久しぶりに真面目にブログってみる!(政治の話)
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この「オロクばかりの恵み」では、できるだけ軽めの記事を載せたいと思っています。
・・・が、時としてやはりディープな話題も取り上げるべきかと思います。 わたくし、一応牧師でありますから、聖書のこと、信仰のこと、人生のことは言うに及ばず、社会や時事問題にとっても関心があります。 その中で、最近見逃せない話題はずばり、 普天間基地の辺野古移設問題です。ウチナーンチュであるから当然といえば当然ですが、でも以前の何倍も関心を持って推移を注視しています。 私は当然、辺野古への移設は反対です。 先日の名護市長選挙で稲嶺氏が当選したことを心から喜びました。 何のデータもありませんが、実感としては沖縄のクリスチャンの90%は反対だと思います。 クリスチャンの中にも容認派、もとい積極的支持派の方もいます。 私がこの問題で注目している点はいくつかあるのですが、特に「普天間基地の固定化」という部分です。 辺野古移設反対!!というと、容認派側が判を押したように、「じゃあ、普天間基地は固定化されてもいいの?」と必ず返してきます。 もちろんそれはダメです。絶対に・・ しかし、そういうことじゃなくて、政府与党が必ず出してくるこの「普天間基地固定化」という、いわば脅し文句は、私には完全に詭弁じゃないかと思われてなりません。 本当は普天間基地が固定化されるのがいやだから、危険だから、沖縄にこれ以上負担を掛けたくないから、しょうがなく辺野古に移設するという、「苦渋の決断」なんかではなく、どうしても辺野古に新しい基地を作りたくてしょうがない、そんな政治家の思惑が見えてしまうのです。 残念なことに、多くの日本人がそんな政治家たちの表面上の言葉だけを聞いて、「普天間基地の固定化よりは辺野古に移設するほうがましだよね。」と簡単に騙されてしまっています。 沖縄の人たちの中にもそう思っている人が少なからずいますが、でもその論理はどこかおかしい、なんか違和感がある、納得できない、というような思いが上回っている、いえ、拡大している状況ではないでしょうか。 政府の悪巧みを、ウチナーンチュならではの直観で見抜いているのです。 沖縄のことを本当に考えて、本当に心から負担軽減を望んでいるのなら、なんで本気でアメリカと交渉しないのかな? 「基地を国外に移転することはできませんか?」とか「この基地は危険なので閉鎖すべきです。」とか・・・ 日米同盟、日米安保、安全保障が大事??? いいでしょう。 でも、少しくらい沖縄の立場に立って言ったっていいはずではないでしょうか? 少しくらい・・・・ ぜんっぜんないんですよね、そのような発言が。 皆無なんです。 つまり、その程度だっていうことです、沖縄のことは。 だから、負担軽減だの普天間基地固定化の回避だのもっともらしく言っても、全部ウソにしか聞こえないわけです。 今の政府与党を見ていると、経済的にも軍事的にもあらゆる面で日本を「強い国」にするために、なりふり構わず突っ走っているように思えます。 集団的自衛権の問題、特定秘密保護法案の問題も全部根っこでつながっています。 原発を再稼働することや、そればかりか新しい原発の建設すらちらつかせるような言動にもそれが見て取れます。 あれだけ福島第一原発事故で痛い目にあったのに、インドやトルコに原発を売り込もうなどと、どうしてできるのでしょうか。 政治家だけではありません。 ネットの記事をくぐってみると、驚くことに政府を支持する言葉だけでなく、聞くに堪えない過激な表現で隣国を罵倒し自国を礼讃するような言葉で満ちています。 そこには歴史を謙虚に顧みるという姿勢はほとんどなく、負の歴史をもみ消す、あるいはまったく違うものにすり替えるというような恐るべき行為すら普通に行われています。 日本には確かに素晴らしい面がたくさんあります。 文化、自然、生活習慣、考え方の中には誇るべきものがあります。 他国に行けばわかりますが、日本人には人としてたくさんの良さがあります。 しかし、今の日本の政治の現状やネットに溢れている悪魔的な言葉の数々には、深く失望せざるを得ません。 過去の失敗から学ぼうとしない民族にはどのような未来があるのでしょうか。 イエスを「十字架に付けろ!」と叫んだ群衆の姿を見ているようです。 深く憂う今日この頃です。 ![]() ![]() |