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日々雑感を書いていきます。無精者なので更新は気の向いた時・・・・ということであしからず!
新型コロナワクチンは安全か(5)
2021/03/31 16:53:37 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 キリスト教
敬愛する水谷潔先生が、また拙ブログをフェイスブックで紹介してくださり、誠に恐縮をしております。

実は先生が幾つか前の投稿で、「某大御所牧師」の投稿をいわゆる注意喚起のために書かれていましたが(こちら)、その内容と関連した有用な文書をあるサイトに見つけたので、ぜひ紹介させていただきたいと思いました。

文章は「フォーカス・オン・ザ・ファミリー(FOTF)」という大変有名な保守派キリスト教団体が出しているものです。
FOTFは「思い切ってしつけましょう」などの多くの著書がある米国の心理学者でありクリスチャンカウンセラーであるジェームス・ドブソン氏が立ち上げ、米国のみならず日本の教会でも家族・子育て問題の分野において大きな影響を与えています。
また日本のファミリー・フォーラム・ジャパンはFOTFの協力団体です。

FOTFは、聖書を字義通りに解釈する原理主義的信仰をベースに、人工中絶反対(プロライフ)や婚前・婚外交渉反対、LGBT反対の立場を明確に打ち出していることでも知られています。
この団体の医療チームが、新型コロナワクチンと中絶された胎児の細胞株との関連について見解を述べています。
これによれば製薬会社によって細胞株を使っているところとそうでないところがあるとのこと。
日本でもワクチンの種類を選べるようになるそうなので、接種に際して気になる人は参考にするといいのではと思います。
全文を和訳して紹介します。(原文はこちら

さらに、英語ですがFOTFが出しているワクチン接種全般に関しての動画はこちら
下記声明文作成にも関わっている保守派クリスチャン医療者二人にインタビューしていますが、お二人ともコロナワクチンについての見解は、これまで私が紹介してきた医療者同様肯定的です。

*追記:上記動画のサイトには、動画以外にも、ワクチンに関する様々な疑問に答えるコーナーがあります。英語ができる方はぜひご参考ください。

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フォーカスオンザファミリーの医療者リソース評議会からの声明

2020年末までに、世界で7400万人の新型コロナウイルス(COVID-19)による感染者が報告され、160万人の人たちが亡くなりました。

この病気についてはまだ不明な点がある一方で、治療や予防の方法についてはいろいろなことがわかってきています。新型コロナウイルスの拡散を食い止め、そして社会を正常な状態に戻すために広く期待されている一つの手段はワクチン開発です。

ワクチンはウイルスや抗原として知られるバクテリアの一部を、免疫反応を刺激するために体内の免疫系統に注入することによって作用します。抗原は、不活化したものや弱毒化したウイルスを直接に、あるいはmRNA のような分子を通し、体内の細胞に抗原を生成させる設計図を用いることで生起します。これらの抗原は、ウイルスなどの侵入者が入ってきたときに免疫系統を活性化し、これを記憶させ、広範囲な防御態勢を築きます。

ワクチンにはまだ多くの疑問があるものの、新型コロナウイルスの拡散を食い止めるの効果が明らかになるものと期待されています。最近認証を受けたワクチンは安全性や効果については保証されている一方、プロライフ(人工妊娠中絶反対派)支持者の間でよく議論される、ワクチン開発の過程における中絶された胎児の細胞株の使用に関する懸念があります。

いくつかの新型コロナワクチンの開発と製造過程で使用されている2種類の胎児の細胞株はHEK293とPER.C6.と呼ばれるものです。HEK293は1972年に中絶された胎児に由来しています。PER.C6.は1985年に行われた中絶から分離されました。(それ以降は、これらの細胞株の維持のために中絶は必要としていません。)

良いニュースは、いくつかの製薬会社は中絶された胎児の細胞株にまったく依拠しないワクチンを手掛けていることです。他の会社は、あるテスト段階でこれらの細胞株を使用することはあっても、細胞株そのものを使ったワクチンは製造していません。モデルナ社とファイザー社それに共同開発社であるドイツのビオンテック社のmRNAワクチンは、研究所で合成され、いずれの細胞株をも使用せずに製造しています。

