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10人の娘とは?(2)
2021/05/13 11:14:15 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 聖書
たとえ話の解釈は簡単そうですが、意外と奥が深いです。
気をつけなければならないのは深読みしすぎて、本来意図されていないことまで読み込んでしまうこと。
10人の娘のたとえ話にはそうした深読みのケースが多いように思えます。

この譬えで言いたいことはめちゃくちゃ明白です。
最後にイエス様ご自身が結論を述べています。

「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」(25:13)

誰が何と言おうと、イエス様が最も言いたかったのがこのことです。
つまり、
1.目を覚ましていること
2.その日、その時は誰も知らない
の2点です。

でも、それだけだと、「『目を覚ましている』ってどういうこと?」「『その日、その時』っていつのこと?」という疑問がわいてきます。
なので、たとえ話からそのヒントを探っていきます。

1の「目を覚ましていること」について考えます。
面白いことに、イエス様は結論として「目を覚ましていなさい」と言われていますが、たとえ話の中では10人の娘たちは全員途中で眠りこけてしまいます。
10人が途中で眠ってしまい、花婿が来たときに全員一斉に起き上がり、支度を始めました。
ここまでは、全員同じ線上にいます。
そして、花婿が来たという合図を聞くまで彼女たちが眠っていたこと自体は非難されていないことも注目点です。
しかし、問題は5人の娘は予備の油を用意していたのに、後の5人はそうではなかったというところです。
そしてこの予備の油が持っていたかどうかが、彼女たちのその後の運命を決定づけています。

その内容から、「目を覚ましている」=「常に覚醒状態である」ということを意味しないことは明白です。
そうではなく、「目を覚ましている」=「いつその時がきてもいいように、準備万端にしている」という意味になります。

次に、2の「その日、その時」はいつのことでしょうか。
たとえ話では、花婿が到着するところにスポットが当てられています。
この部分をより正確に理解するには、当時のイスラエルの婚礼の習慣を理解する必要がありますが、ここでは割愛いたします。
24章から続く文脈全体からこの花婿がイエス・キリストであることは疑いようがありません。
花婿の到着がイエス・キリストの再臨を指していることも同様です。
なので、「その日、その時」はイエス様が再び地上においでになる時を指しています。
それ以外の解釈を聞いたことがないので、ここは皆さん納得されるところですね。

そんなわけで、イエス様がこのたとえ話を通して最も言いたかったことは、「私がいつ再びこの地上に戻って来るか誰も分からない。ゆえに、いつ私が来てもいいように、しっかり準備をしていなさい。」ということです。
はっきりしているポイントはこれだけだと言ってもいいでしょう。
これは、イエス様の再臨を待ち望む信仰に立つことの大切さを表しています。
クリスチャンの信仰は、イエス様の再臨とは切っても切り離せないものなのです。

と、ざっくり解釈をしましたが、実は私が言いたかったのはここではありません。
このたとえ話に絡むいろんな教えがあって、それってどうなん?と感じることがあるのです。
みなさんなかなか深読みがお上手で・・

次のブログでそれらを取り上げてみたいと思います。


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