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たかが貝、されど貝。
2013/05/21 19:58:04 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 文明・文化の話し。

誰もが知っている「貝」。海山川に恵まれている日本では知らない人はいないのでは?食べてよし、見ても綺麗。。。工芸品にも古くから使われ、加工して装飾品としても1万年以上、日本では使われていますね。

しゃて、私は貝集めが好きだ。小学生のころからだから筋金入りの貝のコレクター。まぁ、このところ海から離れてしまいブランクはありますが・・・

これはコレクションのほんのほんの一部。今回催事のディスプレイ用に石垣から大移動してきたものです。






















































レアなモノは展示できませんが、南国の海の貝は普通の方々なら見て驚く色彩と形ばかりだはず。少しでも喜んで頂こうと、こうした石垣島や竹富島時代に集めたモノを展示しています。

貝という漢字、実は「お金・宝」といった意味を持ちます。

例えば、次に準備するお金「貝」は資本の「資」。お金を動かす才能は「財」。貝をあまり分けすぎると・・・「貧」。。。などなど、「貝」が付く漢字はほとんど「お金」まつわる言葉を意味する事が多いのです。

貝を佇む(留める)で貯金の「貯」。貸す・・・などなど・・・結構、ありますよ。


その昔から人は美しい貝を「通貨」として使っていました。中国では殷時代(まぁ、約3500年前です)、タカラガイを通貨として、また身分を証明するものとして使っていました。また広くインド・メラネシア・ポリネシアなど広くアジアの国々で通貨として使われていました。

殷の時代の遺跡から多く出土する「ハナビラダカラ」です。日本全国に見られるタカラガイ。緯度の地理的問題で中国沿岸部には生息していないので、このような美しい輝きを持っていた南方系の貝は別物に見えたことでしょう。























因みに生きている時はこんな感じ。「外套(がいとう)膜」で貝全体を覆ってカモフラージュしてしまうので慣れないと見つけることは難しいと思いますが・・・
























このタカラガイの利用方法はこれで終わりません。アジア大陸奥地にまで広がって行きます。海の無い国々、特に山岳民族には未だにこのタカラガイを使い民族衣装に飾りとして使っています。なんと、極寒のシベリアではシャーマンが自分の衣装に縫込んでいたそうです。

通貨として広くユーラシア大陸に広がって行った事になります。その後、貴重品として一部の権力者に重宝され、時代と共に民族の宝として現在に至っているのだと思うのです。

パキスタンの山岳民族カラーシャの美しい民族衣装です。女性の帽子には多くのタカラガイが縫い付けてあります。




















と、コレクションの話しから通貨としての貝の話しに飛んでしまいましたが参考になれば、是幸いと存じまする。


それでは。


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生贄という考え方。
2013/04/16 22:25:23 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 文明・文化の話し。

13世紀頃、南米にインカ帝国という一大文明があった。空中都市マチュピチュでも有名だ。

当時、太陽は神であり、豊饒の象徴でもあるが時には日照をもたらし災いも人に与える「恐れ」の対象でもあったはずだ。その太陽に捧げ物として収穫物、お酒なんかも事あるごとに祭壇にお供えしていたに違いない。

その捧げ物として、「生贄(いけにえ)」は特に天災が続いたりした場合は行われていたようだ。侵略してきたスペイン軍が村に「ミイラ」が安置しているのを見て、野蛮な文明と一蹴、侵攻を早めたそうだ。

ただ、インカでは生贄に選ばれると言う事は、名誉な事だったそうだ。

1999年、何と標高6730メートルのアンデス山脈にあるルライラコ山で、3人の子どもたちのミイラが発見された。発見された場所は「インディオの石壁」と呼ばれる囲いの中で、これらのミイラは、今を遡ること500年以上前のインカ帝国時代に行われた、トウモロコシの収穫祭で生贄となった子どもたちだったと推測されている。。。

これはその1人。15歳の少女。






































6730mの地点から、研究施設に持ち込まれた少女は色々な検査を受けた。500年前の人間とは思えない。。






















インカの上質な貫頭衣を着せられており、顔には赤い顔料が塗られていた。また、インカの人々が神聖なものとして扱っていたコカの葉が入った布袋をもっていた。トウモロコシでつくった酒を睡眠薬代わりに飲まされた後、ルライラコ山の高度約6730メートル地点に置き去りにされ、眠るような姿勢や顔の表情から、凍死したと推察されている。その後、石垣が作られ安置された。

当時、インカでは帝国の発展と繁栄のため、太陽の神に子どもたちを捧げるという風習があった。生贄になった子どもたちは、神の国に派遣された大使として尊ばれ、死後信仰の対象になったとも言われている。






































