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繁栄の福音ってどうよ?
2016/09/02 21:45:45 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 キリスト教
久しぶりの投稿です。
いつもながら無精者ですみません・・(><)

「繁栄の福音」と言われる教えがあります。
すごく簡単に言うと、

「疑うことなく心から神を信じれば、経済的、物質的な豊かさや健康を手に入れることができる」

というものです。
とても分かりやすいですね。
早い話が、ご利益主義的キリスト教です。

結論を先に言うなら、小禄バプテスト教会はこの教えを支持しません。
それどころか、このような誤った世界観を排除します。
でも、もう少し説明が必要ですね。

確かに聖書には、神を信じる信仰の大切さがふんだんに書かれています。
同時に、神を呪い神に背を向ける生き方が、結果的に不幸な結末になると警告しています。
というか、私は牧師ですから、当然信徒の皆さんに信仰をしっかり持つように勧めるわけです。
そして、神は信じる者を決して見捨てたり路頭に迷わすことはなさらないということを、講壇からいつも語らせていただいています。

ですが、上に書いた繁栄の福音はそれとは別物です。
聖書は明確に、どんな信仰者であっても試練や迫害に遭うと語っています。
経済的困難や健康上の問題、人間関係のトラブルなど、現実に生きている中で当たり前に通らされるわけです。
でもイエスを主と信じる者にとって、それらの苦難はもはや意味が違ってきます。
神が私たちを愛するがゆえに、そして永遠に神と住まうという究極の目的ゆえに、私たちは苦しみをも価値あるものとすることができるのです。
私たちは苦しみや痛みが完全に去るように祈るのではなく、これらを乗り越える力が与えられるように、そしてこれらを通して神にますます近づくことができるように祈ります。

繁栄の福音のもっとも大きな問題は、経済的困窮や病気は神からではなくサタンからのものであると考えることです。
私たちを幸せにしようとされる神がそのような目に私たちを遭わせるわけがない、と言うのです。
もし私たちがそのような苦しみに遭っているとすれば、それは信仰が欠けているからだ、あるいは何か重大な罪を犯しているからだ、完全に神を信じればそんなことに遭うはずがない、として、現実の困難の中にある人たちを責めます。
これは大変不幸な過ちであり、間違った教えです。
このような教えは、問題を抱えている人たちをさらに追い込み、解放どころか束縛してしまい、自責の念で一杯にします。
私たちを救うため、自由にするため、そして平安を与えるために主イエス・キリストが来てくださり十字架にかかって下さったにもかかわらず、不安と恐れと罪悪感に満ちた信仰生活を送らなければならないとしたら、これほど皮肉なことはありません。

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネによる福音書8章32節)

このテーマについて、数回にわたって書いてみたいと思います。
ただし、いつになるかわかりませんが・・








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