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日々雑感を書いていきます。無精者なので更新は気の向いた時・・・・ということであしからず!
大地震は増えている?
2021/02/14 05:05:01 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 聖書
昨晩遅く、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震がありました。
何年かぶりの震度6強で、震源地近くの揺れはかなりのものだったと思います。
東北や北関東に住んでいる私の知人が何人もSNSで近況をアップされていました。
現在も広範囲で停電が続いているようです。
被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

大地震は終末における一つのしるしとして聖書に記されています。
中近東も地震の多発地帯ですが、日本も世界有数の地震国ですから、数年に一度は大きな地震に見舞われます。
そんな中で、このような話を教会内外で聞いたことはないでしょうか?
「地震の頻度は、以前より明らかに高くなっている。」
「最近は巨大地震が増えた。これはいよいよ終末が近いことの証拠だ。」
などなど。

ある有名な牧師は、20世紀が始まるまでの1900年間より、その後の100年間の方が大地震が多く発生している、と言って終末論を熱く語っていました。
これは結構鵜呑みにする人は多いと思います。

しかし、意外に思われるかもしれませんが、実は地震の観測が始まって以来、地震の頻度が高まっているというデータはありません。
地震の研究において最も権威のある米国地質学研究所地震情報センター(英語)の解説では、広範囲な観測網の発達や観測機器の精度の向上によって、以前より格段に多くの小規模な地震まで観測できるようになっているが、M7クラス以上の大地震は年平均16回くらいで、年によってばらつきはあるものの、頻度は統計を取り始めて以来ほとんど変わっていないとのことです。

例えば南極の近くでM8クラスの大きな地震が起きても、日本にいて体感することはありません。
100年前なら、地震が起こっていたことさえ誰も気づかなかったでしょう。
しかし今や、地球のどの地点でどの規模の地震が起きたかという情報はあっという間に手に入ります。
多くの地震の情報に触れることができることで、地震の頻度が高くなっているような錯覚に陥っているのです。

さらに言えば、地震計が発明されるまでは地震のエネルギーの大きさを測る基準がそもそも存在しないのに、19世紀末までに起きた大地震の規模や数をどうやって調べられるでしょうか。
実際に大地震によって多くの建物が倒壊したという記録が残ってたとしても(実際文献は沢山あると思いますが)、その建物がそもそも耐震設計されていませんから、現在と比較しようがありません。

「なーんだ、そうだったのか。終末の一つのしるしかと思っていたのに、心配してしまった。」
と胸をなで下ろしましたか?
終末を楽しみに(?)していた人は、もしかしたらがっかりしたかも?

ちょっと待ってください。
イエス様が語られた言葉をよく聞いてみましょう。

「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。」(マタイ24:7)
「それからイエスは彼らに言われた。『民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れます。』」(ルカ21:10-11)

イエス様は、神殿の崩壊と終末についてオリーブ山で弟子たちに語られましたが、決して「大地震の頻度が高まる」とは語っていないのです。
「終末が近づくと(あるいは神殿の崩壊が起こる前には)、あちこちで(大きな)地震が起こります。それだけでなく、飢饉も起こります。疫病も起こります。国同士、民族同士の争いも起こります。これらがサインですよ。」と語られたのです。
これは、そういった出来事の頻度が実際に高まることを言われたのではなく、「そのような情報をたくさん耳にすることになるでしょう」と言われたのだと私は理解しています。

とするならば、今あらゆるメディアを通してこうした情報が絶え間なく私たちの目や耳から入って来る時代は、たとえ大地震の頻度が高まる傾向にあると科学的に証明されなくても、終末の予兆を感じさせるのに十分と言えるのではないでしょうか。
ルカに書かれてある「疫病」など、コロナ禍真っただ中の現代には重く突き刺さります。
根拠の薄い、あるいは誤った科学的データを使って「終末っぽい」演出をする必要はないのです。
むしろ必要以上に終末観を煽ることで、落ち着いた生活から離れさせ、浮世離れした信仰にならないとも限りません。

