am Shiva, I am Shiva, THe Ever Pure Blissfull Conciousness.


Aham Nirvikalpo Niraakaara-Ruup
I am Without any Variation, and Without any Form,
Vibhu-Tvaacca Sarvatra Sarve[a-I]ndriyaannaam?
I am Present Everywhere as the underlying Substratum of eveything, and behind all Sense Organs,
Na Caa-Sanggatam Naiva Muktirna Meyah
Neither do I get Attatched to anything, nor get Freed from anything,
Cid-aananda-ruupah Shivo[a-A]ham Shivo[a-A]ham‖6‖
I am the Ever Pure Blissful Conciousness; I am Shiva, I am Shiva, The Ever Pure Blissful Conciousness.

本来の自分の姿について、明確に教えが書かれています。
英語訳のみでごめんなさい。
西洋医学の人間存在の捉え方と違った階層での一人ひとりの魂について理解していきたいです。

 



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異文化に飛び込んで別の言語を学ぶ
2016/08/30 14:07:54 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 美容と健康

「中国人はなぜ痩せているのか」という中国人の林彩美さんが書かれた本をチェンマイのグリーンカフェで読みふけっていたとき、

”新陳代謝の滞り”による肥大した(エゴ)ではなく、メタボリック・シンドロームについてどう向き合っていこうと思いました。

古くから中国の長い歴史や文化を吸収してきた日本人として・・・
中国人の家庭料理研究家の女性の本から抜粋いたします。


1.ひじょうによく野菜を使う

2.植物油(落花精油、胡麻油、大豆油を使い、高温で一気に炒め上げる料理をとっている)

3.香辛料を盛んに使う

4.豆類、豆腐を食する

5.米のほか雑穀、芋類を食する

6.肉のほか野菜をバランスよく食す

7.塩分控えめ

8.料理に砂糖はあまり使わない

9.カルシウムの摂取(小松菜、小魚、動物の軟骨、カキの殻、鮑の殻の粉末、フカひれなど)

10.酒は控えめ

11.茶を多く飲む

12.粥をよく食べる

13.ゆっくり時間をかけて、楽しみながら食べる

14.料理は、大皿や小皿に数種類に分けて準備し、老若必要に応じて取り分けて食べる

そして、お年寄りには、猪脚麺線(豚足と素麺)をお誕生日に作ってあげるのだそうです。

年齢を上手に重ねていけるようコラーゲンやコンドロイチンがたっぷりのフカひれ、ナマコ、白きくらげや加熱した鶏や鶏がらスープなにして摂るようにしているそうです。


『素問』春秋戦国時代に完成されたふるい中国の医学書では、

1.塩の摂り過ぎは血管を硬くする。血液の流れが滞ると体の色が変わる。

2.血液の病気(循環器系)の者は、塩を多くとってはならない。

3.心臓病には塩を禁止する。

とあります。



ふと、初めて欧州のマルタ共和国で長期滞在を体験しているときのことを思い出して・・、

地元の若い西洋人に「や〜い、中国人!」とよくからかわれていました。(笑い)


語学習得のせっかくの機会、一時的に母国語を封印すべく、日本人の少ない土地、欧州を選んだのですが、

その選択が思いもよらず、極東亜細亜人の新参者として西洋人には、中国人も台湾人も韓国人も日本人も皆

ざっくばらんにアジア人としてまとめられているのです。


語学留学の先生も

「日本とは、一体どこの国なんだ。わたしは、アジアには興味がない。」とあっさり。 (^^;おいおい

そういうアジア人のマネーが欧州の危機を救うという発想は、文化も経済も教育も飽和した欧州には、関係ないのでしょうか・・


<スイスの公園ユニークな噴水>       <バチカン>





<バリの橋>                   <バリのココナッツのお店>


<京都の街のお店>               <石垣島の新栄公園>

とはいえ、新参者の日本人のラクシミーとしても、残念ながら欧州人として、ドイツ人もフランス人もイタリア人もロシア人もトルコ人もスイス人もざっくばらんにまとめて目鼻立ちのはっきりした人とくくっておりました。 (失礼・・ごめん

それが、三週間、二ヶ月、半年と時が進む後とに、徐々に国籍や人種がなんとなく識別できてくるから面白い。

学友として一緒に語学の勉強をして、日々の雑多な何気ないことを下手な外国語で話あっていると、

生身の人間の発する感情や思考を伴った道具として変化していきました。

受験勉強で叩き込んだ多くの英単語たち。

使うことを意識されずただ、刺身のように切り分けていくつもの品詞に分解してだらだら読むことがいいと思っていた長文読解。

それも大意を汲み取ることを重要視してスピードを意識した速読がとても重要であると、気づけたのでした。


一文一文を品詞ごとに分断して、骨董品のように自分の世界だけで言語の法則を丸暗記しなければ許されなかった地獄のような科目だったものが、一遍します。


アナウンサーのような明白な語り口の英語しか知らなかったのに、ウェブで氾濫する多種多様な音の幅のある言語を受け止められるようになっていく時代になってきました。

しかしながら、言語という道具を学ぶ過程は、赤ちゃんが親や近しい人との安定した愛情のある関係の中で少しずつ世界を形どっていくために、たくさんの情報が凝縮されたものとして学んでいくはず。

できれば、オンライン英会話などの非現実的な学び方ではないほうがいいのは、言うまでもありません。

マルタ共和国は、わずか淡路島の半分しかない国土の狭い世間にも関わらず、他民族社会でした。


巻き舌のRが印象的なラテン系の人の英語は、母音がはっきりしていて、受け入れやすいけれど、

彼らは、ラクシミーの英語をアクセントが強すぎると非難する。

それは、フランスやスイスなどくぐもった音でやさしく話す民族の人も感じるようで、

自分のスタッカートのついた話し方について思い悩んだことがありました。


ものはいいようで、下手だろうが何だろうが、続けるということが何より大切なんですね・・

ちょっと文章を話せると大褒めしてくれるような先生に助けてもらい、

恥ずかしがらず堂々と間違いながら、

音声学習を継続していくことが、上達の近道のようです。

幸い、マンツーマン でイタリア人の女性に教えてもらって、彼女のユーモアのある優しい音にとても影響を受けました。

「誰に学ぶか」というのは、「どう学ぶか」と同じくらい本当に大切です。

色々な音の世界を知ることも大事ですし、自分の好きな話すスピード、音、好きなフレーズなどを

宝箱にそっと入れていくような勉強がでくると幸せだなと思います。



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