ごーやーどっとネット沖縄  [PR]沖縄県民ニュースをチェック! こんにちは ゲスト さん。 ログイン・ブログをはじめる  
日々雑感を書いていきます。無精者なので更新は気の向いた時・・・・ということであしからず!
千年王国と神の国
2021/03/03 19:15:33 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 聖書
キリスト教の中心テーマとは言えないのですが、たまにその解釈をめぐって議論になるものの一つに「千年王国」があります。
千年王国について、「わたしの教会では礼拝説教で牧師がしょっちゅう語っています」とおっしゃる方は、それだけで牧師のスタンスがかなりピンポイントで予想できます(笑)
昨年4月から終末論の学びを続けている私たちの教会では、今日初めてこのテーマについて学びました。
いつものように一通り私が説明をし終えた後、皆さんの表情を見ると、一様に「こりゃあ、理解するのむずかしいわ・・」っていう顔をしていました。(予想通りです・・( ´∀` ))

千年王国とは、聖書の一番最後の書であるヨハネの黙示録の中にしかない、しかも最後から三番目の章である第20章にしか出てこない言葉です。(合計6回出てきます)。
概念としては旧約聖書のいくつかの預言書の中に見え隠れしていますが(解釈によります)、キリストご自身もパウロも、このことについては明確に語っていません。
分厚い聖書の最後から数えて数ページのところにようやく登場する内容ですから、普通の本で言えば「あとがき」の部分でちょこっと触れているだけような感じにも思えます。
終末について何度も語っているキリストご自身やパウロがほぼ沈黙していることを考えても、この解釈をめぐって正統とか異端とかを決めつけることには特に注意しなければなりません。

今日の学びでは、ざっくりと、1)千年王国はキリストの再臨の後に完成するという説(千年期前再臨説)、2)千年王国はあくまで象徴であり、現在の教会時代を指しているとする説(無千年王国説)、3)千年王国が地上で実現した後にキリストが再臨するという説(千年期後再臨説)の3つについて説明しました。
それぞれの主張にそれなりの聖書的根拠があり、その説が生まれて支持されてきた社会背景や歴史があることも併せて学びました。(私自身は1番目の「千年期前再臨説」を支持しています)

中でも、どうしても教理上押さえておきたいポイントは、いわゆる「神の国(天の国)」と千年王国とのつながりです。
イエス様は千年王国については明確に語られなかった一方で、神の国(マタイによる福音書では「天の国」という言葉が多用されているが同じ意味)については、まさに中心主題として何十回も語られました。
マタイでは「天の国は〇〇のようなものである」とイエス様が譬えで話されている個所がいくらでも散見されます。
その一つ一つを読んで分かるように、神の国は必ずしも遠い未来の話ではなく、イエス様がおられたあの2000年前の「現在」にすでにあったことがわかります。
少しくどい説明ですが、神の国とは「キリストの王的支配」という風に表現されます。
イエス・キリストが公の働きを開始したときから、小さな種が地に蒔かれ、芽を出し、根を張り、少しずつ植物が育っていくように、キリストの支配は世界に少しずつ広がり始めたのです。

イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」(マタイによる福音書13:31−33・新共同訳)

また、ファリサイ派の人たちがいつ神の国が来るのか、とイエスに尋ねたときの答えは特に重要です。

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカによる福音書7:20−21・新共同訳)

イエスが臨在されるところ、そこに神の支配があり、それこそが神の国なのだと言われたのです。
イエスの御名によって集まるところは神の国の一部ですから、教会も神の国です。(「♪ここも神の御国なれば 天地(あめつち)御歌を 歌い交わし♪」の讃美歌を思い出しますね。)

神の国についてはそれ以外にも多くの言及があります。(「神の国と神の義をまず第一に〜」など)
それらは神の国の「現在性」を特に強調しているように思えます。

一方で神の国には「終末性」の側面があります。

イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」(マタイによる福音書13:24−30・新共同訳)

この麦と毒麦のたとえ話では、天の国(神の国)には良い人だけではなく、悪い人もいることがわかります。
そして刈り入れの時(終末)には、良い人と悪い人が峻別され、それぞれの運命が異なることを教えています。
まとめると、神の国は現在世界の中で拡大されつつありますが、ちょうど麦(御国の子ら)と毒麦(悪い者の子ら)が混在している状態であって、最終的な裁きの時には、悪い人たちは永遠の滅びへ、「正しい人々はその父の国で太陽のように輝く(マタイ13:43)」というのです。
何をもって悪いとか正しいとか判断されるのかと言えば、もちろん聖書全体を貫くテーマである「信仰」との関りで理解されますが、それについてはここでは触れません。

神の国は、上のたとえ話が示すように、現在の玉石混合状態から、今後終末に向かうにつれて、いよいよ悪が増大し混とんとした状態に向かうでしょう。
しかし最終的には、誰も言い訳ができない厳粛な裁きの時を迎え、その時キリストに迎え入れられた人は、キリストと共にある至福の時を過ごすのです。
これこそが「千年王国」であると私は理解します。
つまり、神の国は終末の千年王国によってついに完成を見るのです。
ここで千年王国が文字通り千年間(Millenniam)続くかどうかは、私はあまり大切ではないと思います。

いつになく長文になりましたが、今回これをブログに書いた理由は、ある著名な牧師のサイトに「神の国=千年王国」であるかのような記述があってとても違和感を覚えたからです。
冒頭に書きましたように、千年王国の理解の違いについて、自説が絶対に正しい、他説は間違いだ、と決めつけることに十分注意しなければなりませんが、私自身が取っているスタンスについては、公開をさせていただこうと思いました。

ご感想、ご意見、ご批判などお寄せくださると嬉しいです。


コメント(0)
トラックバック(0)