誤った終末思想の多くは、聖書の読み違いや論理的思考の欠如、思い込みの強さなどがその原因の一部であるように思います。
もちろん、私もその罠から完全に免れることはできませんので、慎重には慎重を期して学びを続けていきたいと思います。


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終末論(イントロ2)
2021/02/09 00:24:48 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 聖書
イントロが長くてすみません・・
もう少し続けます。

もう10年近く前になりますが・・
東日本大震災によって福島第一原発がメルトダウンを起こし日本中が大きな衝撃を受けました。
私も大変なショックを受け、当時毎日のようにその報道を追っていたことを思い出します。
そして、フェイスブックのあるグループ(「福島第一原発事故について考える」だったかな?)に入って積極的に意見交換をしていました。
私のスタンスは、「原発はこれ以上作るべきではない、今ある原発もすべて稼働を停止し、できるところから廃炉にすべき」というものです。(今もそのスタンスは変わっていません)
グループに所属する5000人近い人たちもほぼ全員が反原発の立場から意見を述べていました。

ある時、2枚の写真がシェアされていました。
この二つです。

ネパール悲喜こもごも

衝撃的な写真ですよね。

この写真をシェアした方が、「今放射能の影響で次々と巨大野菜が収穫されている」と注意喚起をしたわけです。
私は放射能による人体への影響について憂慮する立場ではありましたが、この写真にはすぐ疑問を持ちました。
それで、元ネタを探したところ、上の巨大白菜の写真は加工した写真、下の巨大カブの写真は単なる桜島大根の写真だとわかり、そのことをコメントしました。
何人かの方からは、「正体を明らかにしてくれてありがとう」などとお礼を言われましたが、グループ管理人をはじめ、放射能汚染に極めて強い懸念を持っている多くの方々からは逆に非難されました。
(その時に書いたブログが残ってましたので、事の顛末についてはぜひこちらをお読みください)
放射能の影響??ーFB上のやり取りから考えたことー

そんな古い話をもってきて、何が言いたいのかと言いますと・・

私がいろいろ書いてきた米大統領選に関する話も、上に書いた体験談も、これからいろいろ書こうと思っている終末論の話も、そっくりなんです。
つまり、何か社会的にセンセーショナルな出来事があると、必ず極論に走って世間を煽る人が現れ、それを科学的に反証すると、またそれを抑え込もうとする圧がかかる。
いたちごっこなんですね。
でも、結局根拠のない話というものは、時間の経過とともに淘汰されていきます。
最初に投稿して煽った本人は反省することも謝罪することもなく・・

今、コロナウイルスに関連した特殊な終末論(例えば、ワクチンは獣の刻印である、など)が見られますが、こういった内容のものは一過性のものだと私は信じます。
数年後には何もなかったように過ぎ去っているでしょう。

なぜそう言えるか?
次のブログで検証してみたいと思います。
私としては、終末論を学ぶにあたっては、身の回りの出来事に振り回されないようにすること、聖書の文脈を読み取ること、聖書の時代背景を理解すること、聖書解釈の歴史から謙遜に学ぶことをお勧めいたします。


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終末論(イントロ1)
2021/02/08 17:14:06 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 聖書
終末論・・・


さて、どっから手を付けていいやら・・

いきなり「じゃーん!ヨハネの黙示録にこんなことが書いてまーす!」というやり方は、個人的に好きじゃないです。
終末論=黙示録という考え方がそもそも好きじゃない。
聖書は多くの個所で終末について扱っています。
ということは、聖書的終末論を述べようと思えば、旧約聖書の、特に預言書は絶対に外せないし、福音書においてイエス様が語られた言葉や、パウロやペテロなど使徒が記した言葉をまんべんなく拾い上げ、丁寧に読み解いていく必要があります。
その中で、それらが歴史上の出来事にどう符合してきたか、また書かれた当時どう解釈されていたのか、彼らが見つめていた「世の終わり」と私たちが考えるそれとは同じなのか、などは特にじっくり学ぶ必要があります。
この作業だけでもめちゃくちゃ大変で膨大な時間を要します。
なので、ちょこっとその手のサイトを調べて、「要するに終末ってこんなことが起こるんだよね」としたり顔で語る方に対しては、「そんな甘いもんじゃないわ!」とびしっと申し上げたいと思います。

