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板門店 DMZ(非武装地帯)
2006/11/17 22:22:17 書庫 全般
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朝..昨夜の激辛&激旨チゲのお陰で、1時間ほど..トイレで苦しんだ後、板門店ツアーの出発となるロッテホテルへガイドさんに送ってもらい、北緯38度線DMZの板門店へ...

第二次世界大戦後...自由主義と共産主義による分断された国家で現代に唯一残っている「朝鮮半島」

戦争の世紀であった20世紀の歴史の1ページを、今のうちに見ておかなければならないと思い、このツアーに参加しました。

DMZの板門店は、ソウルから北にわずか80km程の場所にあります。今も停戦状態の軍事境界線のわずか80kmに韓国の首都が位置していることが凄いですよね。。。

板門店に向かうバスの車中で、日本語が堪能な女性のガイドさんが、北緯38度線で朝鮮半島が分断されるまでの歴史を説明して頂きました。

この説明の冒頭が、日本の朝鮮半島併合..大東亜戦争の終結から朝鮮戦争勃発までの話...我が国近隣諸国である朝鮮半島と台湾...現在の姿は、少なくとも我が国の敗戦によってもたらせられたものであり、現代に生きる日本人が無関心でいてはならないと強く感じました。

朝鮮戦争勃発から現在に至るまでの説明を熱心に聴いていると、バスはDMZ(非武装地帯)へと入って行きました。

まず、最初の検問所で、銃をもった韓国軍兵士が、バスの中へ入り、全員のパスポートを確認..さらに進むと、先程の検問所より厳重警備の検問所で、韓国軍憲兵隊が2名が乗り込んできて、再度..全員のパスポートの確認...

ここで、全員に訪問者(見学者)宣言書という紙を渡され、署名するように言われました。

この訪問者(見学者)宣言書というのは、DMZ立ち入りに際し

「DMZは、国連軍と北朝鮮軍による分割警備地域であり、立ち入りを許可した国連軍、韓国軍並びにアメリカ軍は、あなたの安全を保障できないし、責任を負う事は出来ない」

「訪問者は国連軍の威厳を保持するに適切な服装でなければならない」

等々...と書かれておりました。

そして..ガイドさんからは、「私が撮影してもいいという場所意外では、絶対に写真撮影を行うわないこと、北朝鮮側に向かい、手を振ったり、指を指さないこと、私の向いている方向以外の写真撮影は行わないこと...等々」の注意、この注意を破るものがひとりでもいた場合は、その時点でツアーは中止するとの事...

その他にも、いろんな注意がありましたが...覚え切れません。

そして、DMZの国連軍管理の施設に入り、再度板門店の歴史のレクチャーを受け、専用車両に銃を携帯したアメリカ陸軍兵士と共に乗り込み、国連軍のジープを先導車両にして、いよいよテレビでよく見る板門店へ...

まず、板門店を見渡せる展望台に上ると...居ました居ました!北朝鮮軍兵士が数名!

向こうもこちらを見ています。。。

そして、2列に並び、板門店の青い建物の中に入ると、中には韓国軍憲兵隊2名がおり、北朝鮮側に立っている憲兵隊の兵士は、テコンドーのファイティングポーズをとっておりました..何かあった場合、我々見学者を守る為、常に身構えているのだそうです。

その横で、(^^)vサインで記念撮影をする日本人観光客...(uu#)

板門店の中から北朝鮮側を見ていると、来ました来ました北朝鮮兵士10名程が、あの独特の行進をしながら、こちら側に来て、配置についておりました。

2枚目の画像は、板門店の中から撮影した北朝鮮の兵士です(中からは撮影OK)。北朝鮮兵士の足元に幅50cm程、高さ10cm程のコンクリートのラインが見えますね...これが38度線の停戦ラインです。

板門店の中では、このラインを跨ぐ事が出来ますので、北朝鮮に1〜2メートル程、越境したことになります...ちょっと感動。

窓の外の若い北朝鮮兵士のひとり...目つきは鋭いものの、私達日本人と同じ顔をしていて、その素朴な顔(えなり風)を見ていると、彼らが現在於かれている状況を考え...急に悲しくなりました。

続く...


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JCI世界会議ソウル大会報告Part1
2006/11/17 19:19:32 書庫 全般
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仁川国際空港から、渋滞の道路を抜け、メイン会場となっているソウル市内のCOEXモールへ...

コンベンション施設、レジャー施設、ショッピングモールを兼ね備え、総床面積が5万坪もある超近代的な造りの巨大な施設であるCOEXモールに圧倒されつつ、COEXモール内の日本JCの部屋で登録キットを受け取り、さらに渋滞の中...宿泊先である、明洞地区のホテルへ...