この少女本人が望んでか否かは別として。このように自然に対して人は畏敬と畏怖の感情を抱き、最大限の態度を示そうとするものだが、現代人としての理解を超越する世界観があったことは確かだ。

せめて、生贄になった少女の名前は近くに残してもらいたかった。。。

確かに彼女は500年前にこの地球上で生活していたんだ。



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縄文土器復元体験
2011/01/23 16:01:35 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 文明・文化の話し。
uppic

いんゃー、細かい作業で目がショボショボしてきちゃう。。

復元職人(?と呼ぶのかな)の根気には脱帽だ。

布テープで仮留めするんだね。
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古代文明・・・ナスカの地上絵など
2011/01/18 20:16:25 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 文明・文化の話し。

山形大学の研究チームが「地上絵」で有名なペルーのナスカで新たな地上絵を発見したそうだ。


驚いたのは、衛星から地上の様子を確認する発見方法だそうで。。JAXAが2006年に打上げた陸域観測技術衛星「だいち」のデータを使っているんだ。こんなところにも日本の宇宙技術が活躍してるんだね。

この「だいち」の地上データは四川大地震の被災地の詳細なデータを、中国政府に提供し、救助計画に役立てたそうで四川省から感謝状が届けられているんだよ。


話しがそれそうだ・・・


これが今回発見された地上絵の1つ。。。顔。うん、確かに。



















ナスカの地上絵はどのくらいあるんだろ・・・と思っていたら、なんと現在まで、1000以上の地上絵が確認されているらしい。スゴイね50〜60くらいかなと思っとりました。

やはりナスカの地上絵といえば・・・・






















とか

こういった地上絵が頭に浮かびます・・・





















この地上絵は紀元前200年から600年の間に描かれたのではないか?と一応は色々な検査から年代は断定されているそうだ。

このナスカ文化に生きた人々は「文字」を持っていなかったと考えられていて、どのようにして社会性を維持していたのかというのが、考古学上の興味だそうだ・・・・

そのかわりにナスカの人達は色々なデザインや工芸品を残しています。










































これからも、宇宙からの目で色々な発見があるかもしれないな・・・


たのしみたのしみ。




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マーシヤ王国の財宝
2011/01/14 19:38:47 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 文明・文化の話し。

7世紀ごろ、現在のイギリスは七つの王国が支配していた。

その1つに「マーシャ王国」があるのですが、その王国のあった場所から当時の貴金属・宝石が大量に発掘されました。

イギリス国内では2010年の歴史的大発見・・・と銘打たれ、大英博物館で展示もされたそうです。



実物、見てみたいな。日本に展覧会来ないかしら。。



マーシャ王国は下の地図で「MERCIA」と表記されている領土の王国だ。(この地図は9世紀頃の領土を地図にしているもの。)





























地元の人曰く、地表すぐ下から古いモノが良く出てきていたらし・・・





















大々的に発掘すると、出るは出るはの1500点・・・その一部をどんぞ。




















この時期は、ローマ帝国衰退後のヨーロッパ世界。キリスト教は廃れ、ケルト民族の自然崇拝などの宗教が再び、一般に広がっていた。発掘されたデザインからも、ケルト独特の文様が見て取れる。石はガーネットが主流だ。十字軍の守護石でもあったガーネットはローマ帝国後も「守護石」だったんだね。




































































金細工の技術もかなりハイレベルなのが分かる。
























































戦いに明け暮れていたこの時代、ブレスレットには何か護符的な意味合いで文字を刻印していたんだろう。家族の名前だろうか・・・死して分かるように自分の名前と出身地だろうか・・・




















キリスト教の復興が始まっていたんだ。イギリスのほとんどの王国がキリスト教に改宗する中、マーシャ王国は中々改宗をしなかったらしい。出土品からはクロス装飾品が幾つか出ている。王国内では色々な宗教が混在していたんだろう。









































この時代の戦いは、敗れた王国は滅ぼされること無く支配下でその自治をある程度認められていたそうだ。細かく分解すると100もの王国があったらしい。


それをまとめていたのが、7つの王国。


ローマ帝国後、1つの秩序が無くなり混沌とした時代が続いていたヨーロッパは、群雄割拠、戦略上手(戦争ではないよ)が領土を広げていった時代だ。


この後、勢力争いが激しくなり、イギリスは血で血を洗う時代に突入して行く。


そして、現在のエリザベス王室が唯一の存在となっているのです。



歴史を遡ると面白い。


紹介した装飾品は全て、戦いの時に身に着けていたものだ。当時の息遣いが聞こえて来そうだ。。。


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