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日々雑感を書いていきます。無精者なので更新は気の向いた時・・・・ということであしからず!
平和について
2018/06/18 08:20:00 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 一般
6月23日慰霊の日が近づいてきました。

小禄バプテスト教会では、この日(もしくはその日に近い土曜日か日曜日)に平和学習として戦跡を訪ねるのが恒例になっています。
これまでに訪れた場所は、海軍司令壕跡、対馬丸記念館、平和記念資料館、平和の礎、南風原文化センター、チビチリガマ・シムクガマなどです。
今年度はどうしようかと、数カ月前から思いめぐらしていたところ、地元小禄では沖縄戦の様相はどうだったのかとふと気になり、様々な資料に当たり始めました。
小禄といえば、現在の那覇空港はもともと小禄飛行場と呼ばれ、太平洋戦争を見据えて作られた軍事飛行場であったことは有名です。
そこからほど近い現豊見城市の海軍司令壕跡に日本軍の指揮をする司令室がありました。
小禄はまさにその司令室と飛行場の間に位置していますから、戦闘が穏やかだったはずはありません。
実際に1945年6月上旬から中旬にかけては、梅雨の中まさしく泥仕合となり、米軍、日本軍、地元民の大勢が犠牲になるような阿鼻叫喚の様相が小禄地域を覆いつくしたようです。
これまでも知らなかったわけではありませんが、調べれば調べるほど、小禄での戦闘が他の地域同様に悲惨であったことが、改めて浮き彫りになりました。
それで、今年度はためらうことなく、私たちの足元で平和学習を行おうと思い立ちました。

すでに解散した1フィート運動が1990年代末に調査した資料では、小禄地域だけで24の防空壕が確認されています。
ただ、そのほとんどは宅地造成や安全のために埋め戻され、沖縄戦当時の状況を知ることができるところは今ではごくわずかになってしまいました。
その中で、田原公園内のことぶき山壕と、2回目になりますが小禄に隣接する旧海軍司令壕跡を訪ねることにしました。
併せて教会でビデオを観ながら、みんなで戦争と平和について考えたいと思います。

昨年チビチリガマとシムクガマに行ったある小学生の女の子は、暗いガマの様子が怖かったらしく、今年の平和学習には行かないと言っています。
もちろん、怖がっている子を無理やり連れていくことはしませんが、沖縄戦当時そんな暗くて怖い場所に逃げざるを得なかった年端もいかない子どもたちもたくさんいたわけで、その子にとっても沖縄戦のむごさを知る一つの体験だったのかなと思います。

そんなわけで、よい学習ができればいいなあと思います。


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1年半ぶり!
2018/03/06 18:24:32 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 一般
「おろくばかりの恵み」ファンの皆様、お待たせしました!(笑)
1年半ぶりに帰ってきました!
なんと、2017年は一度も投稿していなかったんですね。
ほんとに気まぐれで中途半端で「てきとー」で面目ありません・・。(´・ω・`)

これからもその調子だとは思いますが・・・

「ブログ誰も読んでいないだろうなあ」とずうっと思っていたのですが、数人の方から「ブログの更新止まってますね。」と言われてびっくり!
「え、読んでいる人いるんだ」とちょっと反省、と同時にありがたく感じました。
ちょっとずつまた書いていこうと思います。
ディープなテーマからライトなものまで。
ちょっとだけ期待してください。(=^・^=)


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繁栄の福音ってどうよ?(2)
2016/09/24 13:22:34 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 一般
前回、繁栄の神学の問題点について書きました。
英語のサイトですが、さらに詳しく書いてある記事がありましたので、ご紹介します。

Relevant:http://www.relevantmagazine.com/god/worldview/prosperity-gospel-creates-poor-christians

(以下、私訳)

今年の初めごろ、テレビ伝道者クレフロ・ダラー師が6500万ドル(約70億円)もする自家用機を購入するために資金を造成していたということで、ネットが炎上する騒ぎがあった。ダラー師はその要求をあきらめるどころか、最近になり、彼を批判した人々は聖書を理解していないのだと主張している。

 

しかし、ダラー師が「繁栄の福音」を唱えた最初の牧師では決してない。今週初めに、コメディアンのジョン・オリバー氏は彼の番組である「ラストウィーク・トゥナイト」にテレビ伝道者たちを招いた。彼らは、神は宣教に献げる人には豊かに報いを与えるということを信徒たちに約束する「種の信仰」というアイデアを推し進めている人々である。

 

この種類の教役者たちは数十年にわたりキリスト教の上流階級に浸透していった。中庸に生きる代わりに、彼らが自家用機を乗り回し、高価なスーツを身に着け、あるいは何百万ドルもする家に住んでいるのを我々は目にするのである。

 

これらの説教家たちは、流暢でカリスマ的なメッセージを発する。「神は従う者に経済的な繁栄を獲得させ、快活な健康を体験させ、心地よい生活を送らせることを望んでおられる」と。

 

「あなたの語った通りになる(Name it; Clame it!)」というのが彼らのいわば呪文である。神が与えようとしている素晴らしいものを受け取れるかどうかは、それが儲けのある仕事であれ、銀行口座の残高の増加であれ、肉体的な癒しであれ、完全にあなたの信仰(時としてそれはあなたが最初にいくら献げる意思があるかによって表される)次第というわけである。

 

これらの説教家たちは、信仰はいわば「天国のお金」であると主張する。それは神を動かすのだと。だから、私たちの天の特権を手に入れる方法は、私たちが自分自身の内側を探り、すべての不信仰を根こそぎ抜いてしまうことであるとする。

 

