紺野貴裕
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![]() 最後の夏 2011 僕が浦商に入学しようと思い始めたのは中学1年の頃でした。県立の強豪といったら浦商しか思い浮かばずただ強いからという理由で浦商に入学したいと思っていました。 2008年の夏、浦商が「甲子園」を決めた試合。その試合での浦商の選手の全力プレー、観客も全員一体の大応援団。それを見た時僕はただ強いから浦商に行きたいのではなく、心から野球を楽しみたくて浦商入学を決めました。 入学してから最初の頃は練習についていくのがやっとで、高校野球の厳しさを実感しました。夏休みは地獄のようにきつかったのを覚えています。それでもみんなと励まし合いながら頑張りました。 2年生になりメンバー争いが始まり、なかなか良い結果が出せず背番号をつける事は一度もありませんでした。最後の夏こそ!と思い必死に練習したけどメンバーには入れませんでした。でも後悔はしていません。こんなに毎日朝から晩までボールを追っかけバットを振る。人生一生分の野球を楽しめました。後は夏勝って甲子園に行くだけ! 「一勝懸命」バカみたいにがむしゃらにやってきた2年半の集大成を夏にぶつけます!! 最後に、今まで支えてくれた両親や先生方にはとても感謝しています。特に母は毎朝文句も言わず送ってくれて本当にありがたいです。いつも「お母さんが見に来たら負けるから。」って言う母にも夏は勝って甲子園をプレゼントしたいです。そして、甲子園には試合を見に来てほしいです。応援してくれたみんなの為にも絶対甲子園行く!そして甲子園こそメンバー入り! ![]() ![]() |
3年堀川将汰
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![]() 「最高の友と 最高の夏を 最高の舞台へ」 by堀川将汰 ![]() ![]() |
本日の日程
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おはようございます!
今日は10時練習開始です!! ![]() ![]() |
伊佐川烈
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6月23日(木) 3年間を振り返って 夏〜開幕 3年間を振り返って思うことはたくさんあります。自分が浦商に入学を決めたのは自分でも分かりません。1次試験を落ち2次で迷ってる時なぜか浦商に心がひかれました。あの時のことをとても覚えています。本当に頭の中には浦商しかありませんでした。入学すると先輩方にキャプテンを任されました。何をしれば良いのか分からない毎日、ただひたすらに過ごしました。毎日のように糸数先生に怒られて、自分の仕事を分かるのに2ヶ月から3ヶ月かかりました。自分の中学の時は手におえないくらいたくさん悪いことをしていました。でもキャプテンを任されてとても自分で変わっていくのが実感しました。周りに目をくばることを考えて行動するまでの速さなどとても変わりました。また、先輩を敬うことなど社会に出てから役に立つ事を教わりました。野球の強いチームの印象の裏にはとてもしっかりとした事があったからだと思います。1年生大会も準優勝になって、自分は試合には出てないけどこのチームのキャプテンでとても誇りがありました。 先輩の夏が始まり、負けてしまった時とても悔しくて自分も泣いてしまいました。お世話になった先輩の泣いてる姿を見ると自分も同じ気持ちになっていました。「次は自分達」と決意をきめ、時代になるとまさかのキャプテン交代でした。1年半自分がやってきたことが否定されていると思いました。それから自分はやる気などがなくなりました。培ってきた「周りを見ること」「行動すること」などが出来なくなっていました。周りを見る視野が狭くなっていました。その時に助けてくれたのも糸数先生で、自分にかけてくれた言葉は「みんなお前の言うことを聞くってことは、みんなお前を信頼しているからなんだよ」と言われて、心のモヤモヤがすぐに晴れました。キャプテンをおりても自分のキャプテン癖がでてしまい、ついつい細かいところまで見てしまいます。自分が1年の頃にやっていたことが出来るようになった証です。そして1番しんどかったのは浦商名物の冬トレです。朝は7時から夜9時までみっちり練習をしていく中で後輩や同級生ともチームワークを深めることが出来 ました。 そして迎えた最後の夏。3年間はとても遅いようで早く、あっという間でした。自分はメンバーとしてプレーは出来ないけど、何より3年間自分を支えてくれた家族に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。親にはたくさん迷惑をかけました。その分、応援団として精一杯やっていきたいと思います。このチームなら絶対に甲子園に行ける自信があります。自分に関わってくれた人、3年間本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。 「2011最も熱い夏を浦商が制す」 応援団副団長 伊佐川烈 ![]() ![]() |
知念龍之介
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![]() 6月23日(木) 自分が浦商に入学したきっかけは、3年前の2008年浦商が春の選抜王者、沖尚を打ち砕き、甲子園行きを決め甲子園で大暴れする浦商の選手のプレーを見たのがきっかけでした。自分も浦商で野球がしたい、甲子園に行きたいそう思いました。念願の浦商に入学しました。入学式のオリエンテーションの日、初めて神谷先生の顔を近くで見ました。自分が想像していた神谷先生の顔はとても優しい顔を想像してたけど近くで見てみると、目つきは鋭く体中からオーラが出ていたのを覚えています。そこから浦商生活は始まりました。1年の始めの頃は、応援練習ばかりでした。始めのうちは、みんな楽しんで応援練習していたけど後々、飽きていって声も出さなくなって先輩に怒られてばかりでした。学校生活では、とても決まり事が多く毎週どこかの組が走らされていました。けどその決まり事も今思えば当たり前の事で出来て当然の事です。そう思える事は、3年間の成長だと思います。新チームになっても、先輩には怒られてばかりで、糸数先生には「ボーイズ」と呼ばれ、「浦商の伝統を崩す」とまで言われました。だけど、その事もあって1年生大会を準優勝する事が出来たと思います。自分が一番思い出に残っている練習が1年夏休みの地獄の練習です。しかも、最初の2週間は、ヤバかったです。言葉で言い表せないほどのキツさでよく夏休みを耐えれたと今になって思います。先輩達のあの重圧の中、あの暑さ、弁注は1日に2回するという意味が分からんくらいの練習量、鬼の糸数先生、これを乗り切った自分を誉めたいくらいです。次にオフシーズンの冬トレです。砂袋から砂利袋に換わり、重さも20キロにアップしました。平日の日もトレーニングがあり、ゴロ捕球など、地道は基礎練習も多かったです。そして、正月に入る1週間くらいの前の強化練習もヤバかったです。最終日のあの達成感は忘れられないです。夏休み、冬トレ、強化練習、この厳しい練習で野球を辞めようと思った事もありました。それでもこうして最後まで来れたのは、家族の支えや監督、コーチの支え、何より苦しい時もトレーニングで厳しい時も、一緒に頑張って来た仲間がいたからで す。この仲間がいなかったら今の自分もいないと思います。とても、個性が強くやらかしてばっかりだったチームをまとめるのはとても大変だったと思います。キャプテンである山川と前キャプテンの烈には、とても感謝しています。最後の夏は開幕しました。自分はメンバーに入っていないけどそんなの関係ないです。裏方として全力でメンバーをサポートして、メンバーには全力で、「一勝懸命」グランドでプレーしてほしいです。2年前のあの中商戦。あの時の応援は忘れられません。あの時の応援以上に、この夏盛り上げて行ってみんな感動させたいです。そして、この夏、このチームで甲子園に行って今まで支えて来てくれたすべての人に恩返ししたいと思います。「一勝懸命」この言葉を胸に、3年間のすべてをぶつけて最高の夏にしたいです。 「一勝懸命」 ![]() ![]() |
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