残念ながら、いくつかのワクチン製造会社は新型コロナワクチンの開発と製造の過程において中絶された胎児の細胞株を使用しています。それらの中には、PER.C6.を使用しているジョンソン&ジョンソンとその子会社ジャンセン、HEK293を使用しているアストラゼネカ社のワクチンがあります(この2社だけとは限りません)。

これらの細胞株の使用は多くのプロライフを信条とする人たちの倫理的懸念を引き起こすもので、胎児の細胞株を使って製造されたワクチンはこれまでも接種を躊躇する人たちを生み出してきました。

受胎をしてから自然に亡くなるまで、人命は神聖なものとして扱われるべきで、決してその価値を貶めることがあってはなりません。ワクチン製造においては、倫理的規範を守ることに全力を尽くすべきで、決して中絶に頼ることがあってはなりません。フォーカス・オン・ザ・ファミリーの医療者リソース評議会は、中絶された胎児の細胞株を使用していないワクチン開発者に感謝を表すとともに、すべての製造会社に対し、命の尊厳を守る方法と技術を用いることを求めます。

(追記 4/9)
*上記文章の翻訳とブログへの掲載はフォーカス・オン・ザ・ファミリーの許可を得ています。
© 2021, Focus on the Family. Used with permission.


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新型コロナワクチンは安全か(4)
2021/03/29 15:44:02 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 キリスト教
コロナワクチンについて、クリスチャンの間でもいろいろと議論があり、前にブログで書いたような医学的・科学的見地からの意見とは別に、聖書的に見てこれってOKなのか?という、いわゆる「宗教的」観点からの議論もあります。

これって、医学的な問題とは違って、客観的に大丈夫か、あるいはそうでないかを証明するのが極めて難しい問題です。
「悪魔の策略である」とか、終末論でよく扱う「世界統一政府樹立に向けての足掛かりである」とか、前にも触れたように「黙示録13章に書かれてある悪魔の刻印である」などが言われたりします。
これらは言ってみれば、かなり主観的な判断になりますので、まさに個人個人の信仰のあり方と言っていいと思います。

にもかかわらず、クリスチャンは何としてもワクチンは避けるべきと、有無を言わせぬ口調でかなり熱心に語られる方がおられます。
これに対しても、私はできるだけウェブ上で参考できる資料を提供しながら、丁寧に反論をさせていただきます。
いろいろな動画をチェックしましたが、日本語では「これだ!」とビビっと来るのがなくて、やはり今回も英語の動画を紹介します。(すみません・・)
日本語で内容を要約します。

メシヤニックジュー(イエスを救い主と信じるユダヤ人)として日本でも大変人気のあるアミール・ツァルファティ氏の動画二本です。
アミール氏は超保守派のメシヤニックジューで、共和党もといトランプ元大統領の熱狂的な支持者です。
私は彼のツイッターをフォローしていましたが(今は凍結されているようです)、昨年の大統領選挙前後の、親トランプ&反バイデン関連ツイートはすさまじいものがありました。
言ってしまえば、彼もまたいわゆる陰謀論の類にかなり入れ込んでいて、トランプさんの根拠のない主張を完全に鵜呑みにしていましたので、私自身はそれを見るたびにげんなりしていました。
さらに彼は、いつ携挙(教会が一斉に空中に引き上げられ地上からいなくなる現象)が起こってもおかしくないという艱難前携挙説(かつディスペンセーション主義)を熱心に語っている人です。
彼の神学的・政治スタンスは、私の考えとはだいぶ距離があることを前提で彼の動画を紹介します。

1本目の動画では、そのアミール氏が、新型コロナワクチンについて、「これは絶対に悪魔の刻印ではない」とインタビューの中で断言しています。

Is The Vaccine The Mark Of The Beast?(ワクチンは獣の刻印か?)