この神学には果てしない嘘がある。誤った希望、ゆがんだ現実、欲望的な思いという結果をもたらす。

 

神はご自身に従うものに決して経済的な豊かさを約束していない。使徒パウロはエペソの教会に対してこの点に言及し、「金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。」(Iテモテ6:10)と警告している。

 

イエスは私たちの(願いをかなえてくれる)精霊となるために十字架で死なれたのではない。イエスは、お金そのものが悪いわけではないと同時に、お金や物を持ちすぎることが私たちを危険に陥れることをご存じである。それゆえに、イエスは彼の弟子たちに「天に宝を積みなさい」とお命じになったのである。

 

また、オリバー師が指摘しているように、繁栄の福音の教師たちはよく、自分たちのミニストリーに献金すれば経済的な祝福に預かるとリスナーたちに約束する。「種を蒔く」ことはあなたの小切手帳を空にするために語られる美辞麗句なのである。この陰謀は誰かの金庫をいっぱいにするのであって、あなたの金庫ではない。

 

繁栄の福音では、痛みや苦しみはクリスチャンの生活には存在すべきでないと教える。が、現実はそうではない。

 

ダラス・ウィラード師は現実について、「あなたが間違ったことによって陥ってしまったもの」であるとしてそれを否定した。しかし現実というものは、私たちがどれだけ信仰を持っていたとしても、繁栄の福音の野望に満ちた考えをすべて黙らせるほど強力である。

 

イエスを受け入れることは、痛みから完全に解放される人生への切符ではない。痛みや苦しみの現実を受け止めようとしないような神学などまったく言語道断である。

 

ジョン・パイパー師が語っている。「普通のキリスト教は痛みを伴う。悲しみがあり、しかし常に喜びがある。」私たちは神が究極的にこの地上または来るべき世において、私たちを苦しめるものから回復させてくださることに信頼を置く。後者を神が選んだとしても、それは神の栄光のためなのである。

 

「そればかりではなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ローマ5:3−5)

 

繁栄の福音の完全なる皮肉は、それが貧しいクリスチャンを生み出しているということである。繁栄の神学は私たちから神の真の祝福を奪い取ってしまう。なぜなら、それは最初から決まっている結果の中にだけ不屈の希望を作り出しているからである。あなたは全宇宙の創造者が、私たちの祈りに応えて小切手を書く(=支払いをする)義務を負っているとお感じになっていると想像できるだろうか?

 

神は私たちが天の銀行口座を信仰で満たしているから責任を果たすわけではない。むしろ、神の子としての永遠の命という究極的な(私たちが決して自分の力で得ることのできない)贈り物を与えられるのである。

 

私たちの信仰に従って神が私たちを祝福してくださるのを待つというだけの有害な繁栄の神学に身を委ねるのではなく、真の福音に対して感謝の心を耕すべきである。感謝は、神がすでにどれだけ私たちを祝福してくださっているかということに私たちの目を向けさせてくれる。感謝はまた他の贈り物に気づかせる新たな機会となる。なぜならそれは、ある状況下で、神が何をしなければならないかではなく、神がどのように働きたいと願っておられるかということについて大きな期待を抱かせてくれるからである。

 

感謝は状況の変化には決して左右されない。それはその人次第である。真の信仰は、たとえ天国のこちら側では望んだ結果が見えないときでも、キリストの愛のご性質とご人格に信頼することである。

 

もちろん、だからと言って私たちは信仰による大胆な祈りをおろそかにすべきではない。なぜなら御霊は関係を修復し、正義を浸透させ、汚れたものを清くする働きを今なお続けておられるからである。私たちの欠点を癒し、経済的な祝福を与えられるかもしれない。

 

いずれにせよ、私たちの霊的な生活が豊かであるゆえに、私たちの心は常に喜ぶことができる。たとえ苦しみの中でも喜びを叫ぶことができ(ヤコブ1:2)、艱難の中でも平安があり(ヨハネ16:33)、来るべきより素晴らしい世に信仰を持つことができるのである(ヘブル11:16)。



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あけおめ!
2015/01/01 01:43:37 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 一般
あけましておめでとうございます!

2015年が明けました!
すごいです。
久しぶりのブログが新年明けてすぐ!
わたくしの今年の意気込みが感じられます。(笑)

実は、昨年はブログの書き込みはもとより、ウェブサイトの更新もほとんどせずにいたのですが、フェイスブックだけはちょくちょく更新していました。
それだけでも事足りるかと思っていましたが、やはりヘヴィな内容のものや、「牧師っぽい」神学的な内容をフェイスブックに載せるのもなんだかなあ、という思いもあったのです。
そんな時には、やはり教会のブログにちゃんと綴っておくべきですね。
意外とウェブサイトも見られているということもわかりました。
なので、放置しないで、ちゃんと牧師としての視点でいろいろな話題をこのブログに書いていけたらと思います。

何をいまさら・・という感じですが、よろしくお願いします。

取り急ぎ。

東風平巌

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おまた!!!
2014/01/28 00:05:36 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 一般
1年近くもアップするのをさぼっていました。(汗)
何もなかったわけではありません。
それどころか、本来なら報告すべき事が山ほどあったのですが、相変わらず「てーげー」な性格なものですからついつい疎遠になってしまいまして・・・。
ですが、一応宣言しましょう。

がんばりますっ!!


教会の出来事、私の身の回りの出来事などを中心に、時に軽やかに、時にはディープに話題をお届けしようと思っております。
小禄バプテスト教会のサイトも併せてアップいたしましたので、あちらの方もできるだけまめに更新できるようにしたいと思います。
居はこの辺で。

God bless you!




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