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日々雑感を書いていきます。無精者なので更新は気の向いた時・・・・ということであしからず!
中村哲医師について
2020/12/29 17:54:51 ブログカテゴリ 感動 | 書庫 キリスト教
今日2回目の投稿です。

昨晩BS1で、昨年12月4日に銃弾を受けて亡くなったペシャワール会中村哲医師についての特集番組がありました。
中村さんについてはこれまで何でも特集が組まれて放送されていて、私もそのたびに観るようにしていましたが、改めて、この人の人柄と行動力に惚れ直しました。
だいぶ前に沖縄で講演会があったときにも直接講演を聞いて感動したのを思い出します。
決して弁が立つ方ではないのですが、昨日紹介されていた中村さんのいくつかの著書の中の文章には何とも言えない力強さを感じました。

彼の命日が私の誕生日であったことに、大変おこがましいのですが個人的になんとなく運命的なもの感じています。
中村さん自身はあくまで医師として、そして緑の大地プロジェクトのようなプロジェクトのコーディネーターとして働かれたという認識であったろうと思いますが、私に言わせれば、彼こそ宣教師だと思います。
現地で直接ご自身の信仰の話をされたかどうかわかりません。
彼を通してイエス様を信じるに至ったアフガンの人がいたのかどうかもわかりません。
しかし、彼の行動によって何十万人もの命が救われました。
その働きはイエス様の働きそのものだったと思います。
彼はご自身の生き様を通し、行動を通してイエス様のミッションを遂行されました。
命を危険にさらしながら愛の働きをすること以上に尊い宣教の働きがあるでしょうか。
彼を通して、分け隔てなく隣人を愛するというキリスト教のポジティブな側面が伝えられたことと思いますし、また彼に感化されてキリスト信仰に興味を持つ人が間違いなく起こされたであろうと信じます。

ペシャワール会の何千分の一の規模のエデンプロジェクトですが、中村さんの信念と行動を一つのモデルとしながら、ネパールのために私たちにできることをこれからも続けていきたいと願っています。


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仕事納め
2020/12/29 17:32:32 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 教会
うーん、予想していない形での仕事納めとなりました。
前理事の一人として、所属連盟の臨時理事会に陪席をいたしました。
ややシリアスな議題があり、これは前理事にも何らかの責任があるのでは?ということで呼ばれました。
年明けてからも議論は続きそうです。

連盟の理事は全員で7人。
任期は2年で最長2期務めることができます(つまり連続最長4年)。
でも、立候補する人はほとんどいません。
事前に推薦を受け、一応承諾をした上で、総会にて投票で選ばれます。
ちなみに推薦を受けた人はほぼみんな総会に代議員として出席しますが、牧師だけではなく、その教会の役員も多く出席します。
ところが結果的に選ばれるのはほぼ牧師です。
牧師は聖書や信仰のことに関してはよく知っていますが、組織運営や事業については残念ながら素人です。
これが問題で、大切な事業経理のことなどを、事情に明るい代議員から突かれたときにうまく答弁できないという事例が発生したりします。
単純に知識と経験不足なわけですが、やや熱めの信徒さんからすると「責任の所在はどうなってるの?」的なご指摘をなさったりするわけです。
11月に行われた総会でそのようなことがあり、執行部である理事の皆さんはご答弁に苦慮されていました。
その時に未承認となった議題を引きずる形での今日の臨時理事会だったのです。

個人的に言わせていただけるなら、フルタイムで牧師をしながら本来の専門外のことについて責任を負わされるのはなかなかしんどいです。
代議員の皆さんには、最初から事情に明るい適任者を理事として選んでほしいと思います。
牧師が数人入るくらいならいいのですが、ほぼ全員牧師というのはかなり危険です。
問題意識を持ち、事業や組織の在り方に明るく、労苦をいとわない牧師以外の信徒の方々がぜひその責任を担っていただきたいと思います。
信仰やいわゆる「霊性」も大切ですが、それで組織運営するわけではないですから。


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クリスマスを迎える中で
2020/12/22 11:30:13 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 教会
今年のクリスマスは本当にくるしみます・・(定番ギャグ)
どこまで新型コロナの対策をすればいいのか、ということなんです。

先日20日に無事にクリスマス合同礼拝と祝会を執り行うことができました。
教会堂は狭すぎるので、礼拝と祝会の両方とも、お向かいの自治会館をお借りして十分に間隔を開け、換気を行って実施しました。
小さな教会にとってこのようなホールがすぐ近くにあることのメリットは計り知れません。
本当に有難いことこの上ないです。
結果としては予想していたくらいの人数である50人くらいが集まり、弁当の数も足りて、ばっちりだったと思います。
始めて来られた方、久しぶりの方もおられました。
導いてくださった神様に心から感謝します。
ご奉仕してくださった方々のご労にも感謝です。

