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色々勉強
2010/02/18 21:22:17 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 木曜男
こんばんは、木曜日専属の松原です。

僕の実家は愛媛ですが、おばぁちゃんの家の近くに二つの井戸があります。

まずは「片目鮒(かためぶな)の井戸」
この井戸は、近くの「紫井戸」と並んで、「松山の七不思議」や「伊予節」にとりいれられており、昔から人々に親しまれている。
この井戸の名のおこりは、「片目の鮒」が棲みついていたことによるという。
「片目鮒」の由来は、弘法大師の伝説である。

昔、四国巡礼中の弘法大師ここ木屋町を通りかかると、とある家の前の井戸端で一人の老人が鮒を焼いていた。
網の上ではねている鮒をあわれに思った弘法大師は、老人に話をして鮒を受け取った。大師は、すでに片方の目の焼けている鮒を呪文をとなえながら井戸に放した。鮒は元気をとりもどし泳ぎはじめた。この後、この井戸の鮒は、「片目の鮒」ばかりになったという。

今は井戸は枯れている片目の鮒を見ることはできないが、一度でいいから見たかった・・・

そしてもう一つの井戸が、
「紫井戸」である。

この紫井戸という美称の由来は、二説あり、
その一つは井戸の水が常に紫色にみえていたことによるという。
その二つは、水質のよい、この水を使って醤油をつくったので、醤油の呼び名の「むらさき」の井戸と呼ばれるようになったというのである。

『松山有情』(佐々木忍)によると、「このあたりは水の豊富なところで、大正の末期ころまでは、地下水が自噴していた」とあり、この紫井戸もあふれるほどの水量があったと伝えられている。

すぐ近くの「片目鮒の井戸」と地下の水路でつながっていて、「片目の鮒」が泳いでいるのを見たという話も残っている。日露戦争で松山の捕虜収容所にいたロシア人が、この井戸水を好んで飲んだともいわれる。

小さい頃にもあまり興味がなく見ていた記憶がありますが、今改めて見に行ってみると、なかなか興味深い話だなと今頃になってようやく気付きました。

今沖縄に住んでいるので、沖縄の歴史や名産物も結構分かりますが、ただ漠然と学生生活を送ってきた愛媛は、
愛媛=みかんだけ!!というイメージしか湧いてこない。これじゃダメだと思い、これからはもっと生まれ故郷について勉強しないといけないな思いました。
今はまだ愛媛=みかん=ポンジュースしか連想できませんが、沖縄も好きですがやっぱり生まれ故郷も好きなので色々学ぶべきですね。


男塾度・・・50



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