教会の学び会では、まず福音書の記述(マタイ24〜25章のオリーブ山の説教など)からスタートしてそれから黙示録に入り、今も続いていますが、このブログではもっと自由に書き連ねていきます。
特に次の2点に注目したいと思います。

1.終末論って歴史的にどんな変遷をたどり、今どのような考え方があるのか
2.現代の大きな社会問題、特に新型コロナウイルスやワクチン接種などは終末論的にどう考えればよいのか

常にこの順番で秩序正しく書くというのではなく、こういった要素を織り交ぜながら、という意味です。
私はこれでも一応科学畑の出身なので、終末論も論理的・科学的解釈に合わないと途端に拒絶反応を起こすタイプです。
今まさに私のお肌に合わない(?)終末論が、怪しい動画を中心に大輪の花を咲かせています。
私のお肌に合わないだけでなく、私の聖書解釈(きわめて正統な解釈だと思っていますが)とは全く相容れない内容のものがあとからあとから湧いて出てきています。
なぜ、これらの解釈を私がおかしいと感じるのか、可能な限りシェアしていきたいと思います。

願わくは、このブログに目を留める方が、終末論を通して神が計画されている壮大なドラマを知り、神の愛に気づかれますように。


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終末論シリーズ、始めます!
2021/01/30 12:45:07 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 聖書
昨年11月から長らく休止状態だったブログを書き始めましたが、中身はかなり政治ネタでした。
まだまだ書き足りないことはありますので、時間があれば続けて行こうと思います。

同時に、以前から「終末論」について私の考えをシェアできればと思っていましたので、こちらのほうもスタートしたいと思います。
というのも、世は今だコロナ禍一色でありますし、小禄教会では昨年4月から水曜日の聖書の学び会で終末論を学んでいるからです。
何を隠そう、米大統領選挙についての考え方と終末論はめちゃくちゃ関係があります。
クリスチャンでない方にとっては、「へ〜」と思うかもしれませんが、キリスト教界隈では終末論の考え方が共和党、民主党の支持に影響を与えていると言ってもいいでしょう。

というわけで、このテーマについてもまじめに取り組ませていただきます。
すでに、教会での学び会は、ヨハネの黙示録18章に入っていますが、終末論は黙示録だけではなく、福音書、書簡、預言書等すべてにわたっていますから、かなり幅広い聖書知識と、解釈の歴史を見ていく必要があり、世の中の動向についても敏感にアンテナを張っている必要があります。
私が今自分の机に置いて参考にしている関連書籍だけも20冊近く+電子書籍等々あります。
現在翻訳に取り組んでいる本も何とか2,3か月のうちには完成できればと思います。

ということで、終末論ファンの皆さん(誰?)乞うご期待!




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聖書は科学の教科書?
2016/02/25 15:40:13 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 聖書
昨日の午前の「聖書の学びと祈り会」のことです。
(小禄バプテスト教会では、毎週水曜日午前10時半と午後8時に聖書の学びと祈り会を行っています。)
レント(受難節)のただ中にあるので、テーマはイエスの十字架の言葉についてでしたが、いつものようにそこからいろんな質問や意見が飛び出して、盛り上がりました!

その中で、子育て真っ最中のあるママさん信徒が、最近小1の息子がドキッとするような質問をするので困っているという話になりました。
宇宙や動物などに関心があるとのことで、「恐竜はノアの箱舟に乗ったの?」とか「ぼくは進化論は本当だと思う。」とか言ってくるとのこと。
ママにしてみれば、毎週教会学校で聖書の話、イエス様の話を聞いているのに、この年齢でそんなことに疑問持っちゃって、この子大丈夫かしら?と不安に襲われたらしいのです。
また、どう答えていいかよくわからないということも口にしていました。
純粋にイエス様を信じてキリスト者として育ってほしい、というママの気持ちを思うと、不安になるのも無理なからぬこと。