次は24日のキャンドルサービスとキャロリングです。
キャンドルサービスは、YouTube Liveで生中継と録画配信のハイブリッドで行うことになりました。
聖歌隊は教会堂に全員集合し、聖句朗読や詩朗読は事前に撮った録画を流す、という風に。
今日と明日で編集作業を一気に行います。
キャンドルサービス独特の厳かな礼拝の雰囲気が、YouTube配信でも味わえることを期待しています。
(ただし、礼拝のような公開設定はせず、限定公開と致しますのであしからず。)

キャロリングについては、小禄地域で最も大きな商業施設から、先ほどようやくキャロリングをやってもいいという許可が得られました。
道行く人が少しでも足を止めて聖夜の讃美歌に耳を傾けてほしいと思います。

そんなこんなでコロナ禍に翻弄された一年が過ぎようとしています。
信仰が試され、教会運営の柔軟性、適応性が求められた一年であったかと思います。
5月の総会で選出された新しい役員の皆さんがそろって普段からSNSをよく利用されている方々なので、様々な緊急事態にもオンラインですぐに意見交換ができ、迅速に対応できたことは神さまの大きな恵みに他なりません。
時宜を得た助けを神様は与えてくださいます。
まだまだコロナの影響は続くと思いますが、新しい年も神様の守りを得て、神様の祝福のうちに宣教・牧会に勤しんでいけたらと思います。


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不正の証拠はあるのか?
2020/12/17 17:16:34 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 政治
絶賛連載中(?)のタイトルを変更することにしました。
タイトルで内容が少しわかるようにしたいと思います。(でも結局米大統領選についてなんだけど・・)

トランプ支持派の方々が「不正の証拠が大量に見つかった」として訴えている件ですが、もし大量に見つかったのであれば、それらが一つとして裁判で取り上げられないことは実に不思議な現象です。
ここで証拠とされているのは、票の投開票を撮影した動画、画像、文書、または票の動きに関する異常なデータなどです。
トランプさんもジュリアーニ弁護士もパウエル弁護士も証拠は「何千とある」と叫んでいますが、一つとして取り上げられていないのです。
考えられる理由をいくつか考えてみます。
1)裁判所は事実を知りながら意図的に証拠を隠滅している
2)裁判所は民主党支持者から脅迫を受けているために、証拠採用できない
3)裁判所は面倒臭いことを避けている
4)証拠として出されているものが事実かどうかの確認ができない
5)そもそも証拠として採用するに値しない
などでしょうか。

そもそも「証拠」というのは、ある事象が起きた原因について、いつ、どこで、だれが、どのような方法で行ったかなどを明らかにする決定的資料であり、裁判で採用される場合には当然判決に大きな影響を与えるものです。(私は裁判や法律に関してはど素人ですが、この理解は間違ってないと思います。)
それらが曖昧であれば、証拠を提出した側か、もしくはそれを基に訴える側が、その証拠が真正なものであることをできるだけ明らかにする必要があります。
そして判決を左右しそうな有力な証拠であれば、まともな裁判所であれば、必ず採用するのでないでしょうか。
なぜなら、裁判所だって誤った判断はしたくないはずですから。
法に照らしつつ多くの人に納得してもらえる判決を下すために、決定的な証拠であればあるほど裁判所は欲しがるに違いありません。

ところが、今回トランプ側が起こした訴訟は、州の裁判所でも連邦裁判所でもことごとく退けられているのです。
連邦最高裁を含むすべての裁判所が、不正だと知りながら意図的に証拠不採用にしているというのは、ほぼあり得ないことです。(ディープステートを強く信じる人はこの説を支持するかもしれませんが。)
なぜなら、裁判所には共和党寄りの人も民主党寄りの人も同じようにいるからです。
前に書きましたが、今回連邦最高裁が関わった二つの裁判がありましたが、9人のうち6人が共和党側の判事であるにもかかわらず、両方の裁判で訴えが退けられました。
普通に考えて、国の命運を握るほど大きな責任を負い、憲法や法律について知り尽くし、一般国民が知りえない内部事情についての情報も握っているであろうこれらの方々が、一様に訴えを退けたということは、一つしか理由がありません。
すなわち、裁判所の目から見て、挙げられている証拠は事実でないと確信を持っている、もしくは採用するにも値しない程度のものだということです。