その根拠として以下の4つの理由を述べています。
1.「獣」は反キリストという個人であって、システムではない。獣の刻印は反キリスト個人と関係することである。
2.獣の刻印は、艱難時代の真っただ中に登場する。今はまだ艱難時代ではない。
3.獣の刻印は、額または右手に記されるものである。(腕ではない)
4.獣の刻印は、獣を礼拝することと直結している。ワクチンを打つことは獣への礼拝を意味しない。

4番と関連して、彼は救われた人は二度と救いを失うことはないという救済論の基本を語った後に、ワクチンを受けることで救いを失うんじゃないかと心配しているクリスチャンに対して、「イエスの血は一滴のワクチンよりも弱いのですか?!」と問いかけています。

アミール氏の終末論には同意できない部分が多くありますが、ワクチンが獣の刻印ではないということ、イエスの血による救いはワクチンなどで消えるようなものではないという主張には激しく同意します。

2本目の動画は、アミール氏が2人の知人(老人介護施設の施設長と医師)にワクチンが安全かどうかのインタビューをしている内容です。

この2人も、アミール氏と同じくメシヤニックジューです。
動画では、違う場所で撮影された2人へのインタビューを交互に織り交ぜる形で話を展開させています。
介護施設はイスラエルのハイファにあり、イスラエルで唯一、スタッフと入所者がすべてメシヤニックジューだということです。
この施設の入所者の中には、最初ワクチン接種について懐疑的な人もおられたとのことですが、施設長として、アミール氏の友人は科学的事実について丁寧に説明をした結果、今では全員ワクチン接種を希望しているとのことです。(この動画が撮影されたのは、イスラエルでワクチン接種が始まる前)
また接種はあくまで自由意志であることも強調しています。

2人目の医者の友人は、ワクチンの開発の研究者でもあるとのこと。
多くの人が疑問に思っていることを代弁する形でアミール氏が彼に質問していますが、それに対して彼は、新型コロナは危険な感染症であること、ワクチンにはマイクロチップは含まれておらず(そもそも技術的に無理)、5G電磁波による問題や不妊の原因になるものはなく、mRNAが人間のDNAを組み替えることはないということを丁寧に説明しています。
内容物については、FDA(アメリカ食品医薬品局)が厳しくチェックするので、FDAに認可された時点で安全性は保障されているとのこと。
何よりも命の尊厳を優先するクリスチャン医師として、ウイルスに対して抵抗力の低いお年寄りや持病のある人たちを助ける責任があること、そしてワクチンは病気と闘うために神が下さったギフトであるとも語っています。
最後に2人とも、神への信頼と信仰こそがワクチン以上に大切であるという話で締めくくっています。

このような保守的な立場のクリスチャンが、ワクチン接種について現実的な考えと対応をしていることは喜ぶべきことです。
ただ、残念なことに(というか、予想されていることですが)、二本目の動画にぶら下がっているコメントには、否定的な内容のものがずらりと並んでいます。
その代表的なものの一つを和訳して紹介します。

「私の母は、私が知っている人の中で最も神を恐れる人です。彼女はワクチンについての記事を数多く読み、知恵を求めて何時間も祈りました。その結果、ワクチンは神からのギフトであると、神が母に語っているとは感じられませんでした。神は私たちに免疫機能を与えられていますが、私たちが常に病気に打ち勝つことを保証していません。救いこそが唯一の癒しなのです。」

大変信仰的な方だとは思いますが、科学を無視し、ご自分の主観(感じ方)に頼っている典型的なご意見だと思います。
祈ってそう感じたから、ワクチンは危険?
神を信頼し、神の癒しに期待するとともに、科学の成果を無視することなく、神がこの世界に与えられた知恵を賢く用いていくものでありたいと思います。


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終末と神の裁き(4)
2021/03/10 01:09:04 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 キリスト教
裁きの話、最後です。

結論を申し上げます。
神が取った方法は、まさかの驚くべき方法でした。
こともあろうに裁かれるべき罪びとである人類のために、罪や汚れのない神の子イエスが神によって裁かれたのです。
誰でも知っていると思いますが、イエスは十字架ではりつけにされて死んで行きました。
処刑の理由は、ユダヤ人から見れば神を冒涜したという罪、ローマ帝国から見れば国家反逆罪ということになっていますが、濡れ衣もいいとこです。

聖書はイエスの十字架の死という出来事こそが、神が人間を滅びから救うために計画された究極的業であると宣言します。
これは贖罪(しょくざい)といって、少なくとも福音主義に立つキリスト教の教理の中でももっとも大切な教えの一つです。
これを理解するには、旧約聖書に書かれてある様々な動物のいけにえの儀式についての教えとセットで学ぶ必要がありますが、省きます。