でも、私はこのような疑問を持つことは、本当に大切なことだと思いますし、小学一年生ですでに科学的思考ができているのは実に立派です。
将来が楽しみです。

信仰は決して何も疑問を持たないことではありません。
疑問を持たない信仰ほど危険なものはありません。
最近読んだ工藤信夫先生が書いた本「真実の福音を求めて」の中に、「健全な信仰というのは多少なりとも不信仰を含むものではないだろうか、いや、不信仰があって初めて信仰は次の段階に進むのではないだろうか。」というくだりがあり、私は「我が意を得たり」と思いました。
聖書に書かれてあることでも、現代の私たちの感覚からすると受け入れ難いような内容があったり、常識から外れていると思われるような教えもあります。
それについて、無理やりつじつまを合わせてわかったふりをするのでなく、わからないことはわからないとする勇気や、様々な違う意見にあたってみることが大事だと思います。
人間に与えられている能力には限界がありますから。

先ほどのお子さんの疑問に話を戻すと、創世記には確かに神による創造の物語が書かれていますが、小学校の理科の教科書を含め世の中の本のほぼすべてに、生物の進化は当たり前のこととして書かれています。
つまり、世の中一般の常識から見ると、創造論と進化論は対等でも何でもなく、創造論は一部の偏狭な宗教家たちが信じているトンデモ系の疑似科学と見られているのです。
そんな状況ですから、先ほどのお子さんの疑問はものすごくまっとうな疑問なんですね。

そもそも、創世記をはじめ、聖書はすべて21世紀の科学の教科書として書かれたわけでは決してありません。
聖書は神が私たちを愛しておられること、イエス様を通して救われることがその教えの中心であり、そのことを伝えようとして書かれた書物です。
確かに聖書は神の言葉であり、神の霊感を受けて書かれていますが、だからといって科学的にすべての記述が正しいとは言えないのです。

一例として、レビ記11章を見てみます。
そこには反芻する動物のことが書かれていて、ラクダやタヌキやウサギも反芻すると書かれていますが、実際には反芻しません。
また鳥類のリストにこうもりが載っていますが、もちろんこうもりは鳥類ではなく哺乳類です。
さらに昆虫が4つ足であると書いていますが、昆虫の足が6本であることは小学生でも知っています。
つまり、レビ記11章には明らかに科学的に誤りがあります。
では、聖書は間違っているのでしょうか?
神の言葉とすべきではないのでしょうか?

やはり聖書は正しく、神の言葉であると私は信じます。
それは聖書だけが私たちを神の道に導く唯一の規範だからです。
しかし現代の科学の教科書としては正しいとは言えません。

ではやはり、創造論は間違いで進化論が正しいのでしょうか?

ふふふ・・・・・私は創造論を信じていますよ。

「えええっ??聖書は科学の教科書ではないって言ったじゃないですか??」
その通りなんですが、私は「神がすべての種類の動物・植物を種類に従ってお造りになった」という点で完璧に創造論者なんです。
でも創造科学論者ではありません。
なにかというとですね、創世記1章に書かれてある「1日」は今と同じ24時間であるとか、地球は誕生してまだ6000年しか経っていないとか、最初地球は水蒸気の雲に覆われていたので温暖であったという説明は信じていないのです。
これは創世記を無理やり科学の教科書に見立てこじつけているに過ぎないと思います。

私が創造論を信じる理由は単純に自然の驚異というか神秘に心動かされるからです。
例えば次の写真なんかどうです?


ムラサキシャチホコという日本にも生息する蛾の仲間です。
一体どんな構造をしているのだと思うかもしれませんが、このくるっと巻いたようなデザインは、実は羽の表面に描かれた模様なんですね。
どう見ても3Dにしか見えない。
これぞ究極の擬態です。
とにかくに不思議すぎます。
こんなのを見せられると、私は「わーお、神さまってグレイト!!!」と思っちゃうわけです。
進化論で説明してみろってんだ、えっへん!!と威張りたくなります。
やっぱり神さまがそれぞれの生物を創造されたんだな、と単純に思うのです。
私はそれで納得しています。(笑)
創造科学なんてものを持ちだすから、かえってキリスト教が偏屈な宗教として誤解されていたりして残念です。

このテーマとても楽しいです。
また気が向いたときに書きます。


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