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終末と神の裁き(2)
2021/03/09 15:46:16 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 キリスト教

先日ツイッターで「万人救済説」についての議論があり、私もそのやり取りを横から見ながら多く学ばされました。
万人救済説というのは、神は最終的にはすべての人をお救いになるという説で、キリスト教福音派が唱えている「信じる者は救われる」という説に対立する考えです。
神が徹頭徹尾愛であるというご性質を考えれば、この説には一定の説得力があります。
また、「分け登るふもとの道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」という和歌が示すような考えに日本人は特に共感を覚えますので、みんなが救われるというのは魅力的ですし、人道的ですし、公平かつ平等だと感じます。
逆にキリスト教徒だけが救われる、という考えに嫌悪感を覚え激しく反発する気持ちも大変よくわかります。
クリスチャンのはしくれとして、「自分たちだけが救われている」という傲慢な考えを持ったり行動したりすることがないように、あくまでへりくだって生きる者でありたいです。

・・なんですが・・

「みんなが救われる」ということは、言い換えれば「みんな裁かれない」ということです。
裁かれないことは、正しいこと、公平なこと、平等なことでしょうか。
全世界の全ての人が仲良く天国に行ける方がいい、というのは一見理想的ですが、この世界に善と悪が厳然と存在しているのは明らかなのに、それが未解決のまま、死後みんなが仲良しこよしで天国でパリピ―っていうのは私は納得しかねます。(天国がそのようなところかどうかは別の議論が必要ですが・・)
「悪いことしたもん勝ち」「逃げ得」のような状況にもなりかねません。
前のブログの冒頭で挙げた事件の例を考えていただければと思います。

そんなわけで、私は裁きのある世界こそが公平だと信じています。
神の裁きにその希望と信頼を置きます。
この最終的かつ完全な裁きには、「冤罪」だとか「不当判決」はありません。
完全に義である神の目から見た絶対的裁きです。
終末における裁きはそのような裁きであることを私は信じています。

それにしても、なぜ「神の裁き」なのでしょうか?
法律に詳しい学者や専門家、弁護士などを世界中からえりすぐって集めたところで、全人類を正しく公平に裁ける法律の類は決して作れないでしょう。
一定の基準として各種国際法は存在していますが、批准しない国があったり、解釈が国によって全然違う例はいくらでもあります。
人間が作る法律は、国や時代によって、また為政者の気分次第でころころ変わりますし、倫理道徳観念もやはり文化によって違いがあります。
基本的人権をベースにすればいいではないか、と言うかもしれませんが、それすらも考え方は千差万別です。
全人類を公平に裁くための法律が必要だとすれば、全く別の次元の基準が必要だと思うのです。

・・って言うと、間違いなく突っ込みが入ってきますよね(笑)

別の次元の基準って、どこにあるの?
論理の飛躍じゃね?
そもそもそれって本当に神の基準なん?
それでさえも人間が作ったものじゃないの?
キリスト教的基準を持ってきたところで、それだって一つの文化じゃん?
・・っていうか、そもそもあんたはその基準に照らして救われているって自信もって言えるんかい!

・・自分で自分に突っ込んで、身動きが取れなくなったところで、いったんCM。



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