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日々雑感を書いていきます。無精者なので更新は気の向いた時・・・・ということであしからず!
「同性婚」問題雑感
2015/07/04 15:01:23 ブログカテゴリ 結婚 | 書庫 キリスト教

フェイスブックがここ1、2週間騒がしいですね。
私と繋がっている人が偏っているせいでしょうか。(笑)

先日、アメリカの最高裁が同性婚を支持する判決をしたことが話題を呼び、これに反対をしてきた福音派の教会から様々な問題提起がなされています。
それに対してまた賛否両論が入り乱れ、他国にも波及し、そして日本でも一部で大激論が交わされています。
フェイスブックでは、今回の最高裁の決定を歓迎することを表すため、プロフィール写真を虹色にするサービスを提供しました。
私の何人かのフェイスブックフレンドも虹色にしましたので、「おっ、この人も支持派か・・」というのが確認できたりするわけです。

で、私の意見を述べる前に・・・

実は私がアメリカの神学校に入学する前、3か月間語学学校に通っていたんですね。
もうかれこれ20年近く前のことです。
ある授業でのことですが、「一人一人に違うテーマをあげるので、一分間でそのテーマについて意見を述べなさい」ということを言われました。
そのテーマは短い単語で紙切れに書かれていて、一人ひとりくじ引きのように引き、数十秒程度の時間に考えをまとめて発表するという、日本人には苦手なタイプの授業でした。
で、私の引いたものが何だったというと、ずばり「Same-Sex Marriage」つまり同性婚だったわけです。
私は「えーっ!?」と唸るしかありませんでした。
そんなテーマ考えたこともなかったからです。

当時日本では同性愛というのは一部の人たちの「異常な性癖」という見方がなされていました。
同性婚という概念すらなかったかと思います。
それがいきなり、「同性婚について意見を述べよ」と来たわけですから、私はびっくりするより他ありませんでした。
そして、しどろもどろに「同性婚は間違っている!」と一分間で発表した記憶があります。

神学校では、正面切って同性婚や同性愛について取り上げられることはありませんでした。
私の神学校は比較的リベラルな神学を教えていたので(福音派の教授もいましたが)、この点についてナーバスになっているところがありました。
結局、同性愛についての私の考えは、神学校を卒業後、牧師をしながら、聖書を読みながら、また社会の情勢を見ながら次第に固めていくことになります。

さて、本論です。

ずばり、私は「同性愛は罪である」という意見に○でも×でもなく、△をつけたいと思います。
どういうことかといえば、「同性愛の傾向がある」ということは明らかに罪ではないと信じます。
男の人が男の人(あるいは女の人が女の人)を恋愛の対象として好きになってしまうことは、本人の感情の問題です。
よく、「恋愛とはしてしまうもの」という言われ方がなされますが、それは対象が誰かを問わないものです。

しかし、同性愛が自然に生じるところまでは十分許容できるとしても、それを行為に持っていくことについては、罪であると信じます。
夫のいる妻を好きになってしまっても、その人と関係を持ってしまうことは罪です。(この場合、関係を持ちたくなるほど好きになること自体まずいことに違いありませんが)
未成年の子を好きになってしまっても、その人と関係を持ってしまうことは罪です。
好きになるという感情と、その人と性的関係を持つということは明確に区別しなければならないと考えます。

その点から考えて、同性婚というのを私は支持しませんし、聖書も支持していないと信じます。
「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」(創世記2:24)は、結婚の奥義です。
イエス様自身もマタイ19:4-6でこの部分を引用され、一夫一婦が神の御心であることを述べられました。

同性婚を否定することを、人権の無視だとか、差別だ、と考える人たちがいます。
同性への恋愛まで否定してしまうと、人権無視というか、人格否定につながりかねませんが、法律で同性婚を認めるというのはまた違う話です。
不倫を法律で認めるか、未成年との性的関係を法律で認めるか、一夫多妻を法律で認めるか、という議論は今のところありませんが、同性婚についてもわずか数十年前まで議論のテーブルにすら上がらなかったものです。
何が人権無視で差別なのか、しっかり考えなければなりません。

もう少し書こうと思いましたが、長くなりましたのでまた今度にします。




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