移動中、夕暮れ時のソウルの街中を、バスの車中からずっと見ていたのですが、とにかく...もの凄い勢いで、高層ビルの建設ラッシュ!それも東京の近代的な高層ビルに負ける劣らずのビルばっかりで、近未来都市の様相を呈しておりました。

それに、車の渋滞が凄い(*_*)
ソウルは、人口1,800万人の大都市なんですが、鉄道や地下鉄等の公共交通機関の整備や、首都高速などのインフラ整備が、まだまだなのかな...という気がしました。この渋滞による、経済的損失はもったいないと思います。

規制に守られていた韓国の基幹産業である自動車産業は、数年前に釜山を訪れた時は、ヒュンダイ自動車やキア自動車..大宇などの国産車がほとんどでしたが、今回訪れると、ベンツやBMW..アウディなどの欧州車が結構走っていました。
韓国の自動車産業が、海外へ進出し、国際競争力が付いてきたので、自動車産業の保護政策が緩くなったんでしょうね。

...といっても、高級車のみですが。
欧州車に混じって、トヨタのレクサスもよく見かけました(レクサスブランドのみ)
ガイドさんによると、輸入車?1人気は、レクサスなんだそうです。

バスの中で、明日の行動予定をガイドさんと打ち合わせを致しましたが、那覇JC安里理事長や、安里繁信顧問は、次年度の日本JCの役員なので、早朝会議からの参加で予定がビッシリという事..

...なので、私は独りで、北朝鮮との軍事境界線である38度線の非武装地帯(DMZ)にある、「JSA」に行くことにしました。

第二次世界大戦後の最後の分断国家の象徴でもあるJSA訪問...そして、あの北朝鮮の地を間近で見れる...先日、ブログで北朝鮮の件を書いたこと少し後悔しながら(^^;)早めに就寝いたしました。


その前に、沖縄からの参加者で明洞のレストランへ・・
ガイドさんに紹介してもらった、レストランの激辛チゲがとっても美味しかったです。
・・翌朝、大変な事になると分かっていながら・・(^^;)


次回は、ドキドキのJSA訪問について書きます。

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八重山JC初代理事長
2006/11/14 05:22:40 書庫 全般
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明日から韓国ソウルで開催されるJCI世界会議に参加する為、那覇にいます。

今日は、那覇市仲井真在住の、八重山JC初代理事長の中村幸栄氏を訪ねて来ました。

まず、ご在宅かどうか電話を掛けたのですが、電話をとって頂いた奥様が、「旦那は留守です」との事・・・それでは、名刺だけでもと思い、レンタカーのナビを頼りに、那覇市仲井真の入り組んだ迷路のような住宅地近辺を探し回りましたが、探せるはずもなく・・途方にくれておりましたが・・・

神様が案内してくれたようです。

レンタカーのヒュンダイTBがやっと通れるような、路地の行き止まりで車を降りて、辺りを見渡すと、「中村」という表札が・・・(泣)

中村幸栄氏の息子さんの家でした。中村幸栄氏のご長男の奥様が出てきて頂き、隣の幸栄氏の自宅に案内されたのですが、奥様に名刺を預けようと思ったのですが、私が八重山JC第45代理事長だと告げると・・・

「もしかして・・・先ほど電話された方ですか?・・選挙運動の方だと思い、旦那は留守だと伝えたのですが、居ますよ」(^^;)

中村氏の自宅の応接間に通され、念願の初代理事長、中村幸氏氏にお会いできました。

中村氏は85歳なんですが、カクシャクとしていて、八重山JC設立当時の貴重なお話を聞くことが出来ました。

この方がいなければ、今の八重山JCはないんだな〜と思うと、感動でした。

中村氏は、那覇の方で、石垣市のパイン缶詰工場(沖縄缶詰)勤務の為、石垣で暮らしており、八重山JC設立の依頼があった際に、第2-3代理事長の石垣氏に頼まれ、初代理事長を引き受けたのだそうです。その数年後に那覇に戻り現在の沖阪産業設立メンバーのひとりとなりました。

八重山JCの先輩はじめ、私たちのほとんどが、なかなかお会いする機会がなく、今に至っております。

実は、先日お会いした第2-3代理事長の石垣氏からも聞いたのですが、中村幸栄氏・・映画のようなエピソードである船の遭難事故からの生存者なんです。

昭和38年8月17日・・八重山では、八重山JC創立1周年式典開催の日・・中村氏は、パイン工場で働いて頂く女性労働者を募りに、久米島に向かう客船「みどり丸(300トン)」の船上にいました。

