尖閣列島は石垣市登野城地域です
2010/10/18 23:43:00 |
日常 | 全般 |
|
日本全国から選挙で選ばれた人が住民の代弁者、それが市町村着議員、であり県会議員であり、国会議員である・・・議員には、しっかりせよ!と言いたい! 人間が爪先から髪の毛の先まで意識しているょうに、いま自分が何処の誰か、そして何をすしなけれはならないのか?日本国が何処から何処までで、どうなっているのか、同じように肉体は常に体調を把握しなければ健康は保てないのと同じ、常に自分の国、県、市町村議員は選良といわれますが、そんな議員は、思い当たらない、国の今をしっかり把握し、どうすれば日本国民は幸せに成るのか、国民のより良い生き方を詮索し、実行するのが「国会議員」で全国民の税金で生きている者の議員の義務である。私は今、国会を見ていて、すごいストレスが溜っています。
先日の尖閣列島についても、国会に於いて、勇ましく議論展開しているが、内容に乏しく能力乏しく悲しくなる、脳細胞140億の大半がもう崩壊しているのか、悲しい、だいたい尖閣列島とは何処にあるのか、最近になって成って、この小島は台湾ではないのか?いう者もいるそうです。 廃藩置県前の琉球国時代に、美里間切の山方筆者の大城永保が清国航路の途立ち寄って実地調査をしたと言うその報告書があると云われますが、実質的には、福岡の古賀辰四郎氏が1884年に探検調査したのが初めのょうで、翌年1885年には沖縄県知事は調査し,尖閣列島に国標建設を日本政府内務卿に上申したとあります。1892年には、日本海軍軍艦゜海門号を要請、尖閣列島4島の調査、さらに1896年、勅令十三号により尖閣列島の魚釣島、南小島、北小島、久場島の4島を日本領土として沖縄県八重山に編入した、 南小島は石垣町登野城2390番地、 北小島・登野城2391番地、 魚釣島・2392番地、久場島・2393番地、以上4島は同年古賀辰四郎氏が政府から借り受け、開拓事業に着手した。またまだ続きがありますが・・・又にします。 コメント(5) トラックバック(0) |
|
かなしい 総理 市長
2010/05/25 09:10:37 |
失恋 | 全般 |
|
あのナポレオンに戦争の無い国、大砲も刀も無い不思議な国、と驚かせた、琉球王国・・・
薩摩藩は無抵抗の琉球王国を統幕軍資金捻出の道具にしようと土足で踏みにじった。 第二次世界大戦、敗戦でわが子同然の沖縄を戦利品として異民族へ差し出した、長期間の蹂躙されてきたが、 わが日本国の鳩山総理大臣沖縄から米軍基地を撤去する、と言って県民を騙したんだナ、日本国民なら戦後の長い間、今日まで沖縄を差別的立場に立てて来たのだから、これからは私達が替わります、沖縄の皆さんご苦労様でした、と言う事に成るのが人間だ! 日本人だよ! ・・・残念! これかからも沖縄の犠牲の上に の〜ほんと生きていたいのかナ? 鳩山首相も抑止力効果を言うのだったら、日本が今、アジアの中の何処に居て何をすることが先決か毅然と決断する大切な時、言っている事が七変化のあまり、総理大臣の人間性まで考えさせる様では一国の戸主にはなれない! 国民の悲劇だ。 社会安定度日本一と言わしめた石垣市、サラに是以上の日本一の石垣市にしたいと言って、先の市長選挙で有史以来の得票で颯爽と彗星の如く出現した「中山義隆市長」なんと最初の市政方針を盗用した、参考にしたと言う・・・自分の肉声でない事は市民に冒瀆だ、首長として以ての外だ、資質に甚だしく欠落する。 石垣市民は、前市政16年の実績の上に「ゆたか、安全、安定」を実感の上で、目が眩んだのか? 私は大好きな石垣島に人生の半分を過してきたが・・・帰ろうかなと童謡が浮かぶ・・・・悲しいね・・・。 コメント(0) トラックバック(0) |
|




2010/10/18 23:43:00