私たちはみな罪を持っているので、公正・公平な神(義なる神)は私たちを裁かなければならない。でも神は私たちをとことん愛し私たちを救いたいと願っておられる。この矛盾したご自身の両方の性質を同時に満足させたのが、イエス・キリストの死であったのです。
世界でただ一人裁かれる必要のない方が、裁かれるべき私たちの身代わりなってくださったことにより、「裁かれない」ための道が私たち罪びとのために開かれました。
キリストが命と引き換えに与えられた「裁かれない」というギフトはすでに目の前にあり、私たちがそのまま感謝をもって受け取るだけで適用されることになりました。
信仰によって救われるということは、このようなことを指しているのです。

いやいや、善人も悪人も裁かれるってさっき言ったじゃん。
なんでまた「裁かれない」って話になるの?
いったい裁かれるの、裁かれないの、結局どっちなの?

ほんとに混乱してしまいますね。

こう考えてみてはいかがでしょうか。
裁きの結果って、常に悪いものではありません。
「無罪判決」が出る場合があります。
無実の罪で訴えられ何年も拘留されていた人が、やり直しの裁判で無罪判決を勝ち取ったとき、どれほど喜びを爆発させるでしょうか?
弁護士か傍聴席にいた支援者の誰かが、裁判が終わった後にダダダダ・・・と裁判所の外で待っている人たちのところに走っていき(こけたら恥ずい)、「勝訴」と書かれた紙(なぜかいつも書道文字)をばっと出した瞬間、一斉に拍手が沸き起こります。
この日をどれだけ待ち望んでいたことでしょう。
喜びの涙と歓喜に包まれて、心からの安堵と開放感に浸りますね。

「裁かれない」といった意味は、本来有罪の判決が下されるはずだった私たちは、イエスがその罰を代わりに引き受けてくださったことで、無罪判決という結果を得ることができるということです。
前述のへブル人への手紙9:27の続き節にはこう書いています(27節から書きます。)

「・・人間には、一度死ぬことと死んだ後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々を救うために現れてくださいます。」

世の終わりに裁きの時が来ます。
厳粛な時です。
でも、キリストがすでに罪を負って死んでくださったので、私たちは信仰によってそれを受け取り、救いの約束を確かなものにすることができます。
難しい言葉で「信仰義認」と言います。
これこそが、聖書が語る終末における裁きの神基準なのです。
キリストがすでに成し遂げられた救いを、信仰をもって受け取ることで、パスポートに「義」というスタンプを押してもらい天国への入国が許可されるのです。

*補足ですが、信仰によって救われるからといって、「行い」がどうでもいいというわけではないことは言わずもがなです。信仰は、聖霊の働きを通して正しい行いに自然に導かれることは、聖書が繰り返し主張しているところです。終末の裁きには「行い」も対象になりますが、趣旨からはずれるので割愛しました。


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終末と神の裁き(3)
2021/03/10 01:03:37 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 キリスト教
裁きの話、続けます。

世の終わりの裁きについて聞くと、多くの人はこんな風に想像するかもしれません。
「めっちゃ極悪人や心が汚い人は裁かれて当然だけど、良い人や、親切な人、つまり善良な市民は多分裁かれない。」

ここからは聖書をベースに話をします。

聖書はこれについて全く違う見方を教えています。

「義人はいない。一人もいない。」(ローマ人への手紙3:10)

これは、そもそも裁きを受けなくてもいいくらい正しい人は世の中に誰一人いないということを語っています。
つまり聖書によれば、人は罪のゆえに全員「裁かれる」のが当然だというのです。
一人の例外もなく。

前回までのブログで、散々「裁きのない世界は不公平だ」「神の絶対的裁きを求む!」的なことを言って、あたかも私自身は裁かれない側に立っているかのように偉そうに書いていましたが、すみません・・私も裁かれるべき罪びとの一人です。
これについて聖書はこう教えています。

「・・人間には、一度死ぬことと死んだ後に裁きを受けることが定まっている・・」(へブル人への手紙9:27)

「私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体に応じてした行いに応じて報いを受けるために、キリストの裁きの座の前に現れなければならないのです。」(第二コリント5:10)

なんと、善人悪人関係なく、みんな裁かれるのだ、と言うのです。
「結局みんな裁かれるんかい!」とまた突っ込まれそうです。

さて、ここからが実はポイントなんです。

繰り返しますが、聖書は「義人は一人もいない」「全員裁かれる」と言っていますから、これを文字通りそのまま取ると全員有罪となり、救われるどころか、結局全員地獄で「うおーっ、助けてくれ〜、死にそうだ〜!(死んでるんですが)」とのたうち回るしかないことになります。(地獄がこういうところかどうかは別の議論が必要ですが)
これでは文字通り、死んでも死に切れません!