この「みどり丸」が、那覇市沖10kmの海域で高波を受けて沈没したのです。

死者・行方不明者112名を出す大惨事となりましたが、中村氏は奇跡の生還を果たしました。このみどり丸沈没の事故の一報は、創立1周年記念式典を開催していた八重山JCメンバーにも届いたようですが、中村氏生還の一報が入り、創立1周年記念式典は、一転、中村氏生還を祝う場になったようです。

この「みどり丸」沈没事故から33回忌にあたっての中村氏の手記、「みどり丸遭難記」を頂きました。ほんとに、映画のようなエピソードですよ。

今日は、突然の訪問にも関わらず、歓迎して頂きありがとうございました。



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八重山JC創立者
2006/11/07 00:01:57 書庫 全般
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今月24日に開催される、八重山JC創立45周年式典の案内状をお届けする為、八重山JCの第2代理事長である、石垣信亨大先輩のご自宅を訪問致しました。

八重山JCの生みの親と言える石垣信亨大先輩...まさしく石垣の基礎を築いた方の一人でもあります。

石垣信亨大先輩は、大正13年生まれ、1963-64年に第2-3代八重山青年会議所理事長、1966年石垣市議会議員当選(2期8年)、1974年八重山観光協会会長、1978年石垣市商工会第2代会長、1980年石垣ロータリークラブ第20代会長、1981年八重山法人会設立、初代会長...という輝かしい経歴の御方でありますので、野底(伊土名)のご自宅を訪問した際は大変緊張致し、石垣信亨大先輩が、玄関先に現れた時は...ダース・ベイダーのテーマ曲が頭の中で流れておりました。。。(汗)

私...余計に16年もJC会員をさせて頂いておりますが、石垣信亨大先輩と直接お話するのは、これが初めてであります。。。市長とお話しさせて頂くより緊張いたしました...

石垣信亨大先輩...私のような者を応接間に通して頂き、八重山JC設立当初のエピソード等のお話をして頂きましたが、私一人で聞くのがホントにもったいない気がする程、面白いお話ばかりでした。

1962年..NOM時代の沖縄青年会議所の尚詮会頭が、石垣信亨大先輩のもとを訪れ、翌年開催が決まっているJCIの沖縄会議開催に向け、是非、八重山でも青年会議所(JC)の設立を...と依頼され、急拵えの八重山青年会議所を設立..石垣信亨大先輩は、当時..石垣に住民票を移していなかったことから、沖縄缶詰の中村幸永氏に初代会頭就任を依頼し、1962年8月1日に、尚詮会頭・大見謝恒宏直前会頭の出席のもと..八重山青年会議所は誕生したそうです。。。

石垣商工会会長時代に、今の事務局のある石垣商工会の建物を建設する為に、石垣市から2,000万円で土地を取得..翌年..「石垣の青年の為に何とかしてくれ」と当時の内原前市長にお願いしたところ...土地代の2,000万円のうち、1,000万円を補助してもらったそうです。

石垣信亨大先輩は、あの会館には..最初から、石垣市商工会・観光協会・八重山JC・石垣ロータリークラブを入居させる目的で建設したのだそうです...大事に使わなければいけませんね。

石垣信亨大先輩が「あっ...設計管理協会は、まだいるかね?・・何故、設計管理協会があの建物の中にあるか知ってる?」と聞くので、「いや・・知りません」というと・・・

「あの建物は、ただで設計してもらったの、それで家賃はいらないから入居してくださいと・・(笑)」・・なんだそうです。

他にも、時間が経つのを忘れるぐらい、いろんなお話を聞かせて頂きました。そして、石垣信亨大先輩の自伝の書と、石垣信亨大先輩が期成会会長として建設した「大浜信泉記念館設立の記念誌」を頂きました。

感謝申し上げます。

私たちが、(社)八重山青年会議所という看板のもと、地域からの信頼と付託でもって活動できるのも、石垣信亨大先輩をはじめとする、先輩方のお陰なんだと、再認識させられた一日でした。。。

2枚目の写真は、1964年..ハワイJCと沖縄JCとの合同研究会で、ハワイを訪れた時の写真だそうです。左から2番目は、金秀グループ創業者である呉屋秀信氏、左から4番目は、当時の会頭である故.有村喬氏です。

この時、ハワイへは..なんと!嘉手納基地から行かれたのだそうです...それも無料で。


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