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教会の個性?
2015/01/09 14:35:34 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 教会

舌に口内炎ができ、腫れて痛いです。(涙)
昨日から塩水でうがいしてますが、治るまであと数週間はかかるのでしょうか・・・。

「教会の個性」ということで話をします。

キリスト教会は一般にはカトリックとプロテスト教会、それに正教会の3つに大別されますね。
じゃあプロテスタントはみんな一緒かといえば、これまた全然違うんです。
礼拝スタイルや聖書の読み方、解釈の仕方、教義上の強調点など。
組織上も千差万別ですね。
例えば、私が属しているバプテストと呼ばれる教派も、本当にいろいろあります。
リベラルから超保守派までよりどりみどりというか・・・。

違うということはとても良いことで、それは個性でもあります。
神様は一人一人にそれぞれの個性をくださいました。
同じように、教会にもそれぞれの個性があるのですね。
音楽の専門家が多く集まる教会であればやはり音楽に力を入れるし、米軍基地のそばにある教会は、基地問題に取り組んだりする・・・というように。

しかし、単純に「個性」というくくりで許容できない場合があることも事実です。
それは、例えばクラスには様々な個性の子がいてそれぞれの個性が尊重されるべきだけれども、クラスの和を乱したり、自己中な行動をとったり、他の子をいじめたりする場合は、もはや「個性だから」では済まされないのと一緒です。

キリスト教会の場合、教理的に明らかに逸脱している、組織的に一般常識から大きく外れている、人々を脅したり惑わしたり何かを強要するといったような体質上の問題がある場合、もはや「教会の個性」とは言い難いものを感じます。
特にまずいのは、「うちの教会こそ一番正しい!聖書的!」とか「うちの牧師は霊的にとても権威があるから、その教えに従わないと・・」のような優越思想的、あるいは極端に排他的な雰囲気を醸し出している場合。

実際にそのような教会があって、結果的にそこで深い傷を負わされてしまった人がいます。
その人が癒されるのには相当な年月がかかります。
傷を与えたのが本来愛を語り実践すべき教会であり、牧師であるわけですから。

教会は決して完全無欠な場所ではありません。
不完全であるからこそ、たくさんの教派が存在しているわけです。
そこに集まる人々はみな罪びとです。
聖人などと呼ばれる資格のある人は一人もいません。
それは牧師であっても同様です。

だからこそ何よりもまず謙遜を身につけなければなりませんね。
信徒あっての牧師であり、地域あっての教会だということ。
上に立つのでなく、下から仕えるということ。
イエスご自身、「仕えられるためではなく、仕えるために」来られたのですから。
弟子たちの汚い足を洗ってくださったイエスのように、私も徹底して仕えるものになりたいです。



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