「でも実際に動画や画像があるではないか。」「不正な票の動きがあるではないか。」という方もいるでしょう。
私の個人的見解では、例えば動画に関しては、不正っぽく見える部分を、さらに不正っぽく見えるように編集(切り取り)して、「これは不正だ!」と説明書きを加えてSNSで拡散しただけのものがほとんどではないでしょうか。(例えば、この動画の件)
つまりは、ある種の愉快犯によるものです。
あるいは、本当に不正だと思って十分確認をせずにネットにあげる場合もあるかもしれません。
一番厄介なのが、最初に投稿したネタを拡散するのに一役買っている自称評論家、自称ジャーナリスト、自称ユーチューバーなどの存在です。
彼ら自身は信念に基づいてそうしているのかもしれませんが、フォロワー数やリツイート数、チャンネル登録者数を増やすのに美味しいネタであることは間違いありません。
確信犯もいるものと思われます。
いずれにせよ、日常的に不正を信じ込んでいる人たちのほとんどは、元の動画などを確認せず、すぐに「これは不正だ!」と反応してくるのです。
票の操作を示すデータに関しては、実際は特異な動きでもなんでもなく、選挙で普通に見られることだということが、幾つかのファクトチェックで明らかになっています。

普通に考えて裁判所がこういった情報を知らないはずはありません。
知らないで裁判官をしているとしたらとんでもないことです。
なので、彼らは極めて常識的な判断で、多くの人たちが不正の証拠だと訴えているものを一顧だにしないのだと思います。

え、どこにその証拠があるかって?
自分なりにネット情報を吟味した結果です(笑)。
でも、元ネタにも当たらず「不正だ」と言っている方の情報よりは信ぴょう性が高いと思いますが。


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アメリカ大統領選挙雑感(8)
2020/12/15 12:26:52 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 政治
選挙人による投票が14日に行われ、予定通りバイデンさんの大統領当選が確実となりました。
就任式までまだ時間はありますが、トランプさんがこの結果をくつがえすために取れる手段は、もはや軍事行動を辞さない戒厳令を発動する以外ない*ものと思われますが、いくら破天荒なトランプさんでも、さすがにそのようなことはしないと信じています。(*追記:他にも手段は幾つかあるようです(12/17))
確たる証拠のない「不正」を理由に、結果が気に食わないからと大統領の権限を振りかざして暴挙に出るとするならば、いよいよアメリカの民主主義はヤバいと思います。

この選挙人投票の結果が出たことに関連した様々な情報を見てみると、日本人のトランプ支持者の側に「これはフェイクニュースだ」「結果はまだ決まってないだろ」「マスゴミはいい加減にしろ」と叫んでいる人たちがかなりいます。
情報の出所が左寄りのメディアというだけですぐに攻撃する姿勢は何とかしてほしいと思います。
疑うのはもちろん自由ですが、投稿する前に元ネタにあたる程度はしてほしいです。

もう一つ、ミシガン州で共和党支持者らが投票会場の外で「私たちは選挙人よ。中に入れなさい。」と警備を担当している警察官に訴え、押し問答をしているビデオが拡散されていました。(こちら
これについても、ビデオの視聴者から「ここでもまた不正が行われているのか。」「どこまで民主党は腐っているんだ」みたいな批判がなされていましたが、そもそもミシガン州は民主党が取ったわけですから、選挙人16人は民主党側の人が正式に選ばれているわけです。
正式に選ばれた以外の人が自分たちこそ選挙人だと言ってきたところで、警備担当が「ああそうですか、では中へどうぞ」ってなるわけないのは子どもでも分かることなのに、大真面目に批判しているんですよね。

不正という名で拡散されている画像や動画のほぼすべてが、このように屁理屈や難癖をつけて相手を貶めるようなものばかりと言っていいと思います。
各社がファクトチェックを行って、訴えられている不正について一つ一つ結論を出しています。
例えば、ここ
もっとも、陰謀論を支持する人たちはこれらのファクトチェック自体をフェイクとみなすので、議論は平行線にしかならないのですが。

情報を読み解く力「メディアリテラシー」が本当に大切です。
怪しい情報が出たら、すぐにうのみにしない、他にも類似の情報がないか調べる、元ネタがどこから出ているのか調べる、真逆の情報がないか調べる、などひと手間かけることでメディアリテラシーは向上します。

実は聖書研究でも全く同じことが言えます。
私たちの教会で今終末論を学んでいますが、この分野は怪しい言説の見本市のようなものです。
驚くほど多種多様の怪解釈が飛び回っています。
何が正しく、何が正しくないのかの見極めは、ひとえにできるだけ多くの文献にあたることです。
自分がこうだと信じている説だけを集めるのではなく、真逆の考え方をしている説を読むことで確実に理解は深まります。
その上で自分の考え方をしっかりと持つことですね。
もっとも、私たちは「信仰」をもって聖書と向き合いますから、その背後にある神の御心や計画を抜きにすることはできません。
適切な解釈ができるようにへりくだって祈りつつ、聖霊の導きに委ねる姿勢を大切にしたいと思います。


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