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八重山j之邦がありました
2012/08/02 22:16:40 ブログカテゴリ 口コミ | 書庫 全般
八重山の歴史書物のほとんどが琉球王国時代の範疇での事件・出来事です。
琉球王府が八重山との明確な拘りの記録は、1500年の「オヤケ赤蜂の乱」以後であり、それまでの八重山は宮古島、多良間島との拘りがあり、古謡などから微かに窺えます、1770年頃は八重山の与那国島、西表島祖納は盛んに米作が行われていた様子があります、与那国島の住民の手厚い看護を受け、すっかり元気になったと朝鮮
済州島の漂流民の金斐・李正・姜茂の三人は、その後5人の舟漕ぎに送られて波照間島についた、この島には水田はないが粟、麦、桼等の作物や建築材等も祖納村と貿易をしている、ここでも蝸牛を食べている、およそ1ヶ月滞在していたか、航海に都合のいい風が吹いてきたので、島の住民5人で1昼夜かかって新城島に送ってくれた、
40戸あります、ここも稲が無いので、お米は祖納まで買いに行く、牛、鶏、猫を飼っているが、牛は食べるが、鶏肉は食べない、1ヶ月滞在した、また5人の舟漕ぎがつぎの黒島まで1昼夜かかって送られた・・・・
「八重山の邦」つづきは後で

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