善人も悪人も全員天国行き(つまり万人救済説)っていうのは不公平ではないか、と前回の記事に書きました。
でも、今度は逆に、全員地獄行き(万人不救済説?)となると、愛であるはずの神がそんなことできるのか、そもそもそんなことをする神が愛なのか、という別の問題が生じます。
それこそ全員が救われるということ以上に納得できないですし、だれがそんな宗教信じようと思うでしょうか。
神がまさかのジレンマに陥ってしまいました。

ここでいったんCM


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終末と神の裁き(2)
2021/03/09 15:46:16 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 キリスト教

先日ツイッターで「万人救済説」についての議論があり、私もそのやり取りを横から見ながら多く学ばされました。
万人救済説というのは、神は最終的にはすべての人をお救いになるという説で、キリスト教福音派が唱えている「信じる者は救われる」という説に対立する考えです。
神が徹頭徹尾愛であるというご性質を考えれば、この説には一定の説得力があります。
また、「分け登るふもとの道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」という和歌が示すような考えに日本人は特に共感を覚えますので、みんなが救われるというのは魅力的ですし、人道的ですし、公平かつ平等だと感じます。
逆にキリスト教徒だけが救われる、という考えに嫌悪感を覚え激しく反発する気持ちも大変よくわかります。
クリスチャンのはしくれとして、「自分たちだけが救われている」という傲慢な考えを持ったり行動したりすることがないように、あくまでへりくだって生きる者でありたいです。

・・なんですが・・

「みんなが救われる」ということは、言い換えれば「みんな裁かれない」ということです。
裁かれないことは、正しいこと、公平なこと、平等なことでしょうか。
全世界の全ての人が仲良く天国に行ける方がいい、というのは一見理想的ですが、この世界に善と悪が厳然と存在しているのは明らかなのに、それが未解決のまま、死後みんなが仲良しこよしで天国でパリピ―っていうのは私は納得しかねます。(天国がそのようなところかどうかは別の議論が必要ですが・・)
「悪いことしたもん勝ち」「逃げ得」のような状況にもなりかねません。
前のブログの冒頭で挙げた事件の例を考えていただければと思います。

そんなわけで、私は裁きのある世界こそが公平だと信じています。
神の裁きにその希望と信頼を置きます。
この最終的かつ完全な裁きには、「冤罪」だとか「不当判決」はありません。
完全に義である神の目から見た絶対的裁きです。
終末における裁きはそのような裁きであることを私は信じています。

それにしても、なぜ「神の裁き」なのでしょうか?
法律に詳しい学者や専門家、弁護士などを世界中からえりすぐって集めたところで、全人類を正しく公平に裁ける法律の類は決して作れないでしょう。
一定の基準として各種国際法は存在していますが、批准しない国があったり、解釈が国によって全然違う例はいくらでもあります。
人間が作る法律は、国や時代によって、また為政者の気分次第でころころ変わりますし、倫理道徳観念もやはり文化によって違いがあります。
基本的人権をベースにすればいいではないか、と言うかもしれませんが、それすらも考え方は千差万別です。
全人類を公平に裁くための法律が必要だとすれば、全く別の次元の基準が必要だと思うのです。

・・って言うと、間違いなく突っ込みが入ってきますよね(笑)

別の次元の基準って、どこにあるの?
論理の飛躍じゃね?
そもそもそれって本当に神の基準なん?
それでさえも人間が作ったものじゃないの?
キリスト教的基準を持ってきたところで、それだって一つの文化じゃん?
・・っていうか、そもそもあんたはその基準に照らして救われているって自信もって言えるんかい!

・・自分で自分に突っ込んで、身動きが取れなくなったところで、いったんCM。



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